こないだTV放映された、『浪花少年探偵団』と同じ東野圭吾さんによるベストセラー小説の映画化作品です。
これ、原作ファンには酷評されたみたいですね。メジャー邦画にしては真摯に創られてると私は感じましたけど、なにぶん原作を読んでないんで比較は出来ないし、比較しても仕方ないだろうと思います。
以下、物語の結末にまで触れますので、これから観る予定、あるいは原作を読む予定のある方は、閲覧を中止してチョメチョメして下さいm(__)m
男ヤモメの寺尾聰さんが、唯一の生き甲斐と言える一人娘を未成年グループに凌辱のうえ惨殺され、チャールズ・ブロンソンよろしく復讐の鬼となる。
グループと言っても二人+一人の協力者で、その協力者は二人の使い走りを何年もやらされ、恨みに思ってる。警察は徹底して犯人の身元を隠すんだけど、その協力者の密告により、寺尾さんは殺すべき相手の情報を得る。
一人目はあっさり殺せたものの、もう一人は軽井沢の廃ペンションにいるとの情報しか無く、殺す為にあちこち探し回る寺尾さんと、それを阻止する為に探す警察との追跡合戦が延々と続く。
こういう話は『太陽にほえろ!』にも多数あったし、決して新鮮味のあるネタではありません。それでも、どの部分にスポットを当て、どう描くのか、そしてどんな落とし前をつけるのか?という興味で、最後まで観ないではいられなくなります。
近年だとジョディー・フォスター主演の『ブレイブワン』が印象的でした。目前で夫を惨殺された妻の復讐を、阻止しようとしてた刑事が最後には彼女に手を貸し、証拠隠滅までしてあげちゃう。
ブロンソンやメルギブのアクション映画なら、あんな腐れ外道どもはぶっ殺せ!で済むんだけど、『ブレイブワン』や『さまよう刃』みたいにシリアスな社会派作品となると、そう単純にはいきません。
結末をどうするかで創り手のモラルが問われるし、観客の支持が得られるかどうかも大きく左右しちゃう。
『太陽にほえろ!』は、絶対に復讐を阻止してました。そこはもう、徹底してましたね。なぜなら『太陽』は、刑事の成長を描くドラマだから。復讐者への同情と職務との間で葛藤し、その試練を乗り越える刑事こそが主役だから。
そのせいか『ブレイブワン』は後味悪かったです。復讐は遂げさせてあげたいけど、刑事が手を貸しちゃうのは如何なものかと。彼が警察を辞めるつもりなら納得出来たかも知れませんが…
『さまよう刃』にも、寺尾さんへの同情と職務との間で葛藤する刑事(竹ノ内豊)が登場します。彼も最終的には、復讐に加担してしまう。
さらに、寺尾さんが宿泊したペンションの管理人父娘が、共に寺尾さんへの同情を示しながら、父は親の立場から復讐に協力し、娘は子の立場から復讐を阻止する行動(警察への通報)を起こす、という対比が面白かったです。
いや、親と子の立場よりも、男と女の違いかも知れないですね。父が殺人者になる事の方がつらいと思うのは、女性の思考。男だったら、もし自分が殺されたなら何としても仇をとって欲しいんじゃないでしょうか?
いや、でも母親が仇をとるなんて言いだしたら、それはやめて欲しいかな… 暴力による復讐ってのはやっぱり、良し悪しは別にして、男ならではの思考。戦争を起こすのも常に男ですもんね。
しかし、このペンション父娘の行動が、ちょっと唐突に感じました。特に父の方は、いつ寺尾さんが復讐者である事実に気づいたのか全く描かれなかったんで、最初はワケが分かりませんでした。(放映時にカットされたのかも知れないですが)
原作ファンの間でも、この辺りの描写不足に批判が集中してました。確かに、同情してるからこそ阻止したいという娘の心情は、もっと丁寧に描かれるべき要素だったかも知れません。
さて、それより問題は結末です。果たして寺尾さんの復讐は完遂されたのか?
寺尾さんは、警察とほぼ同時に犯人の少年を追い詰めました。手にはペンションの親父から貰った猟銃。警察は寺尾さんを射殺も止むなきの姿勢。
あかん、はよ撃て! 警察に撃たれるぞ! いや、こりゃもう撃たれるな… このシチュエーションだと、それ以外の展開はあり得ない…
やっぱり、寺尾さんは射殺されました。すぐに引き金を引いてたら、復讐は果たせてたのに…
その前夜、犯人の情報を密かに電話で伝えた竹ノ内刑事に、寺尾さんがこう言っていた事が、後に明かされます。
「今の法律(少年法)では犯人に極刑は与えられない。彼に自分のやった事を心底から後悔させるには、娘が味わったのと同じ恐怖を味わわせる… それしか方法は無いのかも知れない」
↑うろ覚えなんで言い回しは違ってると思いますが、要するに犯人を追い詰め、死の恐怖を味わわせる事で、寺尾さんは納得したワケです。そして、自分自身の罪は死をもって償った。
寺尾さんがそんな心境になるまでの過程も描写不足で、これもかなり唐突に感じましたが、それはとりあえず置いといて、この結末で皆さんは納得されるでしょうか?
私は甘いと思います。猟銃の銃口を向けられる恐怖が、凌辱され惨殺された娘の味わった恐怖に匹敵するとはとても思えないし、この程度で犯人が後悔して更正するなんて、夢物語もええとこです。
こういう結末にするなら仕方がない。けど、少年法や加害者保護の現状に問題提起するつもりなら、こんな甘い結末でお茶を濁してちゃ駄目でしょう?
犯人が反省するフリして陰でニヤリと笑い、すぐに社会復帰して次の犯行に及び、第二、第三の被害者が出てしまう。どうせ後味悪いなら、そこまで描かなきゃ意味が無いと私は思います。
原作からして消化不良なのかどうか私は知りませんが、結局何が言いたくて創られた映画なのか、よく分からなかったです。
死をもって制裁するしか道は無いと思い詰めた寺尾さんが、なんで犯人の中にあるかも知れない良心を信じちゃったのか? 我が娘を「ただの肉の塊として扱い」さんざん凌辱する様をビデオに撮影し、見るも無残なやり方で殺害した少年ですよ? 良心なんか乳首の先ほども持ち合わせてない。
じゃあ、どんな結末ならば納得出来るのか? すごく難しいけど、私はクリント・イーストウッド監督&主演の映画『グラン・トリノ』に、そのヒントがあると思います。
作品のテーマもシチュエーションも違うけど、暴力に対する報復を、暴力以外の方法で果たすにはどうすればいいかを、イーストウッド監督がそれこそ身体を張って描いてくれてます。
まぁしかし、私個人としては、あんな腐れ外道どもは一人残らずぶっ殺せ!に一票ユンピョウですけどね。守るべきものを全て失ったなら、それしか道は無いと私は思います。
これ、原作ファンには酷評されたみたいですね。メジャー邦画にしては真摯に創られてると私は感じましたけど、なにぶん原作を読んでないんで比較は出来ないし、比較しても仕方ないだろうと思います。
以下、物語の結末にまで触れますので、これから観る予定、あるいは原作を読む予定のある方は、閲覧を中止してチョメチョメして下さいm(__)m
男ヤモメの寺尾聰さんが、唯一の生き甲斐と言える一人娘を未成年グループに凌辱のうえ惨殺され、チャールズ・ブロンソンよろしく復讐の鬼となる。
グループと言っても二人+一人の協力者で、その協力者は二人の使い走りを何年もやらされ、恨みに思ってる。警察は徹底して犯人の身元を隠すんだけど、その協力者の密告により、寺尾さんは殺すべき相手の情報を得る。
一人目はあっさり殺せたものの、もう一人は軽井沢の廃ペンションにいるとの情報しか無く、殺す為にあちこち探し回る寺尾さんと、それを阻止する為に探す警察との追跡合戦が延々と続く。
こういう話は『太陽にほえろ!』にも多数あったし、決して新鮮味のあるネタではありません。それでも、どの部分にスポットを当て、どう描くのか、そしてどんな落とし前をつけるのか?という興味で、最後まで観ないではいられなくなります。
近年だとジョディー・フォスター主演の『ブレイブワン』が印象的でした。目前で夫を惨殺された妻の復讐を、阻止しようとしてた刑事が最後には彼女に手を貸し、証拠隠滅までしてあげちゃう。
ブロンソンやメルギブのアクション映画なら、あんな腐れ外道どもはぶっ殺せ!で済むんだけど、『ブレイブワン』や『さまよう刃』みたいにシリアスな社会派作品となると、そう単純にはいきません。
結末をどうするかで創り手のモラルが問われるし、観客の支持が得られるかどうかも大きく左右しちゃう。
『太陽にほえろ!』は、絶対に復讐を阻止してました。そこはもう、徹底してましたね。なぜなら『太陽』は、刑事の成長を描くドラマだから。復讐者への同情と職務との間で葛藤し、その試練を乗り越える刑事こそが主役だから。
そのせいか『ブレイブワン』は後味悪かったです。復讐は遂げさせてあげたいけど、刑事が手を貸しちゃうのは如何なものかと。彼が警察を辞めるつもりなら納得出来たかも知れませんが…
『さまよう刃』にも、寺尾さんへの同情と職務との間で葛藤する刑事(竹ノ内豊)が登場します。彼も最終的には、復讐に加担してしまう。
さらに、寺尾さんが宿泊したペンションの管理人父娘が、共に寺尾さんへの同情を示しながら、父は親の立場から復讐に協力し、娘は子の立場から復讐を阻止する行動(警察への通報)を起こす、という対比が面白かったです。
いや、親と子の立場よりも、男と女の違いかも知れないですね。父が殺人者になる事の方がつらいと思うのは、女性の思考。男だったら、もし自分が殺されたなら何としても仇をとって欲しいんじゃないでしょうか?
いや、でも母親が仇をとるなんて言いだしたら、それはやめて欲しいかな… 暴力による復讐ってのはやっぱり、良し悪しは別にして、男ならではの思考。戦争を起こすのも常に男ですもんね。
しかし、このペンション父娘の行動が、ちょっと唐突に感じました。特に父の方は、いつ寺尾さんが復讐者である事実に気づいたのか全く描かれなかったんで、最初はワケが分かりませんでした。(放映時にカットされたのかも知れないですが)
原作ファンの間でも、この辺りの描写不足に批判が集中してました。確かに、同情してるからこそ阻止したいという娘の心情は、もっと丁寧に描かれるべき要素だったかも知れません。
さて、それより問題は結末です。果たして寺尾さんの復讐は完遂されたのか?
寺尾さんは、警察とほぼ同時に犯人の少年を追い詰めました。手にはペンションの親父から貰った猟銃。警察は寺尾さんを射殺も止むなきの姿勢。
あかん、はよ撃て! 警察に撃たれるぞ! いや、こりゃもう撃たれるな… このシチュエーションだと、それ以外の展開はあり得ない…
やっぱり、寺尾さんは射殺されました。すぐに引き金を引いてたら、復讐は果たせてたのに…
その前夜、犯人の情報を密かに電話で伝えた竹ノ内刑事に、寺尾さんがこう言っていた事が、後に明かされます。
「今の法律(少年法)では犯人に極刑は与えられない。彼に自分のやった事を心底から後悔させるには、娘が味わったのと同じ恐怖を味わわせる… それしか方法は無いのかも知れない」
↑うろ覚えなんで言い回しは違ってると思いますが、要するに犯人を追い詰め、死の恐怖を味わわせる事で、寺尾さんは納得したワケです。そして、自分自身の罪は死をもって償った。
寺尾さんがそんな心境になるまでの過程も描写不足で、これもかなり唐突に感じましたが、それはとりあえず置いといて、この結末で皆さんは納得されるでしょうか?
私は甘いと思います。猟銃の銃口を向けられる恐怖が、凌辱され惨殺された娘の味わった恐怖に匹敵するとはとても思えないし、この程度で犯人が後悔して更正するなんて、夢物語もええとこです。
こういう結末にするなら仕方がない。けど、少年法や加害者保護の現状に問題提起するつもりなら、こんな甘い結末でお茶を濁してちゃ駄目でしょう?
犯人が反省するフリして陰でニヤリと笑い、すぐに社会復帰して次の犯行に及び、第二、第三の被害者が出てしまう。どうせ後味悪いなら、そこまで描かなきゃ意味が無いと私は思います。
原作からして消化不良なのかどうか私は知りませんが、結局何が言いたくて創られた映画なのか、よく分からなかったです。
死をもって制裁するしか道は無いと思い詰めた寺尾さんが、なんで犯人の中にあるかも知れない良心を信じちゃったのか? 我が娘を「ただの肉の塊として扱い」さんざん凌辱する様をビデオに撮影し、見るも無残なやり方で殺害した少年ですよ? 良心なんか乳首の先ほども持ち合わせてない。
じゃあ、どんな結末ならば納得出来るのか? すごく難しいけど、私はクリント・イーストウッド監督&主演の映画『グラン・トリノ』に、そのヒントがあると思います。
作品のテーマもシチュエーションも違うけど、暴力に対する報復を、暴力以外の方法で果たすにはどうすればいいかを、イーストウッド監督がそれこそ身体を張って描いてくれてます。
まぁしかし、私個人としては、あんな腐れ外道どもは一人残らずぶっ殺せ!に一票ユンピョウですけどね。守るべきものを全て失ったなら、それしか道は無いと私は思います。