確かに私は、亀山千広P(代表作=『西遊記(香取版)』『少林少女』等)が大嫌いです。現在の記号(パブロフの犬)的な作劇によるドラマや映画を代表するプロデューサーであり、それによって観客の感性や思考力を奪って来た、にっくき大罪人の一人だからです。
その中でも特に彼を嫌うのは、上記の様な批判に対してどう思うかをインタビューで問われた際に、こう答えたからです。
「それはハリウッドが先にやり始めた事で、我々はハリウッドの真似をしてるだけなんですよ(笑)」
常日頃から「ハリウッド映画の劣化コピー」と揶揄されてる事を踏まえた、小粋なジョークのつもりで言ったのかも知れません。だけど、それにしたって不誠実にも程があるでしょう?
商売人としては許せても、クリエイターの発言としては断じて許せません。それ以来、こいつの映画だけは(多部ちゃんが出てない限り)有料では絶対に観ないし、でもTV放映の際にはブログに悪口を書く為にどんどん観ようとw、心に誓った私です。
でもねぇ、『踊る大捜査線』だけは別格なんです。過去、何度となく書いて来ましたが、私は最初のTVシリーズにどっぷりハマり、『太陽にほえろ!』に次ぐ傑作がついに現れた!って、本気で思ってましたから。
それが映画になった途端、まるで魂を抜かれたみたいに空疎なイベント商品に変貌しちゃった。劇場版『3』を観た時、私は「やっぱり、駄目だこりゃ」ってサジを投げたんだけど、それでも、一度愛した作品の行く末はどうしても気になっちゃう。
『3』は亀山の問題発言を聞く前に観ましたから、私情を抜きにして冷静に判断出来ましたけど、あれはもう、本当につまんない映画でした。
例に挙げて申し訳ないですが、天下のアイドルだった天地真理さんが変わり果てた姿で芸能界に復帰した、あの時に味わった切なさを思い出したもんです。…って、この例えは古過ぎますか?w
『踊る…』って、こんなにつまんなかったっけ? 今あらためて最初のTVシリーズを観直したら、やっぱりつまんないのかな? 自分も詐欺師クソ乳首チョメチョメ野郎の亀山ビッチに、まんまと騙されただけなのか?…なんて、真剣に悩みましたよホントに。
で、こないだ、劇場版『ファイナル』に先がけて、TV版の新作スペシャル『踊る大捜査線 LAST TV』が放映されました。もう劇場へは断じて行かないけど、テレビはタダですから観てみる事にしました。
『踊る…』は本来、TVドラマです。もしかすると、映画館でお金を払って大画面で観るからつまんない(映画向きの内容ではない)のであって、テレビなら楽しんで観られるのかも?なんて、性懲りもなくw僅かな期待もしてたんですよ、私は。
どなたか御覧になった方、おられます? どう感じられました? もうねぇ、ホントにねぇ、超絶につまんなかったです! 回を重ねる毎に、輪をかけてつまんなくなってる!! これは一体、どういう事なんでしょうか?
亀山ビッチへの私憤は出来るだけ忘れて観ましたけど、スリルも感動も一切無く、コメディーとしてもセンス最悪でクスリとも笑えない、全く空疎な2時間でした。これ、映画の宣伝としては完全に逆効果じゃないですか?
かつて、あんなに面白いと私は感じた連ドラと、ほとんど同じスタッフ&キャストなのに、ここまで絶望的につまんないなんて事が有り得るのか!? ホントに悪夢を見てる気分でした。
そこまで印象が変わっちゃった理由を、今回は冷静になって考えてみました。まず『踊る』TVシリーズが始まったのは15年も前の事で、とっくに時代遅れになってる事が第一に挙げられます。
『太陽にほえろ!』も同じく15年(しかも休みなく)続いた番組ですが、あれは主役を交替させる事で巧みに時代の変化に対応し、最後まで新鮮味を失いませんでした。対して『踊る』は、多少のメンバー・チェンジはあったものの、世界観は全く変わってない。
そう、観てる我々がとっくに飽きちゃったという、ごく単純な理由が一番大きいかも知れません。特に、笑いの取り方がもう、あまりに古臭い!
思えば、全てが同じパターンの繰り返し。よしもと新喜劇だって15年も経てば内容変わってまっせ! 池乃めだかさんのイジリ方だって巧みに角度を変えてますよw
そのマンネリを象徴するのが、北村総一郎さんらの「スリー・アミーゴス」で、そういう愛称が定着すること自体、ドラマの本質を見失う原因の一つになってると私は思いますね。もはや、彼らが画面に映るだけで寒くなっちゃいます。
第二に、こないだの『仮面ライダー』や『スケバン刑事』と一緒で、キャラクターに魂がこもってない事。ただストーリー展開に合わせて動かされるチェスの駒だから、感情移入も出来ないし魅力も感じられない。
最初のTVシリーズは違ってた筈です。最大の魅力はキャラクターにありました。それはもう、TVシリーズで描き切っちゃったんでしょう。映画版の青島刑事には魂を感じられません。
それは創り手達の姿勢そのものを反映してると思います。TVシリーズの時は、『太陽にほえろ!』が築いた刑事ドラマの常識を全て覆し、全く新しい刑事物を創り上げる事に、彼らは夢中になってた筈です。
実際、脚本の君塚良一さんは「スタッフ一同、このドラマはカルトになるかも知れないけど、数字は取れないよねって言いながら創ってた」みたいな証言をされてます。TVシリーズの時は、覚悟を決めて「いいものを創る」事を最優先してたワケです。
そう、その時にはまだ、亀山ビッチにもクリエイターとしての気概があった。ところが予想外に視聴率が上がって来て、ヤツの中に商売人としての野心がチョメチョメと芽生えてしまった。
これも君塚さんの証言ですが「最終回で視聴率20%を超えたら映画化の許可が下りる」と亀山が言いだし、最終2話で彼らは反則を犯したんです。ユースケくんが撃たれて瀕死の重傷を負う… つまり、タブーにして来た筈の『太陽にほえろ!』的アプローチを取り入れてしまった。
君塚さんは迷ったそうです。それをやっちゃうと創り手としてのポリシーを曲げる、すなわち商売を優先して魂を売っちゃう事になりはしないか?って。
それでも、映画化の誘惑に負けて、彼らは決行した。観てる我々は確かに興奮しましたよ。特に私は嬉しかったです。『踊る』もやっぱり『太陽』の子供である事を実感出来ましたから。
だけど今思えば、その時から『踊る』は変わったんです。いいものを創る事よりも、数字を稼ぐ事を優先するようになった。狙いどおり最終回は20%を超え、映画化が決まりました。その時に亀山は、こう宣言したそうです。
「劇場版は当てに行きますよ!」
そして『踊る大捜査線』は、ヒットさせる事だけが目的で作られる「商品」に変貌したワケです。そういうのはねぇ、やっぱり画面から伝わって来るもんなのです。
劇場版の最初の2作を観た時、私は怒りました。怒り狂いましたよホントに。新しいもの、純粋にいいものを創ろうとする心意気が完全に消え失せて、あからさまに女性客やファミリー層が喜ぶエサをふりまくだけの、亀山の商売道具になり下がってしまったんだから。
本気で愛した女性が、ただお金の為に体を売っちゃったのと同じで、亀山はそれを斡旋するヒモみたいなもんですよ! つくづく許さんぞ亀山ぁーっ!!(超絶ハイパー激怒)
まぁ、そういう裏側の話は抜きにしても、『踊る』のTVシリーズで一番胸を打たれたのは、ノンキャリアの青島刑事(オダ・ユージ)と、キャリア中のキャリアである室井監査官(ギバちゃん)との確執が、対立を繰り返した末に熱い友情へと変化する、その過程でした。私は泣きましたよホントに。
だから、最終回で二人が固い握手を交わした時点で『踊る』は完結してるんです。いくら斬新であっても、根っこにスタンダードな熱い人間ドラマがあったからこそ、あの番組は大衆の心をつかんだのだと私は思います。
それが映画版ではあろう事か、後日談であるにも関わらず、ユージとギバちゃんの関係は振り出しに戻っちゃった! そりゃ犬猿の仲にもなるってもんですw
そう、映画をヒットさせる為に亀山が選んだ道は、TVシリーズの焼直しです。ユースケ君の代わりに、今度はユージ君が重傷を負いました。
『2』では深津さんが重傷を負い、まさかまさかの「劣化コピーのさらに劣化コピー」を敢行! プライドがあるなら、キャラクターに愛を感じてるクリエイターなら、こんな事は絶対に出来ませんよ。
私は本当に愕然としました。あんなに斬新な刑事ドラマを、数字を無視して生み出した熱いクリエイター達が、売る為だったら何だってやっちゃるぴょ〜ん!てな調子で完全に開き直ってる。
さらに愕然としたのは、そんな商品が日本映画史上に燦然と輝く、歴代1位のスーパー・ウルトラ大ヒット!という破滅的な現実ですよ。
お前もそれに乗っかった観客の一人じゃないかと言われそうだけど、それは断じて違う。私は『踊る大捜査線』が本気で好きだったから、今度こそあの興奮を再び…ていう希望を抱いて、劇場に足を運んだワケです。
そういう観客に罪は無い。どちらかと言えば被害者ですよ、サノバ亀山ビッチ詐欺師のクソ乳首チョメチョメ野郎に騙された、哀れな被害者です。
だけど、そんな根っからのファンだけじゃ、あんな異常なヒットにはなりません。大半は『踊る大捜査線』というブランド名に食い付いただけの、便乗客です。内容はどーでも良くて、ただイベントに参加したいだけのお祭り大好き人間の皆さんです。
そして亀山はもはや、そういう人達にしか眼を向けてない。残念ながら君塚さんも、ここまで来れば同類でしょう。クリエイターとしての誇りは、TVシリーズ最終2話の時点で捨てちゃったワケです。好きなライターさんだったのに、本当に残念でなりません。
劇場版2本で劣化コピーを繰り返したワケですから、3作目になると違う事をするしか無い。でも、君塚さんなら分かってた筈です。『踊る』で描ける事はもう、何も残ってない事を。今回のTVスペシャルを観て、私はそれを確信しました。
ユージ君たちは本当に、これが面白いと思って演じてるんでしょうか? それが不思議でなりません。脚本を読み取る力があれば、いい作品になりようが無い事はすぐに判ると思うのですが…
出演してる役者さん個々は好きな人ばっかりなのに、この映画で演じてる姿はもはや、ただの馬鹿にしか見えないです。まぁ、生活の為には仕方のない事なんでしょう。皆さん大人ですからね…
でも「『踊る』を愛してくれたファンの皆さんの為に」なんて台詞だけは、絶対に聞きたくないです。あなた達のやってる事は全くの逆で、裏切り行為に等しいし、恥の上塗りですよ。
お祭り大好きチョメチョメ人間の皆さんも、いくら何でも気づいて下さいよ、今度こそホントに。歴代1位の記録更新!なんて事に万が一なった日にゃあ、わたしゃ風俗にでも行ってチョメチョメしちゃいますからね。
祈・大ヒット!(笑)
その中でも特に彼を嫌うのは、上記の様な批判に対してどう思うかをインタビューで問われた際に、こう答えたからです。
「それはハリウッドが先にやり始めた事で、我々はハリウッドの真似をしてるだけなんですよ(笑)」
常日頃から「ハリウッド映画の劣化コピー」と揶揄されてる事を踏まえた、小粋なジョークのつもりで言ったのかも知れません。だけど、それにしたって不誠実にも程があるでしょう?
商売人としては許せても、クリエイターの発言としては断じて許せません。それ以来、こいつの映画だけは(多部ちゃんが出てない限り)有料では絶対に観ないし、でもTV放映の際にはブログに悪口を書く為にどんどん観ようとw、心に誓った私です。
でもねぇ、『踊る大捜査線』だけは別格なんです。過去、何度となく書いて来ましたが、私は最初のTVシリーズにどっぷりハマり、『太陽にほえろ!』に次ぐ傑作がついに現れた!って、本気で思ってましたから。
それが映画になった途端、まるで魂を抜かれたみたいに空疎なイベント商品に変貌しちゃった。劇場版『3』を観た時、私は「やっぱり、駄目だこりゃ」ってサジを投げたんだけど、それでも、一度愛した作品の行く末はどうしても気になっちゃう。
『3』は亀山の問題発言を聞く前に観ましたから、私情を抜きにして冷静に判断出来ましたけど、あれはもう、本当につまんない映画でした。
例に挙げて申し訳ないですが、天下のアイドルだった天地真理さんが変わり果てた姿で芸能界に復帰した、あの時に味わった切なさを思い出したもんです。…って、この例えは古過ぎますか?w
『踊る…』って、こんなにつまんなかったっけ? 今あらためて最初のTVシリーズを観直したら、やっぱりつまんないのかな? 自分も詐欺師クソ乳首チョメチョメ野郎の亀山ビッチに、まんまと騙されただけなのか?…なんて、真剣に悩みましたよホントに。
で、こないだ、劇場版『ファイナル』に先がけて、TV版の新作スペシャル『踊る大捜査線 LAST TV』が放映されました。もう劇場へは断じて行かないけど、テレビはタダですから観てみる事にしました。
『踊る…』は本来、TVドラマです。もしかすると、映画館でお金を払って大画面で観るからつまんない(映画向きの内容ではない)のであって、テレビなら楽しんで観られるのかも?なんて、性懲りもなくw僅かな期待もしてたんですよ、私は。
どなたか御覧になった方、おられます? どう感じられました? もうねぇ、ホントにねぇ、超絶につまんなかったです! 回を重ねる毎に、輪をかけてつまんなくなってる!! これは一体、どういう事なんでしょうか?
亀山ビッチへの私憤は出来るだけ忘れて観ましたけど、スリルも感動も一切無く、コメディーとしてもセンス最悪でクスリとも笑えない、全く空疎な2時間でした。これ、映画の宣伝としては完全に逆効果じゃないですか?
かつて、あんなに面白いと私は感じた連ドラと、ほとんど同じスタッフ&キャストなのに、ここまで絶望的につまんないなんて事が有り得るのか!? ホントに悪夢を見てる気分でした。
そこまで印象が変わっちゃった理由を、今回は冷静になって考えてみました。まず『踊る』TVシリーズが始まったのは15年も前の事で、とっくに時代遅れになってる事が第一に挙げられます。
『太陽にほえろ!』も同じく15年(しかも休みなく)続いた番組ですが、あれは主役を交替させる事で巧みに時代の変化に対応し、最後まで新鮮味を失いませんでした。対して『踊る』は、多少のメンバー・チェンジはあったものの、世界観は全く変わってない。
そう、観てる我々がとっくに飽きちゃったという、ごく単純な理由が一番大きいかも知れません。特に、笑いの取り方がもう、あまりに古臭い!
思えば、全てが同じパターンの繰り返し。よしもと新喜劇だって15年も経てば内容変わってまっせ! 池乃めだかさんのイジリ方だって巧みに角度を変えてますよw
そのマンネリを象徴するのが、北村総一郎さんらの「スリー・アミーゴス」で、そういう愛称が定着すること自体、ドラマの本質を見失う原因の一つになってると私は思いますね。もはや、彼らが画面に映るだけで寒くなっちゃいます。
第二に、こないだの『仮面ライダー』や『スケバン刑事』と一緒で、キャラクターに魂がこもってない事。ただストーリー展開に合わせて動かされるチェスの駒だから、感情移入も出来ないし魅力も感じられない。
最初のTVシリーズは違ってた筈です。最大の魅力はキャラクターにありました。それはもう、TVシリーズで描き切っちゃったんでしょう。映画版の青島刑事には魂を感じられません。
それは創り手達の姿勢そのものを反映してると思います。TVシリーズの時は、『太陽にほえろ!』が築いた刑事ドラマの常識を全て覆し、全く新しい刑事物を創り上げる事に、彼らは夢中になってた筈です。
実際、脚本の君塚良一さんは「スタッフ一同、このドラマはカルトになるかも知れないけど、数字は取れないよねって言いながら創ってた」みたいな証言をされてます。TVシリーズの時は、覚悟を決めて「いいものを創る」事を最優先してたワケです。
そう、その時にはまだ、亀山ビッチにもクリエイターとしての気概があった。ところが予想外に視聴率が上がって来て、ヤツの中に商売人としての野心がチョメチョメと芽生えてしまった。
これも君塚さんの証言ですが「最終回で視聴率20%を超えたら映画化の許可が下りる」と亀山が言いだし、最終2話で彼らは反則を犯したんです。ユースケくんが撃たれて瀕死の重傷を負う… つまり、タブーにして来た筈の『太陽にほえろ!』的アプローチを取り入れてしまった。
君塚さんは迷ったそうです。それをやっちゃうと創り手としてのポリシーを曲げる、すなわち商売を優先して魂を売っちゃう事になりはしないか?って。
それでも、映画化の誘惑に負けて、彼らは決行した。観てる我々は確かに興奮しましたよ。特に私は嬉しかったです。『踊る』もやっぱり『太陽』の子供である事を実感出来ましたから。
だけど今思えば、その時から『踊る』は変わったんです。いいものを創る事よりも、数字を稼ぐ事を優先するようになった。狙いどおり最終回は20%を超え、映画化が決まりました。その時に亀山は、こう宣言したそうです。
「劇場版は当てに行きますよ!」
そして『踊る大捜査線』は、ヒットさせる事だけが目的で作られる「商品」に変貌したワケです。そういうのはねぇ、やっぱり画面から伝わって来るもんなのです。
劇場版の最初の2作を観た時、私は怒りました。怒り狂いましたよホントに。新しいもの、純粋にいいものを創ろうとする心意気が完全に消え失せて、あからさまに女性客やファミリー層が喜ぶエサをふりまくだけの、亀山の商売道具になり下がってしまったんだから。
本気で愛した女性が、ただお金の為に体を売っちゃったのと同じで、亀山はそれを斡旋するヒモみたいなもんですよ! つくづく許さんぞ亀山ぁーっ!!(超絶ハイパー激怒)
まぁ、そういう裏側の話は抜きにしても、『踊る』のTVシリーズで一番胸を打たれたのは、ノンキャリアの青島刑事(オダ・ユージ)と、キャリア中のキャリアである室井監査官(ギバちゃん)との確執が、対立を繰り返した末に熱い友情へと変化する、その過程でした。私は泣きましたよホントに。
だから、最終回で二人が固い握手を交わした時点で『踊る』は完結してるんです。いくら斬新であっても、根っこにスタンダードな熱い人間ドラマがあったからこそ、あの番組は大衆の心をつかんだのだと私は思います。
それが映画版ではあろう事か、後日談であるにも関わらず、ユージとギバちゃんの関係は振り出しに戻っちゃった! そりゃ犬猿の仲にもなるってもんですw
そう、映画をヒットさせる為に亀山が選んだ道は、TVシリーズの焼直しです。ユースケ君の代わりに、今度はユージ君が重傷を負いました。
『2』では深津さんが重傷を負い、まさかまさかの「劣化コピーのさらに劣化コピー」を敢行! プライドがあるなら、キャラクターに愛を感じてるクリエイターなら、こんな事は絶対に出来ませんよ。
私は本当に愕然としました。あんなに斬新な刑事ドラマを、数字を無視して生み出した熱いクリエイター達が、売る為だったら何だってやっちゃるぴょ〜ん!てな調子で完全に開き直ってる。
さらに愕然としたのは、そんな商品が日本映画史上に燦然と輝く、歴代1位のスーパー・ウルトラ大ヒット!という破滅的な現実ですよ。
お前もそれに乗っかった観客の一人じゃないかと言われそうだけど、それは断じて違う。私は『踊る大捜査線』が本気で好きだったから、今度こそあの興奮を再び…ていう希望を抱いて、劇場に足を運んだワケです。
そういう観客に罪は無い。どちらかと言えば被害者ですよ、サノバ亀山ビッチ詐欺師のクソ乳首チョメチョメ野郎に騙された、哀れな被害者です。
だけど、そんな根っからのファンだけじゃ、あんな異常なヒットにはなりません。大半は『踊る大捜査線』というブランド名に食い付いただけの、便乗客です。内容はどーでも良くて、ただイベントに参加したいだけのお祭り大好き人間の皆さんです。
そして亀山はもはや、そういう人達にしか眼を向けてない。残念ながら君塚さんも、ここまで来れば同類でしょう。クリエイターとしての誇りは、TVシリーズ最終2話の時点で捨てちゃったワケです。好きなライターさんだったのに、本当に残念でなりません。
劇場版2本で劣化コピーを繰り返したワケですから、3作目になると違う事をするしか無い。でも、君塚さんなら分かってた筈です。『踊る』で描ける事はもう、何も残ってない事を。今回のTVスペシャルを観て、私はそれを確信しました。
ユージ君たちは本当に、これが面白いと思って演じてるんでしょうか? それが不思議でなりません。脚本を読み取る力があれば、いい作品になりようが無い事はすぐに判ると思うのですが…
出演してる役者さん個々は好きな人ばっかりなのに、この映画で演じてる姿はもはや、ただの馬鹿にしか見えないです。まぁ、生活の為には仕方のない事なんでしょう。皆さん大人ですからね…
でも「『踊る』を愛してくれたファンの皆さんの為に」なんて台詞だけは、絶対に聞きたくないです。あなた達のやってる事は全くの逆で、裏切り行為に等しいし、恥の上塗りですよ。
お祭り大好きチョメチョメ人間の皆さんも、いくら何でも気づいて下さいよ、今度こそホントに。歴代1位の記録更新!なんて事に万が一なった日にゃあ、わたしゃ風俗にでも行ってチョメチョメしちゃいますからね。
祈・大ヒット!(笑)