こないだ削除しちゃった「自殺考」という記事で言いたかった事を要約しますと、自殺した同僚のA君と私には共通する部分が多々あって、ただ一つ大きな違いは、私には映画創りという心の支えがあって、そこから人間関係も築けたこと。
その元を辿れば『太陽にほえろ!』というドラマを骨の髄まで愛した事が出発点で、それに対してA君には、心底から好きになれるもの(人も含む)が無かった。本人がそう言ってただけで、本当にそうだったかどうかは確かめようが無いですが…
A君の言葉を信じるなら、それこそがA君と私…つまり死ぬか生きるかの大きな分岐点だったんじゃないかと、私は思った次第です。『太陽』に出会わなければ、私もとっくに自殺してたかも知れません。
自己嫌悪に陥ったり、投げやりになってしまう様な事は、誰にだってあります。そんな時に「でも、自分には大切なコレがあるから」って言えるものが、有るか無いかで運命は大きく変わっちゃう。
自殺と殺人は紙一重、表裏一体だと私は思います。ただ自分を殺すか他者を殺すかの違いだけで、その原動力になるもの(怒りや絶望)は同じじゃないでしょうか?
生意気ながら、昨年の話題作『悪人』(やっと観ました)が伝えようとするメッセージは、私が「自殺考」で言いたかった事と全く同じだと感じました。
根は優しいのに感情表現が下手(母親に見捨てられた過去あり)で、すぐにカッとなっちゃう悪癖がある主人公(妻夫木聡)。
彼は出会い系サイトで知り合ったOL(満島ひかり)からコケにされ、罵られ、脅迫までされて感情のコントロールを失い、勢いで殺しちゃうんだけど、その後で孤独なヒロイン(深津絵里)と出会い、惹かれ合う。
深津さんを本気で好きになって初めて、彼は自分の犯した罪の重さに気づき、激しく動揺します。彼女に出会うまでは平常心を保っていたのに!
「もっと早く出会えてたら、こんな事にはならなかった…」
それまでの妻夫木くんには、心から大切に思えるものが、何も無かった。だから人の痛みも解らなかった。
もし、もっと早く深津さんと出会ってたら、満島さんと仮に同じシチュエーションになったとしても、彼の怒りが暴走する事は無かったでしょう。いくらコケにされようが、自分には大切な人がいる。その想いが食い止めた筈です。
出会う前の妻夫木くんと深津さん、殺された満島さん、そしてそのきっかけを作ったボンボンの最低野郎(岡田将生)。この4人に共通するのは、心から大切に思えるものが何も無かった事です。
一番の被害者である満島さんも、客観的に見れば自分で殺される原因を作ってます。妻夫木くんと適当に遊びながら、ボンボンの最低野郎に熱を上げたのがそもそもの間違い。
あんなクソ乳首野郎に熱を上げる神経が全く理解出来ないんだけど、それも結局、彼女の心を支えるものが、何も無かったせいだと私は思います。
何も無いから、ルックスや収入でしか男の価値を計れない。心を支える何かが無いってのは「自分が無い」とも言い換えられます。自分が無い人ほど、自分や他者の価値を表面的にしか計れない。だから見栄を張るし、すぐに他者をバカにする。
自分が無い人は、同じく自分が無い人に惹かれるもんなのでしょうか? 究極に自分が無い最低クソ乳首野郎に満島さんが惹かれ、その満島さんに妻夫木くんが惹かれたから、悲劇が起こってしまった。
最低クソ乳首野郎から罵詈雑言を浴びせられた上に車から蹴落とされた満島さんは、後をつけて来た妻夫木くんに、その欝憤を全てぶつけました。心の支えを持たない三人が、人けの無い場所で絡んでしまったがゆえに起こった、まるで事故みたいな殺人です。
満島さんの父親(柄本明)は、最低クソ乳首野郎を殺そうとしますが、あまりに空っぽなクソ乳首の言動を見て、考えを変えました。
「お前は、そのまま生きろ」
私は、目からウロコが落ちました。そうか、この手があったか!w 最低クソ乳首野郎は、最低クソ乳首野郎のまま放っておけば、必ずや自滅する。少なくとも、本当の幸せは一生訪れないだろうと判断したのでしょう。
『さまよう刃』の犯人みたいな殺人鬼なら放っとくワケにもいかないけど、こいつは他者をバカにするしか能が無いボンボンの最低クソ乳首チョメチョメ野郎です。殺して自分が裁かれるより、放っておくのが得策ってワケです。
それにしても、柄本さんが殺人被害者の父親を演じて、その娘役が満島さんと来たら、昨年の傑作ドラマ『それでも、生きてゆく』を思い出さずにはいられません。
妻夫木くん=加害者の祖母(樹木希林)が味わう地獄も描かれて、でもめげずにしぶとく生きようとする希林さんの姿が力強くて、まさに「それでも、生きてゆく」でした。
本作に特別な「悪人」は出て来ません。強いて言うなら希林さんから大金を巻き上げる悪徳商法の連中が純粋な悪党と呼べそうだけど、後はどこにでも普通に暮らしてるような人間ばかりです。
悪は誰の心にも潜んでる。明日、私やあなたが「悪人」と呼ばれる羽目になる出来事が、起こらない保障はどこにも無いんです。
自分の中に潜む悪を解放しちゃうか否かは、大切な何かを見つける事が出来るかどうかに懸かってる。作者はそれを伝えたかったんじゃないでしょうか?
妻夫木くん、深津さんはじめ、キャスト陣は本当に素晴らしかったです。特に、最低クソ乳首チョメチョメ野郎を演じた岡田将生くん!w
ここまで酷い奴が現実にいるか?と思えるキャラに、見事に実在感を息吹かせてくれました。今までただの「つまらないルックスの若手俳優」の一人としか見てなかったけど、見事な乳首っぷりで見直しましたよ。ほんと死んで欲しかったw
そして、私も好きな『フラガール』で有名になった、李相白監督の卓越した演出力!
刑事ドラマや2時間サスペンスを観てて、私がいつもゲンナリしちゃう場面があります。殺人被害者の遺体を、その肉親が刑事に付き添われながら確認するシチュエーションです。
ワンパターンにも程があるでしょう? 大抵、母親が号泣しながら「どうして!? どうしてなの!? 翔太ぁ〜っ!!」みたいなw その泣き崩れるタイミングから姿勢から、それを眺めてる刑事のリアクションまで、どの番組もだいたい似たり寄ったり。
ほかに見せ方は無いんかい!?って、いつも思うんですよね。基本的に辛気臭い芝居が嫌いなもんだから、余計にウンザリしちゃう。
志の高い創り手なら、こういう凡庸になりがちな場面を、なんとか違ったやり方で表現するすべは無いものか?って、頭をひねる筈です。だから、監督の力量を計る絶好のバロメーターにもなるんですよね。
この映画にも、柄本さん&宮崎美子さん夫妻が娘・満島さんの遺体と対面する場面があります。これは是非、作品を観て確認して頂きたいのですが、きっと現実はこんな感じなんだろなぁって思える、珍しくもリアルな演出でした。
それは演じてるのが柄本さんや宮崎さんだからこそリアルなんであって、刑事ドラマの端役俳優さんだと成立しづらいかも知れませんが…
ごくシンプルなプロットながら、明確なメッセージと的確な演出、優秀なスタッフとキャストが適材適所に揃えば、自ずと見応えある作品が生まれるという見本ですね。
なにぶん重いストーリーではありますが、大切にしたい人と出会った事で、妻夫木くんが本来の優しい人間性を取り戻していく姿には、希望の光を感じます。
今、希望を失いかけてる人、自分を見失いそうになってる人にこそ、この映画はオススメしたいです。
その元を辿れば『太陽にほえろ!』というドラマを骨の髄まで愛した事が出発点で、それに対してA君には、心底から好きになれるもの(人も含む)が無かった。本人がそう言ってただけで、本当にそうだったかどうかは確かめようが無いですが…
A君の言葉を信じるなら、それこそがA君と私…つまり死ぬか生きるかの大きな分岐点だったんじゃないかと、私は思った次第です。『太陽』に出会わなければ、私もとっくに自殺してたかも知れません。
自己嫌悪に陥ったり、投げやりになってしまう様な事は、誰にだってあります。そんな時に「でも、自分には大切なコレがあるから」って言えるものが、有るか無いかで運命は大きく変わっちゃう。
自殺と殺人は紙一重、表裏一体だと私は思います。ただ自分を殺すか他者を殺すかの違いだけで、その原動力になるもの(怒りや絶望)は同じじゃないでしょうか?
生意気ながら、昨年の話題作『悪人』(やっと観ました)が伝えようとするメッセージは、私が「自殺考」で言いたかった事と全く同じだと感じました。
根は優しいのに感情表現が下手(母親に見捨てられた過去あり)で、すぐにカッとなっちゃう悪癖がある主人公(妻夫木聡)。
彼は出会い系サイトで知り合ったOL(満島ひかり)からコケにされ、罵られ、脅迫までされて感情のコントロールを失い、勢いで殺しちゃうんだけど、その後で孤独なヒロイン(深津絵里)と出会い、惹かれ合う。
深津さんを本気で好きになって初めて、彼は自分の犯した罪の重さに気づき、激しく動揺します。彼女に出会うまでは平常心を保っていたのに!
「もっと早く出会えてたら、こんな事にはならなかった…」
それまでの妻夫木くんには、心から大切に思えるものが、何も無かった。だから人の痛みも解らなかった。
もし、もっと早く深津さんと出会ってたら、満島さんと仮に同じシチュエーションになったとしても、彼の怒りが暴走する事は無かったでしょう。いくらコケにされようが、自分には大切な人がいる。その想いが食い止めた筈です。
出会う前の妻夫木くんと深津さん、殺された満島さん、そしてそのきっかけを作ったボンボンの最低野郎(岡田将生)。この4人に共通するのは、心から大切に思えるものが何も無かった事です。
一番の被害者である満島さんも、客観的に見れば自分で殺される原因を作ってます。妻夫木くんと適当に遊びながら、ボンボンの最低野郎に熱を上げたのがそもそもの間違い。
あんなクソ乳首野郎に熱を上げる神経が全く理解出来ないんだけど、それも結局、彼女の心を支えるものが、何も無かったせいだと私は思います。
何も無いから、ルックスや収入でしか男の価値を計れない。心を支える何かが無いってのは「自分が無い」とも言い換えられます。自分が無い人ほど、自分や他者の価値を表面的にしか計れない。だから見栄を張るし、すぐに他者をバカにする。
自分が無い人は、同じく自分が無い人に惹かれるもんなのでしょうか? 究極に自分が無い最低クソ乳首野郎に満島さんが惹かれ、その満島さんに妻夫木くんが惹かれたから、悲劇が起こってしまった。
最低クソ乳首野郎から罵詈雑言を浴びせられた上に車から蹴落とされた満島さんは、後をつけて来た妻夫木くんに、その欝憤を全てぶつけました。心の支えを持たない三人が、人けの無い場所で絡んでしまったがゆえに起こった、まるで事故みたいな殺人です。
満島さんの父親(柄本明)は、最低クソ乳首野郎を殺そうとしますが、あまりに空っぽなクソ乳首の言動を見て、考えを変えました。
「お前は、そのまま生きろ」
私は、目からウロコが落ちました。そうか、この手があったか!w 最低クソ乳首野郎は、最低クソ乳首野郎のまま放っておけば、必ずや自滅する。少なくとも、本当の幸せは一生訪れないだろうと判断したのでしょう。
『さまよう刃』の犯人みたいな殺人鬼なら放っとくワケにもいかないけど、こいつは他者をバカにするしか能が無いボンボンの最低クソ乳首チョメチョメ野郎です。殺して自分が裁かれるより、放っておくのが得策ってワケです。
それにしても、柄本さんが殺人被害者の父親を演じて、その娘役が満島さんと来たら、昨年の傑作ドラマ『それでも、生きてゆく』を思い出さずにはいられません。
妻夫木くん=加害者の祖母(樹木希林)が味わう地獄も描かれて、でもめげずにしぶとく生きようとする希林さんの姿が力強くて、まさに「それでも、生きてゆく」でした。
本作に特別な「悪人」は出て来ません。強いて言うなら希林さんから大金を巻き上げる悪徳商法の連中が純粋な悪党と呼べそうだけど、後はどこにでも普通に暮らしてるような人間ばかりです。
悪は誰の心にも潜んでる。明日、私やあなたが「悪人」と呼ばれる羽目になる出来事が、起こらない保障はどこにも無いんです。
自分の中に潜む悪を解放しちゃうか否かは、大切な何かを見つける事が出来るかどうかに懸かってる。作者はそれを伝えたかったんじゃないでしょうか?
妻夫木くん、深津さんはじめ、キャスト陣は本当に素晴らしかったです。特に、最低クソ乳首チョメチョメ野郎を演じた岡田将生くん!w
ここまで酷い奴が現実にいるか?と思えるキャラに、見事に実在感を息吹かせてくれました。今までただの「つまらないルックスの若手俳優」の一人としか見てなかったけど、見事な乳首っぷりで見直しましたよ。ほんと死んで欲しかったw
そして、私も好きな『フラガール』で有名になった、李相白監督の卓越した演出力!
刑事ドラマや2時間サスペンスを観てて、私がいつもゲンナリしちゃう場面があります。殺人被害者の遺体を、その肉親が刑事に付き添われながら確認するシチュエーションです。
ワンパターンにも程があるでしょう? 大抵、母親が号泣しながら「どうして!? どうしてなの!? 翔太ぁ〜っ!!」みたいなw その泣き崩れるタイミングから姿勢から、それを眺めてる刑事のリアクションまで、どの番組もだいたい似たり寄ったり。
ほかに見せ方は無いんかい!?って、いつも思うんですよね。基本的に辛気臭い芝居が嫌いなもんだから、余計にウンザリしちゃう。
志の高い創り手なら、こういう凡庸になりがちな場面を、なんとか違ったやり方で表現するすべは無いものか?って、頭をひねる筈です。だから、監督の力量を計る絶好のバロメーターにもなるんですよね。
この映画にも、柄本さん&宮崎美子さん夫妻が娘・満島さんの遺体と対面する場面があります。これは是非、作品を観て確認して頂きたいのですが、きっと現実はこんな感じなんだろなぁって思える、珍しくもリアルな演出でした。
それは演じてるのが柄本さんや宮崎さんだからこそリアルなんであって、刑事ドラマの端役俳優さんだと成立しづらいかも知れませんが…
ごくシンプルなプロットながら、明確なメッセージと的確な演出、優秀なスタッフとキャストが適材適所に揃えば、自ずと見応えある作品が生まれるという見本ですね。
なにぶん重いストーリーではありますが、大切にしたい人と出会った事で、妻夫木くんが本来の優しい人間性を取り戻していく姿には、希望の光を感じます。
今、希望を失いかけてる人、自分を見失いそうになってる人にこそ、この映画はオススメしたいです。