脚本家の市川森一さんが亡くなられました。ほんの2カ月ほど前に放映された『名作ドラマ大事典』の太陽・同窓会スペシャルで元気なお姿を拝見したばかりだったんで、とても驚きました。
市川さんと言えば『ウルトラセブン』『傷だらけの天使』『黄金の日日』『淋しいのはお前だけじゃない』等が代表作に挙げられますが、『太陽にほえろ!』の初期を支えたライター陣の一人でもあった事を、ここで特筆したいと思います。
『つばさ』レビューの中でもちょっと触れた、ショーケン=萩原健一さん扮するマカロニ刑事が、ジュリー=沢田研二さん扮する犯人を射殺するエピソードが、何を隠そう市川さんの『太陽』初参加作品だったんです。
第20話『そして、愛は終わった』がそれですが、『太陽』の15年間、700本以上あるエピソードの中でも屈指の名作であり、また異色作でもありました。
このエピソードで市川さんは、『太陽』のタブーを2つも破っちゃったんです。だから、作品は好評で高視聴率だったにも関わらず、第20話は後続の『太陽』ライター陣に「絶対に書いてはならない脚本」のサンプルとして示されるようになった位、えらい事だったんです。
まず一つ目のタブーは、犯人の動機です。ジュリーは母の妹…つまり叔母との情事をネタに、恐喝を繰り返して来た家政婦を殺しちゃった。愛する叔母を傷つけたくなかったから。
『太陽』は、セックスそのものはおろか、それをほのめかす事も絶対的に禁止なんです。セックスはタブーなんです、セックスは。セックスだけは絶対、ネタにしちゃいけない。セックスだけはです。セックスなんです。
それは午後8時台の番組である事と、青春ドラマで名を馳せたチーフ・プロデューサーの岡田晋吉さんが、セックスをドラマのネタにする事を自ら禁じ手にされてたから。セックスをです。
でも、世の中にセックスが全く絡まない犯罪は無いと言われてる位で、犯罪を扱うドラマで性をほのめかす事すら出来ないってのは、ライター陣にとってこの上なく窮屈な縛りだったみたいです。
それを、市川さんは平気で破っちゃった。しかも、同じセックスでもメガトン級のネタ、近親相姦ですよ!(笑) 当時まだ新人だった市川さんに、なんでそれが許されたのか? 理由は、ジュリーにありました。
市川さんは以前からショーケンと親しくて、ショーケンを介してジュリーらPYG(当時2人が所属してたGSバンド)とも仲間だったんで、今で言うジャニーズ級のパワーを持ってたジュリーの事務所が『太陽』製作陣に対して、市川さんに自由に書かせる事を出演条件の一つに挙げてたワケです。
市川さんは『太陽』がセックス禁止とは知らずに書いたと仰ってましたが、たぶん嘘です(笑)。健全路線にフラストレーションを溜めてた、ショーケンさんの入れ知恵ではないかと私は睨んでますw
その証拠に、このお二人が『太陽』の後に組まれた『傷だらけの天使』はセックス、セックス、セックスのオンパレードでしたw セックス、セックス、セックスのです。
で、もう一つのタブーは、犯人射殺です。これに関しては、新人刑事の成長を描くシリーズの中で、劇的な通過儀礼として素晴らしい効果を上げた為、以降は解禁されました。
『つばさ』で言えば、ちょうど先日レビューしたばかりの、アイデンテティー破壊を経て自分を見つめ直し、脱皮して成長を遂げる、シリーズ中盤のクライマックスです。
さらに本作は、最大のライバル=ジュリーとの競演に刺激されたショーケンが、鬼気迫る熱演を見せた事も効果を上げ、結果的に屈指の名作になりました。絶対に書いてはならない脚本のサンプルなのにw
それって、朝ドラのタブーを果敢に破りまくった『つばさ』の反骨精神にも通じるものがあるんじゃないでしょうか?
タブーは破っても才能は認められ、『太陽』レギュラー作家の仲間入りを果たした市川さんは、さすがにジュリー編みたいに過激な話は書かなくなったものの、ジーパン(松田優作)時代にはシンコ(関根恵子)がボス(石原裕次郎)のマンションに呼び出され、雨でびしょ濡れになって、ボスに「全部着替えなさい」なんて言われる、きわどいシチュエーションを書かれてますw
この時、シンコがブラジャー姿になるのをカメラは真正面から捉えてて、健全路線に安心しきってた全国のお茶の間に、何とも気まずい空気が流れた事であろうと思いますw
いくら脚本にそう書かれてても、そこはシルエットにするなり誤魔化す方法はいくらでもあったのに、現場のスタッフ陣にもフラストレーションが溜まってたんでしょうね、きっとw
これは市川さんの担当じゃないけど、ジーパン殉職の回では、優作が暴力団員達を射殺しまくってます(笑)。現場にプロデューサーがいないのをいい事に「最後だし、やっちまおうぜ」ってなノリでやっちゃって、後で大目玉を食らった、なんていう素敵なエピソードを、監督さんが後に明かされてます。
そうしてタブーを自ら破ったエピソードには傑作が多かったりするんだけど、それはきっと、こうしてスタッフ&キャストが一緒にリスクを背負って、殻を破る為に一丸となって頑張った、そのエネルギーが注入されてるからなんでしょうね。
でも、逆にそれは、タブーという前提があればこそなんですよね。番組が確固たるポリシーを貫いてるからこそ、それをあの手この手で破る事に、快感がある。最初からセックスも射殺もOKの作品でそれをやっても、多分つまんない。
さて、画像は今から27年ほど前(マジすか!?)に刊行された市川さんの脚本集ですが、あとがきに面白い記述がありました。
長くなるので要約しますが、セックスがタブーという「禁欲令」こそが、『太陽』が10年以上も人気番組であり続けてる秘訣ではないか?と。
犯罪を扱いながら情欲を我慢し続ける事は異常なんだけど、我々スタッフ・キャストはその異常さにこそ魅せられたフシがある(自分は破ったクセにw)。
イキのいい刑事達が、あんなにキモチよさそうに殉職していくのは、我慢に我慢を重ねた挙げ句の、『太陽』流の射精にほかならないのではないか?、と。
なるほど… これは如何にも市川さんらしい、かなり的を得た分析だと思います。
合掌。
市川さんと言えば『ウルトラセブン』『傷だらけの天使』『黄金の日日』『淋しいのはお前だけじゃない』等が代表作に挙げられますが、『太陽にほえろ!』の初期を支えたライター陣の一人でもあった事を、ここで特筆したいと思います。
『つばさ』レビューの中でもちょっと触れた、ショーケン=萩原健一さん扮するマカロニ刑事が、ジュリー=沢田研二さん扮する犯人を射殺するエピソードが、何を隠そう市川さんの『太陽』初参加作品だったんです。
第20話『そして、愛は終わった』がそれですが、『太陽』の15年間、700本以上あるエピソードの中でも屈指の名作であり、また異色作でもありました。
このエピソードで市川さんは、『太陽』のタブーを2つも破っちゃったんです。だから、作品は好評で高視聴率だったにも関わらず、第20話は後続の『太陽』ライター陣に「絶対に書いてはならない脚本」のサンプルとして示されるようになった位、えらい事だったんです。
まず一つ目のタブーは、犯人の動機です。ジュリーは母の妹…つまり叔母との情事をネタに、恐喝を繰り返して来た家政婦を殺しちゃった。愛する叔母を傷つけたくなかったから。
『太陽』は、セックスそのものはおろか、それをほのめかす事も絶対的に禁止なんです。セックスはタブーなんです、セックスは。セックスだけは絶対、ネタにしちゃいけない。セックスだけはです。セックスなんです。
それは午後8時台の番組である事と、青春ドラマで名を馳せたチーフ・プロデューサーの岡田晋吉さんが、セックスをドラマのネタにする事を自ら禁じ手にされてたから。セックスをです。
でも、世の中にセックスが全く絡まない犯罪は無いと言われてる位で、犯罪を扱うドラマで性をほのめかす事すら出来ないってのは、ライター陣にとってこの上なく窮屈な縛りだったみたいです。
それを、市川さんは平気で破っちゃった。しかも、同じセックスでもメガトン級のネタ、近親相姦ですよ!(笑) 当時まだ新人だった市川さんに、なんでそれが許されたのか? 理由は、ジュリーにありました。
市川さんは以前からショーケンと親しくて、ショーケンを介してジュリーらPYG(当時2人が所属してたGSバンド)とも仲間だったんで、今で言うジャニーズ級のパワーを持ってたジュリーの事務所が『太陽』製作陣に対して、市川さんに自由に書かせる事を出演条件の一つに挙げてたワケです。
市川さんは『太陽』がセックス禁止とは知らずに書いたと仰ってましたが、たぶん嘘です(笑)。健全路線にフラストレーションを溜めてた、ショーケンさんの入れ知恵ではないかと私は睨んでますw
その証拠に、このお二人が『太陽』の後に組まれた『傷だらけの天使』はセックス、セックス、セックスのオンパレードでしたw セックス、セックス、セックスのです。
で、もう一つのタブーは、犯人射殺です。これに関しては、新人刑事の成長を描くシリーズの中で、劇的な通過儀礼として素晴らしい効果を上げた為、以降は解禁されました。
『つばさ』で言えば、ちょうど先日レビューしたばかりの、アイデンテティー破壊を経て自分を見つめ直し、脱皮して成長を遂げる、シリーズ中盤のクライマックスです。
さらに本作は、最大のライバル=ジュリーとの競演に刺激されたショーケンが、鬼気迫る熱演を見せた事も効果を上げ、結果的に屈指の名作になりました。絶対に書いてはならない脚本のサンプルなのにw
それって、朝ドラのタブーを果敢に破りまくった『つばさ』の反骨精神にも通じるものがあるんじゃないでしょうか?
タブーは破っても才能は認められ、『太陽』レギュラー作家の仲間入りを果たした市川さんは、さすがにジュリー編みたいに過激な話は書かなくなったものの、ジーパン(松田優作)時代にはシンコ(関根恵子)がボス(石原裕次郎)のマンションに呼び出され、雨でびしょ濡れになって、ボスに「全部着替えなさい」なんて言われる、きわどいシチュエーションを書かれてますw
この時、シンコがブラジャー姿になるのをカメラは真正面から捉えてて、健全路線に安心しきってた全国のお茶の間に、何とも気まずい空気が流れた事であろうと思いますw
いくら脚本にそう書かれてても、そこはシルエットにするなり誤魔化す方法はいくらでもあったのに、現場のスタッフ陣にもフラストレーションが溜まってたんでしょうね、きっとw
これは市川さんの担当じゃないけど、ジーパン殉職の回では、優作が暴力団員達を射殺しまくってます(笑)。現場にプロデューサーがいないのをいい事に「最後だし、やっちまおうぜ」ってなノリでやっちゃって、後で大目玉を食らった、なんていう素敵なエピソードを、監督さんが後に明かされてます。
そうしてタブーを自ら破ったエピソードには傑作が多かったりするんだけど、それはきっと、こうしてスタッフ&キャストが一緒にリスクを背負って、殻を破る為に一丸となって頑張った、そのエネルギーが注入されてるからなんでしょうね。
でも、逆にそれは、タブーという前提があればこそなんですよね。番組が確固たるポリシーを貫いてるからこそ、それをあの手この手で破る事に、快感がある。最初からセックスも射殺もOKの作品でそれをやっても、多分つまんない。
さて、画像は今から27年ほど前(マジすか!?)に刊行された市川さんの脚本集ですが、あとがきに面白い記述がありました。
長くなるので要約しますが、セックスがタブーという「禁欲令」こそが、『太陽』が10年以上も人気番組であり続けてる秘訣ではないか?と。
犯罪を扱いながら情欲を我慢し続ける事は異常なんだけど、我々スタッフ・キャストはその異常さにこそ魅せられたフシがある(自分は破ったクセにw)。
イキのいい刑事達が、あんなにキモチよさそうに殉職していくのは、我慢に我慢を重ねた挙げ句の、『太陽』流の射精にほかならないのではないか?、と。
なるほど… これは如何にも市川さんらしい、かなり的を得た分析だと思います。
合掌。