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マルコチクビィーッチ!!

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うーん、あと10分だと言うのに変化なし… 不安になって来ました。

余談ですが、私が布施に住んでた頃、毎日ずっと改札付近をブラブラしてるホームレスっぽい兄ちゃんがいたんですけど、私が此処を去ってから10数年経つというのに、当時と変わらない姿で今もウロウロしている!

あれはもしかすると、私にしか見えてない幽霊なのか!?

とか言ってる内に、あと3分ですよ!? 改札付近じゃない場所なのか?

☆☆☆☆☆☆☆

マルコチクビィーチ!! とうとう19時半を回っちゃいましたが、全く変化なし! 気配すらありません。外は雨、もしかして中止? いや、夏ドラマを真冬に撮るような強行スケジュールなのに、この程度の雨で中止にはせんでしょう。

それにしても、追っかけがいない。やっぱり商店街の方? 動くべきか耐えるべきか?

☆☆☆☆☆☆☆

駅員さんに尋ねてみたら、撮影の話は聞いてないとの事。ジョボチクビィーッチ!! 商店街を探してみます。

☆☆☆☆☆☆☆

いたーっ! 商店街にいました! マルコチクビィーッチ!!

多部ちゃん、小池くん、段田安則さんを確認!

リハーサルを終えて、いま多部ちゃんは車内待機中!

なんとかリハ姿を写メしたいと思いましたが、スタッフ総出でガードされて無理っぽいです。特に私は眼を血走らせてるもんだから、マークされてますね

続きは後ほど!

関西弁やったで!

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撮影はやっぱり商店街でした。なんと、かつて私が専門学校の卒業製作映画でロケしたのと同じ場所ですよ! マジな話です。

例によって主演してた私が、歩く場面を撮った場所です。でも、絵になる場所ってのは限られてますから、これはまぁ布施で撮るなら必然な事かも知れません。

多部ちゃんを写メに収めるのはまず不可能っぽいので、画像はスタッフさんがモニターをチェックしてる図です。

左から多部ちゃん、小池くん、段田さんが写ってますが、判りませんよねw

リハーサルの時なんで多部ちゃんは黒のパーカーを羽織ってますが、本番は短いGジャンの下に豹柄っぽいシャツ、緑のジャージ・パンツ、けっこう高いハイヒールという出で立ちでした。ジャージにハイヒール?w

前髪はワンコ並みに短く、軽くカーリー?のかかった感じでした。噂どおり、ちょっとお顔がふっくらしてますね。ほっぺにオデキもあるようです。

3人で商店街を歩きながら、多部ちゃんが大阪弁で小池くんと段田さんを叱ってる場面wでした。(多部ちゃんはママチャリを押しながらです)

「家の前に犬のフン置いて〜」とか「それでも刑事か!」「まともに捜査も出来んのか!」みたいな台詞を、見事な関西弁でキメてました。

かなりギャラリーも集まり、その処理に手間取って撮影はスムーズには進みませんが、演技NGは一切ありませんでした。

キャラリーの大部分は小池くん目当ての女子でしたが、みんな小池くんを見ると異口同音に「小っちゃ!」「小っちゃいなー」って、ほっといたれや!w

もちろん今や多部ちゃんを見て「誰?」って言うのはお年寄りぐらいで、特に小学生女子らが「ワンコや! ワンコin大阪や!」って言ってたのが笑えましたw

そのシーンが終了して撤収が告げられましたが、情報だと22時過ぎまで撮影する筈だし、スタッフがやたらゆっくり移動するんで、これはギャラリーを帰らせる為のダミー解散だな、と思って張ってたら案の定、第2弾がありました。

今度はなんと、風呂桶を抱えて走る、多部ちゃんと小池くん! 銭湯帰りの設定らしく、多部ちゃんは髪をアップにして、白いTシャツに夏用のカーディガン、グレーのジーパンという出で立ちで、めっちゃ寒そう! 夏放映のドラマなんですよねぇ… 役者さんはホント大変です。

まず小池くん、次に多部ちゃんの走りを個別に撮って、それから二人が並んで走って、多部ちゃんの「話は後や! 後でな!」って台詞で二手に別れるカットを撮影。

多部ちゃんが最後、カメラにぶつかりそうになったり、ちょっと足が滑ったりする度に、ケラケラ笑うのがメチャクチャ可愛くて、萌えーw 見学仲間の女子達からも「可愛い!」「めっちゃ可愛いな」の声が。小池くんの負けw 誰か段田さんにもリアクションしたれよw

終電の時間もあるので、私はそのカットがOKになった時点で現場を後にしましたが、撮影はもうちょい続く様子でした。

さて、多部ちゃんを生で見て、生の声を聞き、多部ちゃん走り(しかも湯上がりスタイル!)を生で見られただけで、行った甲斐は十二分にあったのですが…

自慢させてください! あるいは叱られるかも知れないですが…

第1弾の場面がOKになり、多部ちゃんが待機車に戻る際、私の目の前、ほとんど1メートルの距離を、多部ちゃんが通過しようとした時です!

一瞬、シャッター・チャンス!と思ったけど、とっさに手よりも、口が動いてしまったのです。

「多部さん! 多部さん! 『サロメ』観に行きますよ!」

この場で掛ける言葉として、それが適切だったかどうかは分かりません。でも、もし声を掛けるチャンスがあるなら「がんばって」とかありきたりな事を言うよりも、ファンならではの言葉の方が反応してくれるかも?って、事前に漠然と考えてはいたんです。

多部ちゃんは、こちらを見てくれました。眼が合いました! でも、ノー・リアクションでしたw ほんの少しだけ頭を下げてはくれましたが…

例によって、ちょっと困ったような微笑が、一瞬だけ浮かんだような気はしましたけど、気のせいかも知れません。ただ「きもっ!」って思われただけかも知れません。

危険な賭けでした。ここで多部ちゃんの眉間にシワが寄ったりしたら、私は自分の中で大事な何かを失っちゃうところでした。でも、ぎりぎりセーフだったと思います(たぶん)。

多部ちゃんはプロ中のプロです。安易に撮影以外の事柄に反応しないであろう事は、想定してました。でも、我慢出来なかった… 惨事にならなくて救われました。タベリストの皆さん、無茶してごめんなさいm(__)m

リアクションまで求めるのは贅沢過ぎますよね。1メートルの距離で眼と眼が合った… それ以上、何を望むと言うのか?

皆さん、応援ありがとうございましたm(__)m これは一生の思い出になります。当たり前です。

小池くん、段田さん、眼中に無くてごめんなさいw

多部ちゃんは今頃、ホテルに向かう車中で爆睡されてるかも知れません。そう言えば少しだけ、咳をされてました。本当にお体には気をつけて頂きたいです。

多部ちゃんは女神です、希望です。フォースと共にあらん事を…

一夜明けて…

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一夜明けても、余韻残りまくりの一日でしたw 仕事が手につかないったらありゃしない。

バイクを走らせながら、心の中で「あぁ多部ちゃん、多部ちゃん…」って呟いてる自分に、ゾッとしましたw

私は戸惑ってます。女性タレントをここまで好きになった経験が無いものだから、この歳になって自分の知らなかった自分の一面を目のあたりにして、どう対処すればいいのか分かりませんw

でも、自分一人だけだったら、こんな患い方はしてなかったような気もします。焚き付けたのはタベリスト仲間の皆さんでありw、昨日の行動だって、自分にはタベリスト一同を代表して見に行く責任がある!ってな意識が、あったような無かったようなw

撮影現場in布施ですが、キャスト3人=多部ちゃん、小池くん、段田さんは良い雰囲気でした。演技と演技の狭間、何を話しておられるのか分からないけど、よく笑っておられました。特に段田さんがw

小池くんも気取った感じが全然無くて、なんか可愛かったですw 背が低いのは素晴らしい長所ですねw

御三方とも、良い意味でスターっぽさが無くて、スタッフに溶け込み、一丸となって創作活動をしてる、同志に見えました。かと言ってベタベタするでもなく、程よい距離感を保ってる…みたいな感じ。

まぁ、遠巻きに見てただけですから、私の勝手な想像に過ぎないけれど… 御三方が楽しそうにされてた事だけは確かです。特に段田さんがw

しのぶ先生(多部ちゃん)に叱られてる、刑事2人の図が、実に可愛かった(段田さんは刑事じゃないかも?)。

大阪弁でまくしたてる多部ちゃん、しゅんとなる小池くん、その背後に隠れる段田さんwってな図が、劇中での3人の力関係を想像させてくれました。

しのぶ先生は、じゃりんこチエが大人になったようなキャラだそうで、ワンコとも美咲ともまた、全然違いますよね、性格も立ち位置も。しかも大阪弁ですからねー。

全身女優・多部未華子! あぁ多部ちゃん、多部ちゃん…w

ところでやはり、現場には我々の仲間がおられたみたいで、現場の多部ちゃん(しかも芝居中)を捉えた写真が、よそのサイトにアップされてました。パーカーを脱いだ状態って事は、あれ、本番中ですよ!

よく撮れたもんですね、凄いです。写真撮影に対して異常に厳しい現場でしたから、私は早々に諦めたんですけど… 本番中だからこそ、スタッフも阻止出来なかったんでしょうね。

でも、それは反則。本番中にパシャリは絶対タブーです。万が一それでNGになったりしたら、ファンとして最低ですからね。私はちょっと、怒ってます。

そもそも、ロケ情報がなぜ、タイム・スケジュールに至るまで、前日にネットで流されてるのか? そのお陰で多部ちゃんに会えたクセに文句言うのも何ですけど、私は不思議でたまりません。

撮影関係者しか知り得ない情報ですから、関係者の誰かが洩らしてるワケですよね? 一体なんの為に? エキストラを集める目的とかでなければ、撮影現場の妨げになる結果しか生まないですからねぇ…

多部ちゃんのプライベートまで、ツィッターで目撃情報を流してる人いるでしょう? 見て嬉しくて自慢したいのは解るけど、プライバシーまで暴露するのは酷いと思う。まさか、ファンの人はしないだろうと思うけど…

まぁ、そう言う私だって、昨日の連続記事はツィッターみたいなもんで、実際、それを見て布施まで来ちゃった人もいましたから、偉そうなこと言えないけど…

前回記事にコメントをくれた「ぐれいと」氏がそれで、彼は私が直接呼んだワケじゃないんです。タベリストでもない奴を呼んだりはしませんw

現場に現れた彼を見た瞬間、実況みたいな記事をアップしちゃった事を私は後悔しました(うそw)。まぁ、詳しい場所まで書いたワケじゃないから、探し当てた彼が凄いワケですが。

ぐれいと氏は学生時代からの映画仲間でして、今回の撮影現場が私の卒業製作映画で使ったのと同じ場所だって事を思い出せたのは、実は彼のお陰だったりします。

私にとって其処は、毎日のように通る生活空間でしたから、ロケで使った事はすっかり忘れてたんです。それを思い出させてくれた事のみ、その一点だけは感謝してますけどw

とにかく、ネット社会は有難くもあり、恐ろしくもある。それをあらためて実感した一日でもありました。

あとは… そう、多部ちゃんへの声かけ。つい我慢出来なくてやっちゃいましたが、下手にコミュニケーションを求めたりするのは、タベリストとして正しい姿勢ではないな、と反省してます。

ファンとの触れ合いこそがメインのお仕事である、AKB48みたいなアイドルと、多部ちゃんとでは仕事の質がまるで違う。

多部ちゃんはカメラの前で演技する事、その為に共演者やスタッフとコミュニケーションする事が仕事であって、外野から声を掛けて振り向いてもらおうなんて、多部ちゃんのお仕事を邪魔する行為にしかならないですよね。

だから、ファンとの交流を目的にしたイベントとかでない限り、あんな事はもうやめとこうって… 思ってますけど、いざ再びご本人を目の前にした時、自分を抑えられるかどうかは自信ありませんw

大した裏話が提供出来なくて、スミマセンm(__)m

ラガーとワンコ

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あぁ多部ちゃん、多部ちゃん… すみませんw、今週だけは余韻に浸らせて下さいm(__)m

gonbeさんがこだわるw「距離、1メートル」の件。そう言えば、異様にガードの固い撮影現場(たぶん、場所が大阪だからw)で、なぜ私がそこまで多部ちゃんに近づけたのか?について、お話してませんでした。

それは、私なりのしたたかな計算が功を奏した結果だったんです。また自慢かよ?と仰らず、いつかこんな機会があった時の参考にして頂ければと思います。

演技中の多部ちゃんを、出来るだけ近くで見たい欲求は勿論ありましたが、そこを我慢するのがポイントです。リハーサルの芝居をある程度近くで観たら、本番はあえて其処から離れます。

多部ちゃんの為にこそ、撮影の邪魔だけは絶対にしたくないし、スタッフさんにマークされる事を避ける為でもありますが、本当の狙いは別にあるんです。

リハーサルから本番までの間、役者さんは常に多くのスタッフに囲まれてますから、なかなか近づけないし声も掛けづらい。それが出来る可能性が一番高いのは、本番が終了して、役者さんが控え室(今回の場合は待機車)に戻って行く時なんです。

でも、本番の時に近くにいたのでは、車に戻って行く役者さんを背後から追いかける形になりますから、それでは役者さんにも周りのスタッフさんにも警戒されちゃいます。

だから私は、待機車の所で多部ちゃんが戻って来るのを、じっと待ってたワケです。100%戻って来るとは限らないけど、女優さんは撮影の合間に色んなケアをされますから、可能性としてはかなり高い。そう信じて待ちました。

その読みが、見事に当たってくれたワケです。それでも、まさか1メートルの距離まで近づけるとは思ってませんでした。これは場所が狭かった事が功を奏しただけで、ラッキーだったとしか言いよう無いです。

私から歩み寄ったワケじゃなくて、多部ちゃん(とマネージャーさんかメイクさん)が自ら、私の目の前を通過してくれたんです。歩み寄って声を掛けたとしたら、やっぱり警戒されたと思います。

だから私は、多部ちゃんが通過する瞬間に、横から声を掛ける形になったワケですが、多部ちゃんは聞こえないフリをしてそのまま歩き去る事も出来たのに、思わず振り向いてしまった。

今、ふと思ったんですけど… 私は「多部ちゃん! 多部ちゃん!」ではなく、「多部さん! 多部さん!」って声を掛けました。それはやっぱ、いくらファンだからって初対面の相手に「ちゃん」は無いだろうって思ったからなんですが…

もしかしたら多部ちゃんは、スタッフから呼ばれたものと錯覚して、思わず振り向いちゃったのかも知れません。監督さんや主任クラスのスタッフさんは「ちゃん」だとしても、助監督さん等は「さん」付けで呼ばれてるでしょうから。

「えっ、もしかして撮り直し?」と思って振り向いたら、見知らぬオッサンが「サロメ観に行きます!」ですからねw 多部ちゃんの感想は「きもっ!」じゃなくて「紛らわしいんじゃボケ!」だったかも知れませんw 何しろその時、多部ちゃんは「しのぶセンセ」ですからね。

したたかな計算と、無意識の行動が全てプラスに働いた結果が、距離1メートルのアイコンタクトという奇跡に繋がったワケです。ノー・リアクションでしたけどw

調子に乗ってスミマセンm(__)m これで自慢出来るネタは使い果たしましたw

でも本当に、自分の生まれ故郷で多部ちゃんが主演ドラマを撮影する、しかも私の定休日、そのタイム・スケジュールまで事前にネットで流された事etc… 奇跡としか言いようのない一日でした。

この際、もう一つだけ自慢させて下さいm(__)m と言っても、これはたぶん誰も嫉妬してくれないと思いますがw

実は今から25年以上前に、私は今回を上回る奇跡を経験してるんです。大学受験の為に数日間、上京した時の事です。

たぶん試験会場を下見に行った帰りだったと思いますが、私は新宿に立ち寄りました。当時まだ放映中だった『太陽にほえろ!』の舞台が、新宿だったからです。

もしかしたら撮影してたりして…って、ダメ元で新宿に行って駅を降りたら、そこでやってたんですよ『太陽にほえろ!』のロケを!

何の前情報も無く、土地勘も全然無かったのに、ただ行って駅を降りただけで出くわしたんです。しかも、新宿で撮影してるロケ隊なんか無数にいるのに、よりによって『太陽にほえろ!』ですよ?

私が今まで生きて来た中でも、あれは最大のミラクルだったと思います。そういう事に関してだけ、私はかなりの強運を持ってるのかも知れません。

で、そこにおられたのが、ラガー刑事こと渡辺徹さんでした。当時アイドルとして人気絶頂の頃です。

『太陽』の第何話の撮影だったのか今だに分からないんですけど、雑踏の中を歩くラガー刑事という、ごく短いカットの、ほとんどゲリラに近い撮影でした。

だから、徹さんが現場におられた時間はせいぜい、30分にも満たなかったかも知れません。それも奇跡ですよね? ちょっと時間がズレただけで、私はそのロケには出くわさなかったんです。で、その奇跡がまた、今回の奇跡に繋がるんです。

本番を1発で決めた徹さんは、サッサとロケバスに引っ込んで…と思いきや、バスの入口でおもむろにズボンを下げてw、赤いブリーフを丸出しにしながら(あれはワザとか?)自前のズボンと穿き替えると、スタッフに挨拶をして、すぐ近くに停めてたマイカー(年季物のフェアレディZでした)に乗り込み、ご自身で運転して現場を去ろうとしました。

私は、勇気を振り絞って叫びました。

わたし「ラガー、応援してます!」

徹さん「ありがとう!」

なんと徹さんは、わざわざサイド・ウィンドウを下げて、笑顔で手を振ってくれたんです! 私はもう、大声で叫びながら全力疾走したい気分でした。それまでの人生で、最も興奮した瞬間でした。

私が多部ちゃんに声を掛けずにいられなかったのは、その時の体験があったからだと思います。

徹さんと多部ちゃんとではキャラが違うし、何より撮影終了後と合間の待ち時間とでは状況がまるで違いますから、そこまでのリアクションを期待したワケじゃないんです。

でも、一度味わった快感は、麻薬なんですよね。クセになる。一度やっちゃっただけに、度胸もついてる。

つまり、人間の行動には全て、理由がある。伏線がある。私はそれを言いたかったワケです。…というのは嘘で、ただの自慢ですw そのネタも尽きました。そろそろ通常モードに戻りましょう。

通常モード…すなわち『つばさ』レビューの再開です。『つばさ』って、誰が出てるんでしたっけ? あ、多部ちゃんだw

あぁ多部ちゃん、多部ちゃん、多部ちゃん…

『つばさ』25 (中)

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なんでぇ〜こんなにぃ〜かわいいのかよぉ〜 多部という名のぉ〜たからぁものぉ〜♪と来たもんだw

いつまで浮かれてるんですか? 皆さん、いい加減にして下さい。もう1週間経つんですよ? 目を覚まして下さい。

☆天使の微笑み

「実は、ラジオぽてとは今…」

マイクの前に立った真瀬の手には、房子様の恐怖政治を告発する原稿が… 真瀬は川越キネマの建物を守るために、房子様の夢を潰すという姑息な手段に出てしまうのか?

その視界に「お願い、やめて」と眼で訴える、つばさが… そう、多部ちゃんのアイコンタクトですよ、皆さん! あぁ多部ちゃん、多部ちゃん…(うそw)

マジな話、多部ちゃんのあの眼で訴えられたら、無視出来っこないですよね。まして真瀬はつばさにホの字ですから、我々と同じ穴のムジナですw

「ラジオぽてとは今… 人手が足りなくて困ってます」

ネガティブ・キャンペーンを断念するついでに、ちゃっかり求人募集を呼び掛けるところが、いかにも真瀬らしいw 真瀬は、ラジオ人としての誇りを失わずに済みました。またもや、つばさのお陰で。

そんな真瀬を、二階で待ってた優花。初めて、天使の微笑みを父に見せます。「お父さんなんか、いらなーい」から、苦節1年w、やっと父娘の心が通じ合いました。

わだかまりが簡単には解けない苦労が、ユーモラスながらリアルな描写として積み重ねられて来たからこそ、自然と泣けて来ます。なんの説明も要りません。

「俺なら、やってたかも」と言うのは、甘えん坊な頭皮を持て余す、翔太(チクビリー・ワイルダー)。

「あれが最後のチャンスなら、反則してでも勝ちたいと思った」

「勝つって、どういう事?」

ぽてとを守る事=房子様を倒す事なのか? つばさは、それ以外にも何か方法がある筈だと考えてます。争うのではなく、歩み寄りたい。傷つけ合うのではなく、解り合いたい。

☆房子様の孤独
私は、独りでいる事が大好きです。ファミレスにも一人で入れるし(最初は確かに抵抗ありましたけど)、一人暮らしをしてた頃は、誰にも会わない日が何日続いても平気でした。

今も、基本的には一人で走り回る配達業がすごく性に合ってると思うし、逆に副業のコンビニ・バイトは、同僚やお客さんに気を遣うから物凄く疲れます。一人でいる時間が本当に、一番楽しいです。

でも最近… 配達業がメインになってから、たくさんの人と一緒にいる夢ばかり見るんですよね。チームで動かざるを得ない映画製作をしてた頃は、逆に一人で見知らぬ土地を彷徨う夢ばっか見てたのに…

「淋しい」っていう感覚は本当に全然無いんだけど、潜在意識では人との触れ合いを求めてる。このブログだって、一番の原動力はそこにあるんだろうと思います。

人と繋がる為のツールなんですよね。これをやってるからこそ、淋しさを感じなくて済んでるんでしょう。そう書くと、底はかとなく淋しい気がして来ましたけどw

房子様だって、同じなんだろうと思います。人との触れ合いを求めてる自分に気づいてない。本人も気づかない本音に、いち早く気づいてたのは秘書の伸子でした。

一緒に鍋でも突きませんか?と誘いをかけてみる伸子ですが、勤務時間外まで無理して上司に気を使わなくていいわよ、と却下する房子様。

「どうして、ご自分からドアを閉めるような事を仰るのでしょうか」

それは多分、相手が自分との触れ合いを本気で望んでるワケがない、自分なんかと一緒にいて楽しいワケがない、っていう思い込み。一人相撲。そのへんは、よーく解ります。

諦めて帰った伸子と入れ替わりに、世界のトップ一人相撲レスラーにして頭皮駆動エネルギー開発のパイオニア=チクビリー博士が訪ねて来ます。

このところ、チクビリー博士が登場すると、決まって秀樹のテーマが流れますね。その後ろ姿を見た加乃子が、秀樹と錯覚するなんて場面もありました。

「川越キネマを買い戻させて頂きたい」

毅然とした態度で房子様に挑む博士ですが、「あの娘のため?」とつばさの名前を出されて、せっかく家で固定して来た頭皮が、あえなく氷解。

「未練があるんじゃなくって?」と、絶妙に相手の弱点を突く房子様。天下一品ですねw

でも、伊達に口の締まりが良くなったワケじゃない博士も、負けちゃいません。つばさがネガティブ・キャンペーンに断固反対した事を告げ、房子様を動揺させます。房子様の計画を潰す絶好のチャンスだったのに…

「もしかしたら、両者が勝てる道を探ってるのかも知れません」

並みのドラマなら、これだけで充分、房子様を改心させる材料になりそうなもんですが…

人の心は、そう簡単には変わらない。優花が父に心を開くまで、丸1年を費やした『つばさ』ですから(放送は半年だけど)。

☆房子様、鍋をつつく
つばさが帰宅すると、家の前で房子様とバッタリ! 房子様が何をしに来たのか、最後までハッキリ語られる事は無かったけど、房子様のスキャンダルを利用しようとする真瀬を食い止めた、つばさの本意を聞いてみたかったのでしょうか?

玉木家一同も房子様の事は敵視してるのに、つばさだけは受け入れようとします。折しも、今夜の食事は鍋。

鍋は、家族や、人と人との暖かい繋がりを象徴する食事です。天涯孤独ゆえに鍋の食べ方が分からない房子様を、切なく描いて涙を誘うのではなく、あくまでコミカルに見せる『つばさ』演出がいいですね。

「料理が出来ない? おかみさん(千代)と同じだ!」と言って笑う竹雄に、お膳をドン!と叩いて威嚇する房子様の仕草が、千代さんそっくりw

「あなた方庶民とは、食べるものが違うんです!」

その迫力に、玉木家一同や、例によって庭から覗いてる宇津木ファミリー、とりわけ万里が凄い顔でおののいてましたねw

でも、なんだかんだ言いながら、房子様は楽しそうに見えます。こんな家庭を訪ねたら、誰だって楽しくなっちゃいますよね。

何とか酒の力で房子様を説得しようと試みる玉木家一同ですが、肝心な話をする前に酔っ払った挙げ句、眠り込んじゃう房子様w

「もしかしたら、あんな風に皆と食事したかっただけなのかも」

「淋しかったのかも知れないなぁ… 家族いないしね」

もしかすると房子様は、単純にそんな理由で玉木家を訪れたのかも知れません。だとしたら、ここで綺麗に話は収まるかも知れない…

視聴者がそう感じた所に、玉木家のエンジェル=知秋の登場ですよ。これで「落ちたな」って、思いますよね、普通w

夜中に目覚めた房子様は、ハーモニカで静かに「ふるさと」を吹きます。以前にも、同様の場面がありました。生い立ちは語られない房子様ですが、家族への満たされぬ想いがあるのでしょう。

「続けて下さい。そっちで聴いてもいいですか?」

屈託のない知秋に対しては、房子様もバリアを張る気になれない様子で、快く知秋を迎え入れます。それどころか、ハーモニカに合わせて唄う知秋を見て、思わず涙ぐむ房子様。

「初めてよ、一緒に唄ってくれた人は。誰も、聴いてくれる人なんかいないから…」

さらに知秋は、甘玉堂の職人になるにあたっての、夢を語ります。

「心に残るお菓子を作りたいんです。食べた人が笑顔になって、美味しいねって言い合えて、そんな幸せな気持ちを残せたらいいなって」

「羨ましいわ…」

並みのドラマならw、もうここらで一件落着ですよ。でもまぁ、最終的に人と人を繋げるのは、つばさの役目ですから。

そんなワケで、縁側で二人、しみじみと月を眺めながら話す、つばさと房子様。免疫がついてるコアな『つばさ』ファンwは例外として、一般的な視聴者はもう、この場面で房子様は「落ちる」と確信された事でしょう。

「若いのね。私に、あなたの若さがあったら…」

初めてつばさに対して、観光物産館の構想を、具体的に語る房子様。

「そうすれば一年中、みんなが遊びに来てくれる。私が川越に生きた証に、この町が誇れる宝を残したいの」

それはつまり、みんなの広場を作りたいという事。秀樹が、つばさが、知秋が抱いてる夢と、目指す方向は全く一緒なんです。

「なんだか、聞いててワクワクしました。その観光物産館、私も見たいです!」

心から嬉しそうに言うつばさを見て、呆れる房子様。こりゃもう、完全に両者が歩み寄る流れですよね? ところが…

「一緒にやる道は無いんですか?」

つばさが言った、この言葉で、なんと房子様は豹変しちゃうのです。

「ははーん、やっぱり、そういう事だったのね」

房子様は、観光物産館内にラジオぽてとを参入させるのが、つばさの狙いだと言いだします。さらに、つばさは蔵造り通りの店を見送った家族の為に、意地になってるだけだと指摘する房子様。

「家族って、厄介だわねぇ。お宅にお邪魔してよーく分かったわ。家族なんてつまらないものを残すより、観光物産館を残す方がずぅっと値打ちがあるって」

房子様は基本的に、他者を信じない人です。恐らく厳しい生い立ちの中で、そうしなければ生きて行けないって、思い込まされて来た人なんです。

そして房子様は、つばさに対して、ラジオの生放送で自らの信用を失墜させられた、深い恨みがある。あの事件は、当時のつばさをどん底に落とし込む事だけじゃなくて、ラスボス=房子様をまさに最強の存在にする為に仕込まれた、伏線だった! ボイィィ〜ン! はげちゃび〜ん!! 頭皮ずるりーん!!

「譲る事は出来ないわ。あれは、私の最後の夢だから!」

ここまでやっても埋められない、深い深い溝… もはやつばさには、なすすべがありません。マルコチクビィーッチ!!(つづく)

『ライアーゲーム - 再生-』

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奇跡が起こりましたね。そもそも、私が『ライアーゲーム』の映画を初日に観に行くこと自体が奇跡ですよw これが禁断症状ってやつですか、yamarineさん?w あぁ多部ちゃん、多部ちゃん…

それ以上に驚いたのは、私が『ライアーゲーム』を観て、泣いちゃった事です! これ、良かったです。面白かったですよ皆さん! いや、たぶんw

もしかしたら、多部ちゃん愛が強くなり過ぎて、客観的な観方が出来なくなってるかも知れません。ハリソン・フォードの出演作はどれを観ても面白く感じちゃう私ですから…

でもそれは、ハリソンが画面に現れると無条件に自己投影しちゃうからであって(自分がハリソンに似てるなんて思ってないですよw)、異性であり、自分の娘であってもおかしくない年齢の多部ちゃんの場合、ハリソンよりは客観視出来てるとは思うんですが…

客観視してる代わりに愛しちゃってますからw、やっぱ冷静には観れてないかな… 恋は盲目で、恋をすると分泌されるアドレナリンが、相手の欠点を見抜く能力を麻痺させちゃう事は、科学的にも証明されてるらしいです。

でも、それを差し引いても、この映画は面白く仕上がってると私は思います。

事前に、TVシリーズの第1話と2話を観ておいたのは正解でした。んなアホなw、んな強引なw、っていう戸惑いは、こういう世界なんだから仕方がない、あるんだから仕方がないって、最初から割り切って観られましたから。

その荒唐無稽さも、大げさな演出も、無意味にエキセントリックでハイテンションなキャラクター&お芝居も、今回は楽しみながら観られたんですよね。

ちょうど、タニオ・チクビッティーの頭皮が動くたびに笑いながら観ちゃう感覚と一緒です(私だけ?w)。大映ドラマを観ながら笑う感覚にも似てます。

ゲーム参加者が自分の勝利を確信して高笑いしたら、次の瞬間に必ず負けの結果が出て愕然としちゃう、鉄壁のワンパターンもw、島木譲司並みにバカバカしくて、なんだかクセになって来ちゃいました。あれ、狙ってますよね絶対w

だから私は、終始笑いながら観てしまったんだけど、それでも泣けたのは、物語の焦点が、ゲームの勝敗から外れた部分にシフトして行ったからだと思います。ちゃんと人間ドラマになってるんですよね。

ネタバレは避けたいので詳しくは書きませんが、お話のテーマが、私が今レビュー真っ最中の『つばさ』第25週とソックリなんですよ!

そして、物語上で多部ちゃんが担う役割も『つばさ』と全く同じ。だから、篠宮ユウというより、玉木つばさが突然ライアーゲームに巻き込まれたみたいな錯覚に襲われて、なおさらハラハラして観ちゃいました。

だからってワケじゃないけど、今回の作品もやっぱり、多部未華子がヒロインでなければ成立しなかったと思います。毎度そんなこと書いてますけど、本当にそうなんだから仕方がない、あるんだから仕方がない。

陳腐な絵空事になっちゃうスレスレのところを、多部ちゃんの演技力と、それ以上に多部ちゃんの存在自体が持つ説得力、リアリティーが、救ってくれてると思います。

劇場版『西遊記』に、もし多部ちゃんが出てなかったら、どんな大惨事になってた事か… 今回も『西遊記』と同じく、製作陣に亀山Pが性懲りもなくw名前を連ねてましたけど、多部ちゃんに救いを求める判断力だけは、その一点だけは評価してやってもいいかな?と思ってますw

でも『ライアーゲーム -再生-』には香取慎吾という最悪男優賞受賞モンスターが出てない分、はるかに見応えある作品になってます。松田翔太くん、船越英一郎さん、小池栄子さんetcと、しっかり分をわきまえたプロフェッショナルが揃ってますから。

芦田愛菜ちゃんは本当に、客寄せパンダ以上でも以下でもない存在でした。愛菜ちゃんである必要が全く感じられない役で、この子はやっぱ、笑って泣いてナンボの女優やなぁって事を、世間に再確認させただけでしたね。

多部ちゃんの素晴らしさに関してはもう、私のボキャブラリーは使い果たした感がありますので、以下に関係者コメントをパンフレットから抜粋します。

私感を付け足すならば、滅多に見られないミニスカのナマ脚が、萌えーw

監督・松山博昭「多部さんとは今回初めてお仕事させて頂いたんですが、すごい女優さんだなと思いました。理屈と感性を両方併せ持っている。頭から最後までのユウが彼女の中でちゃんと出来上がっていて、繋がったものを見た時に、僕よりもユウのことを解っていたんだなと、あらためて感じさせられました」

主演・松田翔太「多部さんは大変な役どころだったと思うんですが、現場で彼女の演技を見て驚きました。彼女が本当に怖がっていないと、すごく嘘っぽいお話になってしまう。そこが今回のカギだろうなとも思っていたんですが、迫真のお芝居で、現場の空気もキュッと締めてくれて。多部さんにはすごく感謝してます」

共演・新井浩文「勝手に『多部ダンス』って名付けたんですけど、撮影の待ち時間に行われる多部さんのストレッチを見て、癒されていました」

PS. 再生(リボーン)って事ですが、このシリーズがまた新たに続いて行くとしても、今回の映画より良い作品を生み出すのは、たぶん不可能だろうと私は思います。

それは多部ちゃんうんぬんを抜きにして、内容的にこの作品でやれる最高の結末を今回やっちゃったから…だと思うのですが、それが成立したのはやっぱ、多部ちゃんがいたからなんですよね。

だから今回もやっぱり、多部ちゃんが起こした奇跡としか言いようがない。あぁ…

『ライアーゲーム』の奇跡

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今回は物語の結末にまで触れちゃいますので、映画を未見の方は鑑賞後にお読み下さいませm(__)m

昨日は新作映画『ライアーゲーム -再生-』を劇場で観て、夜はTV放映で劇場版1作目(公開の時点では完結篇とされてました)を観て、何だか『ライアーゲーム』浸けの1日でした。

まず思ったのは、多部ちゃんは素晴らしいなぁとw 多部ちゃんが出てなければ、絶対に意地でも観なかった作品が、実際に観たら面白かった。『君に届け』もしかり。多部ちゃんのお陰で、視野が思いっきり広がりました。

『ライアーゲーム』の場合は、喜劇として観ればけっこう楽しめる事が分かりました。特に劇場版1作目はコミカルな描写が多かったですね。ちょっと狙い過ぎてる感もありました。

シリーズ物は回を重ねると世界観が緩くなっちゃうから、新作は逆に、ちょっとシリアスに戻して手綱を引き締めたのかも知れません。

こういうのは大真面目にやった方が笑えますから、そういう意味でも新作の方が面白いと私は思います。

でも、それより何より、私は新作を観て、泣いちゃったんですよね。1作目もそれなりに楽しみましたけど、泣くほど感情移入する事は出来ませんでした。

演じてるのが多部ちゃんである事を抜きにしても(とは言え、この役は多部ちゃんでしか有り得ないけど)、ヒロインが前作までの神崎直(戸田恵梨香)ではなく、新キャラ・篠宮優だからこそ、私は泣けたんです。

お金のために争ったり憎み合うのではなく、全員がお互いを信じて、心を一つにすれば、まさに人間の憎しみ合いこそを見たがってる、ライアーゲーム主催者に勝利出来るのではないか?

TV版の最初の2話を観た時、どうせそういうハートフルな方向に持っていくんやろなぁ、取って付けたお涙頂戴は観たくないなぁって、私は思いました。

で、新作を観たらまぁ、やっぱりそんな結末で、前作もそれは同じでした。TVシリーズ2本も、どうやら同じパターンだった模様です。

でも劇場版2本を観たかぎりだと、決して取って付けたようなハートフルじゃなくて、その結末に向けて緻密に練られた脚本と、感情の流れを丁寧に描いた演出もあるもんだから、すっかり見直しちゃったワケです。

だけど、戸田さんの神崎直だと、泣くところまでは行かないんですよね。どう考えても、篠宮優だからこそ私は泣けた。それはなぜか?

神崎直だと泣けないのは、演じてるのが戸田恵梨香ちゃんであろうが無かろうが関係なく、まぁ単純な話で、あまりに現実離れしたキャラクターだからだと思います。

神崎直は、人から何度裏切られようが、揺るぎなく最後まで人を信じ続ける。ある意味じゃ最強、まさにスーパーヒロインです。私は今まで40ウン年ほど生きて来ましたけど、あんな人間は見たこと無いですw

だから『ライアーゲーム』は、あくまで漫画の世界。彼女に限らず、登場キャラ全員が現実離れしてますから、感情移入する必要も無いんですよね。作品そのものがゲームであり、人物は駒でしかない。

だから、本来なら『ライアーゲーム』を観て泣くことは、まず有り得ない。まぁ最近の若い観客は、切なげな芝居と切なげなBGMさえあれば、パブロフの犬みたいに簡単に泣いてくれるみたいだけど、映画館を一歩出たらもう忘れてますよ、きっとw

映画の創り手としては、やっぱそれは虚しい事だと思います。TVシリーズを2本、映画を1本ヒットさせた上で、さらにまた続編をやるなら、今度はちゃんと心に響くものをやりたい、条件反射じゃない本当の涙を流してもらえるような作品を創りたいって、思うべきなんですよ、亀山が何と言おうがw

だから、もう神崎直に用は無い。あんな現実離れしたスーパーヒロインじゃなくて、観客がちゃんと感情移入出来る、等身大のヒロインを設定しよう、って事になったと。

そうして生み出されたのが、迷い、葛藤し、弱さゆえに人を裏切っちゃう事もあるし、そんな自分に絶望したりもするヒロイン… つまり、現実にも存在し得る人間=篠宮優って事なんだと思います。

でも、この徹底した漫画世界に、ヒロインだけがやたらリアルだったり、人間味に溢れてたりしたら、逆に浮いてしまわないか? 極端な虚構と現実との差を埋めて、バランスをとりつつ、周囲の変なキャラ達wにも溶け込めるような、そんな若手女優がこの日本に存在するのか?

あっ! おい、一人だけいるじゃないか! 『デカワンコ』を観たか? 『君に届け』を観たか? 現実には有り得ない漫画キャラを、すぐ目の前に実在するかのように見せてしまう、ワケの分からない凄いのwがいるぞ!

そうして白羽の矢が立ったのが、我らが多部未華子ですよ。漫画キャラを現実世界に違和感なく存在させて見せた多部ちゃんなら、漫画世界にリアルな人間を違和感なく存在させる事だって出来るかも知れない。出来るとしたら彼女しかいない!ってワケです。

鉄の意志で人を信じ続けた神崎直と違って、篠宮優は弱さ(=普通)ゆえに自ら人を裏切っちゃう。で、人を裏切る事で自分自身が傷つき、その痛みに苦しんだからこそ、他の裏切り者達の痛みをも理解する。

それが最終的に、全員の心を一つにまとめちゃう。綺麗事じゃなくて、誰もが持ってる汚い部分、誰もが一度は味わった筈の痛み→共感→団結。これ、説得力ありますよね?

神崎直の真似は誰にも出来ないけど、篠宮優の真似なら出来るかも知れない。だから観客は感情移入して、自己投影して、一緒に泣く事だって出来ちゃうワケです。

でも、並みの女優さんなら、この漫画世界の中で浮いちゃって、恐らく陳腐な絵空事にしか出来なかった筈です。だから、この作品もまた、多部ちゃんがヒロインでなければ成立しない!

松田翔太くんがやたら多部ちゃんに感謝してるのは、そういう事だろうと思います。それがちゃんと解ってる翔太くんを、決して乳首呼ばわりしてはいけません。

まぁ、確かに、我々は多部ちゃんを愛してますから、作品にも自然と好意を持っちゃう傾向はありますw でも、決してそれだけじゃないって事が、これで分かって頂けましたかな?w

女神がまたもや、奇跡を起こしました。。。

『つばさ』25 (後)

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☆完敗する主人公

「あなたの悩みの中に、その答えがある」

今回、ラジオの男はラジオぽてとのDJブースに現れました。終盤に来て行動範囲が広がってますねw

あなたの悩みの中に答えが… つまり房子様も、つばさと同じ苦しみを抱えてるって事でしょうか? それを理解する事が、問題解決の糸口になる?

真瀬と翔太(ブラッド・チクビット)は、川越キネマを空け渡すか否かで対立しています。

「楽にしてやってくれ。最後の1秒まで粘る必要ないって」

「俺がつばさのプレッシャーになってるって言うんですか?」

あくまで、つばさの事を気遣う真瀬に対して、夢や目標や研究でいつも頭がいっぱいの、ブラッド・チクビット博士。だから頭皮が緩むんです。

現実的に考えればやっぱり、真瀬と一緒になる方が確実に幸せになれると思うんだけど、つばさを…というより多部ちゃんを見てると、心配して包み込んでくれる男よりも、お互いを高め合って共に成長して行く乳首人間の方が、もしかしたら合ってるのかも知れないって気にさせられますね。

包み込まれると、安心しちゃって成長しなくなる。常に階段を上り続ける多部ちゃんには、同じように上り続ける相手が相応しい。博士の場合、足を引っ張られる事の方が多そうだけどw …おっと、その決着は次週って事ですね。

「私の中でも喧嘩してます。諦めたくない私と、諦めるしかない私が」

予想以上に集まった「川越キネマ温存希望」の署名を見て、ぽてとが如何に必要とされてるかを痛感し、ラジオを通して人と人を繋げる事の大切さを、あらためて思い知ったつばさ。

「だから… キネマを守る為に、誰かを憎んだり傷つけたりしなくちゃならないのなら、私は… キネマを諦めます」

房子様の観光物産館への想いを聞いて、その夢を潰すより、繋ぎたいと思ってしまったつばさです。

「此処を、空け渡す」

ついに、真瀬が結論を出してしまいました。主役達の圧倒的な敗北という、これまた朝ドラとして型破り過ぎる展開に、ブラッド・チクビット博士の開いた口も塞がりません。あ、元に戻っただけかw

房子様にその結論を伝えに行った真瀬に、つばさは「ラジオぽてとが有る内に、川越キネマに来て下さい」という伝言を託しました。仕事ではなく、遊びに来て欲しいと、つばさは心から望んでる様子です。

「ラジオの仕事は、人と人とを繋ぐ事であって、誰かを仲間外れにする事ではない。だから、きっとあなたとも解り合える、繋がれると(つばさは)信じてるんです」

「夢みたいな事を言って…」

「ラジオは、私たちの夢ですから」

あくまで静かに、穏やかにそう言う、この場面の真瀬は本当に格好良いですね。初登場時の野人ぶりとは大違いw 皆それぞれ、一年で大きく成長しました。

つばさは、蔵造り通りの店を一旦諦めてまで優先した川越キネマを、結局守り切れなかった事を家族に詫びます。

「謝ること無いわよ。やるだけやったから、前に進めるのよ」

母・加乃子の言葉に救われるつばさですが、この場面では母じゃなくて、父の胸で泣きます。

実は今回、レビュー執筆が長引いてる間に私は、我慢出来なくて最終回まで観ちゃいましたw この時点で母の胸で泣かない事には、重要な意味があるんですよね。

その話は次週まで置いとくとして、とにかくこれで、仲間と過ごした川越キネマ、つばさや秀樹の夢だった「みんなの広場」とは、いよいよお別れです…

☆最後のラブレター
そして1カ月後、翌日に控えた川越キネマからの最後の放送『さよなら川越キネマ・スペシャル』の準備と、引っ越し作業で大わらわなつばさ達。

その忙しさが、淋しさを紛らわせてくれる…とか言ってること自体が淋しいワケですが、そこに駆けつけたのが浪岡正太郎、そしてロナウ二郎!

観てるこちらも嬉しくなって、涙が出ちゃいますね。思えば二人とも円満退社でしたから、いつでも助っ人に駆けつける事は出来るワケです。

心強い味方を得て、つばさはマイクに向かいます。

「今日は川越キネマ、そしてリスナーの皆さんへのラブレターのつもりで、最後の放送を届けたいと思います。大好きだから、笑顔で言います。さよなら、川越キネマ」

放送中、リスナー達からも番組へのラブレターFAXやメールが続々と届きます。そして川越キネマの名残を惜しむ人達が、続々とラジオぽてとに集まって…

その中には玉木家一同や、万里、麻子、みちる、佐知江さんらレギューメンバー達も含まれます。

「つばさちゃんか… もうちょっと女心が解ってたらねぇ… まったく誰に似たんだか」

↑佐知江さんが息子のブラッド・チクビット博士に囁いたこの言葉は、つまりつばさの本命は博士だと見抜いてるって事ですか? 余計なこと言わなくていいのに佐知江さん!w

そうとも知らずに真瀬は、マイクの前でこの場所への想いを語ります。川越キネマへのラブレターです。

「かつて映画館だったこの場所は、人と人を繋ぐラジオ局にピッタリだと思いました。此処なら、町のみんなが集まれる広場になると思ったんです」

そんな真瀬を見ながら、みちるが「今の真瀬を、千波に見せてあげたい」なんて言うもんだから、また涙腺が決壊しそうになりましたw どうも千波さんの名前が出て来ると、弱いですね…

皆が思い思いに、川越キネマへのラブレターを壁に書き込みます。そんな清々しい光景を見て、さすがのブラッド・チクビット博士も建物に執着する事をやめた模様です。

そんな光景が見られるのも、此処につばさがいたからです。まるで我々タベリストが多部ちゃんについて語り合うようにw、真瀬とブラッド・チクビット博士がしみじみ語ります。「つばさ」を「多部ちゃん」に変換しても、そのまま通じそうな会話ですw

「あいつは気づいてないんだろうな。人と人を繋いで来たのは、このキネマの場所って力じゃなくて、自分の力だって事にさ」

「斎藤さんが言ってました。つばさは太陽だって。出会った人の心を明るく照らし、人と人とを隔てる冷たい壁を溶かしてしまう」

☆大どんでん返し
そこに房子様が、伸子を連れて恐る恐る?様子を見に来ます。

「しんみりしてるかと思ったら…!」

人々が集い、笑ってる光景を見た房子様は、心打たれるかと思いきや、心底いまいましそうなご様子。

つばさは最後に、ラジオぽてとの真の創設者とも言える、秀樹について語ります。

「その人はいつか、この川越キネマで祭りを見せたいと話していました。カーニバルに涙は似合いません。人生には、思うようにならない事もあるけれど、笑って、踊って、吹き飛ばしましょう!」

つばさが流したサンバのリズムに乗せて、人々が踊ります。まさにそれはカーニバル、秀樹が夢見た「広場」そのものです。

仕事を終えた宇津木夫妻や鈴本父子らも駆けつけて、人の波に押されて房子様も広場に入って来ました。

「ふん、何が楽しいんだか!」

相変わらず、憎まれ口しか出てこない房子様です。

「今日、ご一緒した時間が、皆さんの心に残りますように… それでは川越キネマから… さようなら」

DJブースというステージを降りて、皆からの拍手を浴びるつばさと、ラジオぽてとの面々と、なぜかちゃっかりブラッド・チクビット博士。にわか参加のくせにw

「来て下さって有難うございます」

房子様の姿を見つけたつばさは、心から彼女を歓迎します。でも、房子様に笑顔はありません。

「川越キネマには何の思い入れも無いし、ろくな思い出も無いわ。…あなた達が、目障りだった。私がやりたい事を、あなた達が先にやってしまっていた。しかも、こんなに…」

嫉妬… 『つばさ』の中で最も厄介な悪役は、誰もが持ってる筈の、この感情。でも、つばさは既に、自分自身の中に潜むダークサイドと向き合い、乗り越えて来ました。だから、そんな房子様をそのまま受けとめ、心の内に秘めた痛みを理解する事が出来る。

動じること無く、つばさは包み込むような笑顔で房子様に、観光物産館への想いを皆に語って欲しい、と促します。

「もう話はついてるじゃないの。ほっとけばいいじゃないの!」

「人と人を繋ぐのが、私の仕事ですから」

はっとつばさの顔を見る房子様。この瞬間でしょうか? 房子様が必死に張り詰めて来たバリアに、ヒビが入ったのは。

いや、きっと、伸子や真瀬、玉木家一同の一言一言が、そしてつばさの生きる姿勢そのものが、少しずつヒビを入れて来た。まさにボディーブローが効いて来たのだと思います。

「観光の目玉になると同時に、市民の皆様が憩える、そんな町の広場を目指します。建設予定地は…」

私は既に、総集編で結末を知ってたから、ボディーブローだ何だと言えますけど、当時リアルタイムで観てたとしたら、まさかゴールを通過した後に大どんでん返しがあるなんて、予測出来なかったと思います。

「…これから、捜します」

全員が呆気にとられて、お口がブラッド・チクビット状態w

「いい土地が見つかるまで、長生きするしか無いわねw」

総集編だと、この驚きは味わえないんですよね。これでもか、これでもかと重ねられた、数々の絶望的な描写があればこその、カタルシス。それが省略されてる総集編だと、予定調和に感じちゃう。先にそれを観ちゃった事を、後悔せざるを得ないですね。

つばさの眼から、大粒の涙が流れます。ふと気づいたんですけど、多部ちゃんの涙は、その状況によって粒の大きさが違う! 次週、おそらく多部ちゃん史上最大サイズの、大粒涙が流れ落ちます。

さて、ここで久々にサンバダンサー軍団が登場しますが、そのきっかけの掛け声、なんて叫んでるのか分からないけどw、秀樹ですよね、やっぱり?

踊り狂う一同の中に、秀樹が紛れ込んでるか否か、どなたか探してみてくださいm(__)m 私は面倒臭いからパスしますw

「お鍋のお礼に、私からのラブレターよ」

この週のサブタイトル『最後のラブレター』とは、なんと、蔵造り通りの店を天玉堂に貸与するという、房子様署名の証書でした。玉木家一同の切実なる念願が、ついに叶った!

無心で、とにかく房子様と繋がり合う事だけを望んで来たつばさの心が、闘いを収束させたばかりか、誰もがハッピーになれる結末を招きました。

『ライアーゲーム -再生-』も全く同じことが描かれましたが、この世から戦争を無くすには、人は何をするべきか?のヒントが、このエピソードには無数に詰まってると思います。

いやぁ、めでたし、めでたし。あと、片付いていない事と言えば… って、このナレーションを聞いた時、私はてっきり、つばさのお相手は真瀬か乳首か?の男選び問題かと思ったのですが…

まさか、あの件が、まだ解決していなかったとは! 驚愕の、そして万感の次週、いよいよ最終週です…

「男泣き刑事ドラマ天国」

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かつて「刑事マガジン」というムックが、辰巳出版から不定期に発刊されてました。が、最初の2巻あたり迄は『太陽にほえろ!』はじめ'70年代の刑事ドラマ全般へのリスペクトやオマージュが感じられたのに、だんだん『相棒』のプロモーション雑誌と化してしまい、一昨年から休刊状態に。

東映系の雑誌ゆえに、不景気が深刻化するにつれ、東映製作の現役番組『相棒』とタイアップする事でしか、生き残るすべが無かったのでしょう。

そういう事情は理解しなくも無いけど、多部ちゃんが2作続けて刑事ドラマに主演した昨年、その肝心な時に新刊を出さなかった辰巳出版は、スカタンです。失格。陥没乳首。

で、久しぶりに刑事ドラマ専門のムックが、今度はミリオン出版から発行されました。ゴシップ雑誌「ナックルズ」の別冊で、A5サイズのいわゆるコンビニ本(¥580)ですが、これがなかなか良いのです!

まず第一に、『太陽にほえろ!』に対するリスペクトの度合いが非常に高い! 全5章で構成されてるのですが、第1章がまるまる『太陽にほえろ!』のみで埋められている!

表紙や巻頭カラーページもメインは『太陽』。記事の内容も『太陽』生みの親・岡田晋吉プロデューサーの著書を元にして書かれてるので、まぁマニアにとっては新鮮味に欠けるけど、この手の雑誌にありがちなテキトーさや偏見は、まぁ無いとは言えないけどw、かなり少ない方だと思います。

第二に、某スカタン辰巳出版みたいに偏った提灯記事が無くて、古くは『七人の刑事』からつい最近の番組まで、偏ること無く各局から、マニアも納得のチョイスで作品がラインナップされてる事。

その割に『太陽』をヨイショし過ぎてるんじゃないか?などと乳首な事は言わないようにw 私がファンだから言うワケじゃないけど、日本の刑事ドラマのスタイルを確立し、不滅のジャンルにまで定着させたのは、間違いなく『太陽にほえろ!』なんです。これを語らずして『踊る大捜査線』も『相棒』も『乳首』もへったくれも無いワケです。

さて、本ブログで特筆すべきは、第三のポイントです。古今東西、無数に存在する刑事ドラマ群から厳選されたタイトルの中に、我らが多部ちゃんの主演作『デカワンコ』と『ジウ』が、2本ともラインナップされている!

画像をご覧ください。巻頭カラーイラスト9ページの内、2ページ見開きの「美しいけど個性強過ぎ! 混乱の女刑事」ってコーナーで、『BOSS』の天海さんや『アンフェア』の篠原さんを含む5人の女刑事の中に、多部ちゃん=門倉美咲が、なんと花森一子すなわちワンコとのコンビで描かれている! 黒木メイサ抜きですよ!?

しかも、5人の中で多部ちゃんが一番大きく描かれている! もしかして、編集者あるいは執筆者の中に、タベリストがいるのでは?と思って本文を読んでみたら、あながち思い過しとは言い難い、実に多部ちゃん愛に溢れた記述がありましたよ、ホントに!

それは第5章「トンデモ刑事ドラマ」の中で紹介されてる『デカワンコ』の記事です。ムチャクチャな設定ながら『太陽にほえろ!』等の懐かしい刑事物へのオマージュがちりばめられ、漫画ファンの娘に付き合って嫌々観てた親の世代まで引き込み、予想外のヒットを記録、ギャラクシー賞まで受賞…といった顛末が紹介された、その後です。

「とは言え、基本設定は極端なコメディーの『デカワンコ』。視聴者が拒否反応を起こしやすいタイプのドラマだが、それを見事に緩和しているのが、主役を演じる多部未華子の可愛さである。

現代風とは言えない一重目蓋をキラキラ輝かせつつ、小柄な体にゴスロリ・ファッションを施し、チョコマカと動く姿は、どんなモデル体型の美人よりも構いたくなる不思議なオーラがあふれ出ていた。

まさに愛敬は宝。このドラマの成功は多部の個性ありき、と断言していいだろう。

そんな彼女に喜んで振り回されるように、共演者の沢村一樹、石塚英彦、吹越満という熟練の個性派俳優たちが、受け手に撤しているのも微笑ましかった。相手役(?)とも言える、NEWS手越佑也の嫌味の無い美男子ぶりも、多部の幼さと相まって、ドラマに清潔感を漂わせている」

ちなみに『ジウ』は第4章「カリスマ女刑事たち」で4ページに渡って紹介され(ワンコは2ページ)、「女版『俺たちの勲章』かと思いきや、さにあらず」バディ物のセオリーを無視して「ストーリー展開は回を追う毎に、大袈裟で難解で、ややこしくなっていく」

「(過激なサブタイトルに)視聴者の男子たちは『多部ちゃんが! 多部ちゃんが!』と大いに期待するかも知れない(あり得ないと分かっていてもだ!)が、期待は簡単に裏切られてしまう」

↑といった感じで紹介されてます。どうですか、怪しいでしょう? まるで私が書いてるみたいな文章ですけどw、正真正銘、プロのライターさん達による記事です。

とは言え、タベリストよりはやっぱり、刑事物ファンの方にオススメすべき本ですね。きっと納得出来る内容かと思います。

この本、つい最近発行されたばかりなのに、部数が少ない為か、書店でなかなか見かけないし、中古市場じゃ既に定価の3倍ぐらいプレミアがついてる模様です。

さっきアマゾンを覗いたら、残り在庫が3冊になってましたので、興味ある方は、お早めに!

『カーネーション』事変

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いつか書きたいと思ってた、朝ドラ『カーネーション』のこと。よもや、残念な記事として書かなくちゃいけない羽目になるとは、つい最近までは夢にも思ってなかったです。

そう、つい最近までは、わざわざブログに書く気にもなれない位、言うこと無しの面白さをずっとキープして来た『カーネーション』。

それが今週から、急に面白くなくなっちゃいました。皆さんご存じの事と思いますが、ヒロイン・小原糸子を演じる女優さんが、尾野真千子さんから夏木マリさんにバトンタッチされたのです。

夏木さんは決して悪くありません。でも、小原糸子のキャラは尾野真千子さんが創り上げたと言っても過言じゃない位に、尾野さんの顔、表情、所作、台詞回しがあってこそのキャラクターに、完全になっちゃってるんです。

『デカワンコ』の脚本がいくら面白く書けてても、花森一子を多部ちゃん以外の女優さんが演じたら、どうなってたか? それと同じ事です。

私が『カーネーション』を好きになった要素は色々ありますが、一番楽しませてもらったのは、尾野真千子さんが持つ天性の「笑いのセンス」です。

ツッコミや間の取り方が絶妙なだけでなく、寝そべって煎餅を噛ろうが舌打ちをしようが、キツイ感じもせず下品にもならず、常にユーモラスなんですよね。

前回レビューした本の文章を引用させてもらえば、「愛敬は宝」なんです。同じ事を夏木さんがやると恐いし、下品に見えちゃう。笑えないんです。

決して夏木さんに笑いのセンスが無いワケじゃなくて、尾野さんのそれとは質が違い過ぎるんです。尾野さんと違う=それまでの糸子とは違うって事です。

内容的にも尾野さんの最終回が番組そのものの最終回みたいに盛り上がっちゃって、今週からの晩年編はホントに、オマケかスピンオフみたいな感じで、まるで『てっぱん』を観てるかのようですw

なぜ、ヒロインを交代させる必要があったのか? ヒロイン以外のキャラは同じ役者さんが晩年まで演じてるのに、ヒロインだけが変わっちゃうのは、どう見たって不自然です。

その為か、糸子を取り巻く人々は娘3人以外、全員殺されちゃいましたねw 確かに、糸子より歳上の人がそのまま出てたら、視聴者が混乱しちゃいます。

だったら尾野さんのままで良かったやん! 不自然です。あまりに不自然。

で、業界筋の友人から、裏事情を聞きました。ただし彼とて、その眼で見て来たワケではなく、人づてに聞いて来た話なので、以下に書く事は芸能週刊誌の記事と変わらないレベルである、という前提でお読み下さいませm(__)m

NHKは最初から予定してたキャスト交代だと表明してますが、実際のところはやはり「尾野さんは降板させられた」っていうのが真相みたいです。

去年の暮れには決まっていたらしく、尾野さんは非常に複雑な想いを秘めたまま『紅白歌合戦』に応援出場されてた事になります。

降板の理由は、世間に出回ってる噂どおりみたいです。岸和田の言葉がキツ過ぎる、糸子の言動が下品だ…って、実際にそういう方言なんやからしゃーないやんけワレ!?

東北弁とかなら許されて、岸和田弁は駄目って、地方差別ちゃうんけコラァ!? 尾野さんだけがキツイ喋り方をしてるワケじゃないし、そもそも岸和田弁がそういう方言なのは最初から分かってた事と違うんけオンドリャア!?

下品うんぬんについては、夏木さんに代わったからって、上品になったようには見えませんけど… gonbeさんが書かれてた通り、かえって下品さが目立ってる気がするんですけど… どーゆーこっちゃ、ワレェ!?

極めつけは「尾野真千子は役に入り込み過ぎるタイプの役者だから駄目」って、はぁ? それの何があかんの? ほな『カーネーション』に出てる他の役者さんは全員、役に入り込まないタイプの役者なんけ? 意味が解らんわっ!

ここからは私個人の憶測ですが、恐らく、岸和田弁がどうこう、下品だからどうこうっていうクレームが、主に関東方面から寄せられたのでしょう。関東には大阪人を嫌ってる人が多いですから。(それこそ逆差別じゃんかさ!って言われそうだけど、事実そういう傾向があるんだから仕方がない、あるんだから仕方がない)

で、本来NHKは気にしなくてもいい筈の視聴率が、関東で伸びないのが気になって気になって仕方ない上層部が、尾野さんの言動を何とかしなさいって、製作の現場に言いに来た。

尾野さんは確かに、役に入り込む人だろうと思います。私も『朝イチ』出演時に糸子そのものに見えた尾野さんを見て、役になり切ってるんだなと思いました。素顔は控えめで物静かな方だと聞いてましたから。

撮影現場を離れても役が抜けない尾野さんだから、上層部からの通達に対して、糸子そのまんまの調子で、ガツン!と言っちゃったとしたら、どうでしょう?

役に入り込み過ぎる事が裏目に出て、まだまだ体制的なNHK上層部の怒りを買って降板させられた。そう考えれば辻褄が合います。あくまで勝手な憶測ですよ?w

まぁ理由は他にもあるかも知れないですが、尾野さんがご自分の意に反して「降板させられた」事だけは、まず間違いないと思います。

そして、夏木マリさん。何人もの女優さんが、そんなリスキーな仕事は受けられないって事でオファーを断った中、ただ一人、夏木さんだけが糸子役を引き受けてくれたんだそうです。

そりゃあ夏木さんご自身の中にも何か思惑がおありだったかも知れないけど、叩かれる事は絶対に避けられないリスクを承知の上で、この仕事を引き受けられた勇気と女優魂には、本当に頭が下がる思いです。

だから最後まで、夏木さんの糸子も暖かく見守りたいとは思ってます。思ってますけど、後味が悪過ぎますよね。

この交代劇で、いったい誰が幸せになれたと言うのか? 尾野さんも夏木さんも、ほっしゃん。等の共演者達も、脚本家も現場スタッフも、そして我々視聴者も、みんなが残念で悔しく思うしか無いような事を、やらかしちゃったよなNHKさん! 見損ないましたよ。

こんな悲劇さえ起こらなければ、『カーネーション』は朝ドラ史上に燦然と輝く名作に、確実になってた筈ですよ。見事に水を差しましたね。

これから夏木さんが素晴らしい演技を見せて、我々が晩年の糸子も愛せるようになったとしても、この傷は深く刻まれたまま、永遠に消える事は無いでしょう。本当に残念です。

ところで、私は『ライアーゲーム』を最近まで観た事が無かったので、多部ちゃんが新作映画のヒロインとして出演する事のリスキーさが、いまいち解ってませんでした。

過去作を観ると実質の主役はヒロインの戸田さんでしたから、感覚としては今回の糸子役に匹敵する交代劇だったのかも知れません。

多部ちゃん、キミという人は… 多部ちゃん、多部ちゃん、あぁ多部ちゃん…!

『亜弥のDNA』

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手前味噌というより、観て頂くにあたっての言い訳ですm(__)m 創り手は黙って、自信を持って自作を差し出すべきだけど、まぁ遠い過去の作品ですから、いいじゃないですかw

商業作品としては、辻本貴則監督との共作『抱腹絶闘』に続く2本目の監督作で、『KILLERS』はこの次になります。依頼が来たのは2001年の秋、9.11テロと前後する時期でした。

「5〜6分の連続ミニドラマを約10本、松浦亜弥っていうアイドルを使って撮ってみる? 内容は任せるから」

嘘みたいな話ですが、本当にそんなオファーが、何の前触れも無く舞い込んだのです。クライアントは前述の『抱腹絶闘』と同じ製作会社で、この頃は私の事をとても買ってくれてました。そう、この頃はw

ドラマと言ってもハロプロの深夜バラエティー番組『アイドルをさがせ!』内の1コーナーで、ハロプロ所属のアイドルを主役にコメディー派の新人監督がミニドラマを撮る、実験的な、もっと言えばお遊びのドラマです。

だから歴代の監督さんは、かなりコントに近い内容で、ラフな撮り方をされてました。それで正解なんです。視聴者はアイドルが可愛く面白い事をする姿が見たいだけなんだし、ドラマとしてしっかりしたものを撮るには、予算も時間も無さ過ぎるんです。

でも、私はコントの演出がやりたかったワケじゃなくて、目指してたのは笑いのあるアクション映画の監督です。コントを撮る気はサラサラ無かったし、そんなスキルも持ち合わせてませんでした。

内容は任せると言われれば、これはもう刑事ドラマしかあり得ないだろうとw それをやる為に私は、プロを目指してたワケですから。

ちゃんとした刑事ドラマを創るには莫大な予算が必要で、そんな番組を任せてもらえる監督になるまで、あと何年かかるか分からない。なれるかどうかも分からない。

だから逆に、確実に刑事物をやれる機会は、今しか無いぞと。お遊びドラマの枠なら、リアルな警察署のセットやらパトカーやらが無くたって、強引に成立させられない事は無いぞと。

そんなワケで、いつかテレビで連続物の刑事ドラマをやりたい!っていう夢が、のっけから叶ってしまいました。それは自分にとって良かったのか悪かったのか…(目標として置いとくべきだったのかも)

その当時、あややはまだ売出し中で、私は彼女を知りませんでした。でも、近所の幼い子供は知ってました。しかも熱烈にファンだと言う。書店に行ってアイドル雑誌や音楽雑誌を見てみたら、かなりの割合で彼女が表紙を飾ってるではありませんか!

元からタイトだった撮影スケジュールが、彼女がみるみるメジャーになるにつれ、さらに厳しいものになっちゃった。1日の撮影で、なんと3話分を消化しないといけない!

いくら5分程度のミニドラマとはいえ、3話分となると合計15分。なるほど、これじゃあコントみたいにラフな撮り方でないと、全部撮り切れないワケです。(映画なら、数秒のシーンでも1日がかりだったりします)

でも、私にはコントは撮れません。撮る気もない。それまでやって来た通りのやり方で、つまり映画の撮り方でやるしか無いのです。

無謀でしたw 絵コンテを描いてみると、1日で撮らなくちゃならないカット数が、軽く100を超えている! どう考えても不可能です。考えに考えて、私が出した結論は…

「でもまぁ、何とかなるかも」(笑)

何ともなりませんでしたw ただでさえ無茶なのに、季節はもう冬。日の出と同時に撮影開始して、昼食タイム以外はノンストップで撮り続けても、太陽は無情にも途中で沈みました。

セットに移動しても、労働基準法により未成年のあややは21時に帰らなきゃいけません。撮影スタッフは、その日の朝に初めて会った人達ですw

まぁ、そんな事情を言い連ねても、本当に言い訳にしかなりません。どれもこれも、事前に分かってた事ですから。それでも「まぁ、何とかなるかもw」って思った私がバカなんですw

第3話の撮り残しは次回の撮影に回せたものの、第2話で撮り切れなかった「あややがお母さんに頬を叩かれる」という重要なハイライトは、次回に撮ってもオンエアには間に合いません。無かった事にする以外、どうする事も出来ませんでした。

まさにプロの洗礼です。前作『抱腹絶闘』は一応商業作品でしたが、期限があったワケではなく、スタッフも気心の知れた自主映画仲間でした。撮り残しは、いくらでも次回に回す事が出来ました。

今回はそうは行きません。放送に穴を空けるという最悪の事態は免れたものの、第2話はクライマックスの抜け落ちた、スカスカなエピソードになっちゃいました。

それだけではなく、私は撮影初日、とにかくテンパってました。それがキャストを不安にさせ、主役あややも初日はガチガチに固くなって、魅力を発揮出来てません。

脇の役者達の芝居に目を配る余裕も無くて、自分ばかり目立とうとオーバーなコメディー演技をする若手俳優達を、押さえる事が出来ませんでした。

それともう一つ、刑事部屋のボス=藤堂係長を演じてるお爺さんw(いつ亡くなるか分からない感じだったのに、今でもバラエティー番組でよくお見かけしますw)

芝居が出来ない人なのは、知った上でキャスティングしました。前任の監督さんが使ってるのを観て、その出来なさ加減が可笑しくてツボにハマってしまい、是非にと思って登場願いました。

誤算でしたm(__)m コント的な内容ならば素人芝居も笑えるんだけど、私が目指す映画的コメディーじゃ通用しないんです。しっかりした芝居に支えられてこそ、初めて成立する世界なんです。

まさか、あそこまで出来ない人だとは思ってなかった、という誤算もありましたがw、初日に撮った分の仕上がりを観て、第4話以降はボスを喋らせない方針に切り替えましたw

そんなワケで最初の3話は、一番大事な「掴み」だというのに、自信を持ってお見せする事が出来ませんm(__)m

監督の私が本来の力を、主役のあややが本来の輝きを発揮するのは、第4話からです(全部で9話)。

4話以降をご覧になっても面白くなければ、それはもう私の力が足りないからです、と認めるしかありません。

でも、最初の3話だけは、どうか若気の至りとして、あるいはタニオ・チクビッティーに免じて、大目に見てやっては頂けないでしょうかm(__)m

どれもこれも、自分の認識の甘さが原因ですから、言い訳しても仕方ないんですけれど。最初の3話で見限られちゃうのが怖くて、言わずにいられないんです。

内容について何も触れてませんが、当時15歳の松浦亜弥が、なぜか刑事になって大活躍するナンセンス・コメディーって事で、まぁ充分かとw

あややに『スケバン刑事』のパロディーをやらせてるあたり、先見の明はあったかなとw

まぁ内容はともかく、あややが最も新鮮で、ピチピチ弾けてた時期の姿を見るだけでも、充分に価値はあるんじゃないかと思います。

ちなみに、私もちょこっとだけ出演してますw

『VOiCE』

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販売もレンタルもされてませんので、個人的にやり取りしないと観られない作品である事を、ご了承下さいませm(__)m

タイトルの綴りが「i」だけ小文字なのは、ロゴをデザインしてくれた人の感性です。なんとなくオシャレかな?とw 決して誤植ではありませんw

これは2006年、私が最後に監督した自主製作映画です。と言ってもスタッフ・キャストの大部分はプロの人で、撮影スケジュールもTVドラマ並みにタイトな、限りなく商業作品に近い体制で創られた自主映画です。

自主製作というのはつまり、製作費を頂いて創るのではなく、自分達で負担するという事ですね。それがお金儲けに繋がる場合も稀にありますが、大抵は持ち出しっ放しの赤字です。

せっかくプロになったのに、わざわざ自主製作で映画を撮るメリットがあるのか?と思われそうですが、そこはやっぱり「表現すること」に意味があるって事ですね。根本的にはブログと同じです。

自主製作の最大のメリットは、誰の指図も受けず、何ら制約も無く、100%自分が創りたいように創れる事です。だからプロになっても、自由な作品創りを求めて、あえて自主製作をする人は少なくありません。

あの『スター・ウォーズ』シリーズだって、ジョージ・ルーカスが最初の作品で得た収入を元に創った、壮大なる自主映画なんですよ。だから良くも悪くも、ルーカスのやりたい放題にやった作品。

ただし『VOiCE』の言い出しっぺは私じゃなくて、『ストーンエイジ』の監督・白鳥哲さんでした。

白鳥さんは本来、文学座に所属する俳優さんであり、声優さんでもある人です。監督業で心身共に消耗し、疲れて、自分の原点=役者に立ち返ってリフレッシュしたい、ってな思いがおありだったのでしょう。

そこで、主演・白鳥さん、監督・かわたで撮る前提のプロットを、私に差し出されたのでした。

記憶がおぼろげなんですが、自殺をしに山へ来たヒロインが、そこに住み着いてる不思議な青年と出会い、彼に導かれて、大きな杉の木に耳を当てる。かすかに聞こえる息吹の音に感動し、生きる気力を取り戻していく…というようなストーリーでした。

かなり前にNHKで放映されたドラマを元にしたとの事でしたが、私には意味がよく解りませんでした。

木の音を聴いたからって、死ぬ気だった人が生きる気力を取り戻すだろうか? その青年が何者なのかもよく分からないし、私の作品の主人公としては、格好良過ぎるのが気に食わないw

このお話のままじゃ撮れない、書き直しさせて欲しい、とワガママを言う私w だって、映画を創る作業は、とても骨が折れるんです。お金もかかるし、時間もかかる。その作品を心底から愛せなければ、とても勤まるもんじゃないんです。私はそれを、よく知っているw

スピリチュアルは別に嫌いじゃないけど、やっぱ理屈の裏付けが欲しい。木の音を聴いて、なぜヒロインは立ち直るのか?

当時、私はセラピストの人とたいへん親しくしていました。私自身も実験台としてw、ヒプノセラピー(催眠療法)ってやつを受けてみた事があるんです。

その中で私は、カブトムシの幼虫の映像が頭に浮かび、なぜか涙が止まらなくなりました。なぜ、カブトムシで私は泣いたのか?

やがて、それは私が小学生の時に、親戚の兄ちゃんからお土産に貰ったカブトムシ(成虫)の記憶に繋がってる事が判り、さらに涙が止まらなくなったんです。

私は両親からそういう事をしてもらった記憶が無く、「愛されてる」という実感を味わった事があまり無い為に、そのカブトムシに込められた親戚の兄ちゃんの愛情が、潜在意識に深く刻まれてたワケです。

ただし、催眠状態の中で私が見たのは幼虫であり、それがお土産のカブトムシに繋がったのは、ある意味こじつけかも知れません。でも、それで私が癒された事実に変わりはありません。

そんなセラピーの過程が、ちょっとした謎解きミステリーみたいで、すごく映画的で面白いなと私は思ってました。これはネタに使えるなと。

で、私にとってのカブトムシを、ヒロインにとっての杉の木にアレンジしたワケです。ヒロインの見た夢に小学生の時の同級生が現れ、その同級生と再会し、記憶を辿っていく内に、二人は杉の木に辿り着く。

ヒロインは両親と不仲で、仕事や恋愛もうまく行かない現状の中で、自己嫌悪に陥ってました。それが、その杉の木と出会う事で、潜在意識に刻まれてた「両親の愛を感じた瞬間」の遠い記憶を取り戻す。そして自分自身の存在価値を見いだし、癒されると。

こうなると、話は完全にヒロインの「心の旅」になりますから、白鳥さんが演じる予定の二枚目青年が、すっかり脇役になっちゃいます。

しかも私は、その青年を「昆虫マニア」という、ちっとも格好良くないキャラクターに変更しちゃったw ラブストーリーの匂いを消したかったし、そんな山に住み着いてるような男は、まぁよほどの変人に違いなかろうwと思ったからです。

それと、以前『探偵ナイトスクープ』で紹介された、昆虫博士と呼ばれる男子中学生が、とても印象に残ってた影響もあります。

ただのマニアと思いきや、その子は環境問題を真剣に憂いてて、虫を通して地球を見てる。そのギャップが面白いし、感動させられたんです。

ちょうど、私がこの映画にヒプノセラピーの要素を取り入れるきっかけになった「カブトムシ」とも、見事にリンクするキャラクターです。

趣味である昆虫についての記事執筆で生計を立て、俗世間を避けて独り、仙人みたいな暮らしをしてる青年は、私にとって実現不可能な理想像です。

一方、女優としてデビューしたもののパッとせず、中途半端な自分に嫌気が差してるヒロインは、当時の私の「現実」ですね。いつもながら、自作の登場人物は皆、私自身の投影です。

この二人に、今風の若いカップルが絡んで話は進んで行くんですけど、私がなぜ、そのカップルを登場させる気になったのか、きっかけが思い出せませんw 暗くなりがちな話に、ユーモアを入れたかっただけかも知れませんね。ひたすら暗いばかりの話は苦手なんです。

ヒロインを演じてくれたのは、文学座の当時は研究生だった、高安智実さん(画像)。白鳥さんの紹介で、面談だけで決めちゃいましたが、素晴らしかったと思います。

yamarineさんがブログに書いて下さった通り、尾野真千子さんに似てますねw サッパリ男前なご性格で、監督にとって非常にやり易い女優さんでした。

白鳥さんは、主役の筈が相手役になって、しかも博士役でw、制作進行的な役割までこなして頂いて、なんだか申し訳なかったです。でも、この役は白鳥さんにすごく合ってると私は思ってます。

このブログの読者さんの中に、本作を手伝ってくれた方も何人かおられると思います。あらためて、有難うございましたm(__)m なかなか…いや、かなりハードな撮影でしたねw

この作品、私がセラピーの世界と近く接してた時期に創ったもので、今の気分とは少なからずズレがあったりします。が、観るたびに「いやいや、なかなか良い映画やん」と思ったりもしますw

でも、一般に公開するのは難しい作品ですね。「売りは何だ?」と問われると、返答に困ります。売る為に創った作品じゃないですから。

ヒプノセラピーを宣伝するような意図もまったく無いです。面白いと思ったから題材に使わせてもらっただけの話で。

ただ、常に自分自身の為に映画を創って来た私が、初めて他の誰かの為に…白鳥さんの依頼で取り組み、行き詰まってる全ての人を癒せればいいなと思って…創った作品なので、もっと沢山の人に観てもらえる機会があればいいなぁ…とは思ってます。

でも、癒しの映画なんて、マルコチクビッティーな私にはやっぱ、似合わないですねw

『聖白百合騎士団』

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手前味噌なレビューが続く事をお許し下さいm(__)m

先日『ケータイ小説家の愛』をレビューさせて頂きましたが、ほぼ同時期にリリースされた『聖白百合騎士団』も、実は私が脚本を担当してまして、これはこれで思い入れがありますので、この機会に紹介させて頂きます。

ただし、良くも悪くもアクの弱い『ケータイ小説家…』と違って、こちらは相当にアクが強く、かなりお客を選んでしまう作品だったりします。

まず、もし太平洋戦争で日本がアメリカに勝利していたとしたら?(つまり軍国主義のまま現在に至る日本)というパラレルワールド的な世界観。あり得ない設定だと感情移入出来ない、という方にはオススメ出来ません。

そういった設定は、日本人がガンアクションを演じる事に説得力を持たせる為の、まぁ苦肉の策でもあるんですね。

現実そのまんまの日本でガンアクションをやるとなると、お定まりの刑事物かヤクザ物にならざるを得ない。定番ジャンルはスターが出てこそ面白いんであって、マイナーはマイナーならではのアイデアで勝負するしか無いワケです。

そして、高貴なお嬢様ばかりが集う女子校、という舞台設定。「お乳首を弄ぶのは、およしになって」とか「まぁ、なんて躍動的なお頭皮なのでしょう」みたいな言葉遣いに、拒否反応を示す方もおられるやも知れません。

さらに、タイトルが示してる通り、つばさと万里みたいな?女子どうしの恋心が描かれますので、アブノーマルに耐えられない方も脱落しちゃう事でしょう。

とどめは、必要以上に血糊が飛び散る残酷描写ですね。タベリストの大半が苦手とされる要素であろうと思います。

でも、私自身、自分の監督作ではほとんど血糊を使わず、撃たれた人はなぜか煙をモクモク出すというギャグにしちゃう位、血しぶきだの人体破壊描写だのは好まない人間です。

その私が観ても不快な感じがしない、様式美としての血糊の使い方なので、決してグロテスクなものではありません。美少女の顔やセーラー服が血で汚れる様を見せて萌えさせるという、変態趣味ですねw なお悪い?

そういった特殊な設定と、昭和初期の雰囲気を残すレトロな世界観。それら全て、監督・田渕寿雄さんの、趣味ですw いや、これは本当にそうなんです。

私が一から構築した『ケータイ小説家の愛』と違って、本作は田渕監督があらかじめ用意した、かなり詳細な設定書と、言わせたい台詞、やらせたいアクションを箇条書きしたメモに基づいて、あるいは取捨選択し、解りやすいストーリーに再構築するっていうのが、私に与えられた役割でした。

以前「大○田さんとの思い出」ってタイトルで記事にした『Monja』と同じパターンですね。大○田さんの場合は具材に統一感が無くて、料理するのに大変苦労しましたがw、田渕監督の場合は筋の通った変態趣味なのでw、そういった苦労は無かったです。

でも、最初にそれらの具材を提示された時には、正直なんじゃこりゃと思いましたw 高貴なお嬢様達が淑やかに銃を撃ちまくり、侵攻して来た男子校の連中を皆殺しにして、そんな中で女子どうしの純愛を育み、なんとなくハッピーエンド。

倫理的にけしからんとか、そんな事は別にいい(私も人のこと言えない)んだけど、共感出来るキャラクターがいないじゃないかと。世界観が優先されて、人物が殺戮ゲームの駒扱いされてるのは厭だなぁと。

だから最初はあまり乗り気になれなかったのですが… そんな私をアッサリ心変わりさせたのは、監督から「これを参考にして」と渡された、とあるアニメ番組のDVDでした。

それが、知る人ぞ知る百合アニメ『マリア様がみてる』です。やはり高貴な女子校のお嬢様たちが女子どうしの純愛を育んでいくお話なんだけど、これが観てみると、メチャクチャ面白かったw

まぁやっぱり世界観そのものに拒否反応を示す方もおられるでしょうけど、それさえ乗り越えたら非常にウェルメイドな青春ドラマであり、けっこう深い人間ドラマでもある。私はハマっちゃいました。

もちろん、百合の世界に萌えてしまったというw、新たな変態道への目覚めでもあったんです。いやぁ、百合って、本当にいいもんですねw

それも、思春期の少女(処女)たちが繰り広げる百合が良いんですw 多分それは、はかないから。

ただでさえ初恋ってはかないのに、まして女子どうしとなると、学校卒業までの期間限定の恋になると思うから。つまり絶対に成就しない事が、最初から分かってる恋だと思うから。

それでも健気に片思いしたり惹かれ合ったり、時には傷つき、相手を想う事で成長し、大人に近づいていく。そんな、甘美で切ない百合の世界に、萌えましたw

それと、お嬢様言葉にも魅力があるんです。最近は女子でも男みたいに汚い言葉を使うのが普通になっちゃってますから、お嬢様達の美しい日本語が、かえって新鮮に感じられるんです。何だかレトロな感じもして、郷愁までもたらしてくれる。

多部ちゃんにも、そういう魅力がありますよね? だから、もしかするとタベリストは『マリア様がみてる』に萌える素質を皆さん、秘めておられるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?w

とにかく私は『マリア様がみてる』を観て、監督のやりたい事を理解すると同時に、共感する事が出来たんです。

レトロ趣味や残酷描写は、私にとっては単なる味付け、調味料みたいなもんです。それはもう、シェフである監督にお任せして、女子どうしのはかない恋にこそ、自分の想いをこめて脚本を書かせて頂きました。

主演は、AKB48の秋元才加さん。AKBがまさかの大ブレイクを果たす直前の出演でしたが、既に風格みたいなものを感じさせたし、格闘技もこなせるそうなので、このジャンルでの活躍が期待出来る人材かと思います。

私は特に、彼女が対戦車ライフルをぶっ放す時の、「凛とした」どころじゃ済まない、精悍で力強い、要するにオットコマエなw面構えにシビレまくりました。カッチョエエ!の一言です。

だから、彼女が何人もの女子から慕われる展開に、映像としての説得力があるんですよね。そこが本作の肝だと思ってたので、このキャスティングは大成功だったんじゃないかと思います。ブラボー、田渕監督!

ただし、秋元さんが恋のお相手に選ぶ女子(あいか)が、あまりに天然キャラなのは、私的にはイマイチ共感しかねる部分です。これも田渕監督の、趣味ですねw

ついつい私も、コメディー作家の虫が疼いて、監督の指定に輪をかけてアホキャラにしちゃった負い目はあるのですがw あんなおバカさんに、あの才加様が萌えるだろうか?w

他にも、若手女優やグラビアアイドル、現場スタッフの女子に至るまでw、様々なタイプの女の子が登場します。

個人的にオススメなのは、才加様に次ぐNo.2のお姉様を演じてる、長澤奈央さんの淑やかさと、副生徒会長を演じてる高松いくさんの、捉えどころの無い怪しさです(『ケータイ小説家の愛』にもTVキャスター役で登場されてます)。

他にも、ボーイッシュや眼帯サディスト娘など、あらゆるマニアのニーズに応えるw趣向が凝らされてます。うーん、やっぱり変態w

でも、これほど監督の偏った趣味がストレートに反映させられるのは、マイナー作品ならではの楽しさじゃないでしょうか?

誰が観ても当たり障りの無い、無個性で何の主張もしないメジャー作品より、よっぽど見応えがあるんじゃないかと、私は思います。

『つばさ』26 (前)

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ふと、横矢みちる=山本未來さんの顔が頭に浮かび、未來さんと言えば平成ゴジラ映画でメカゴジラを操縦してなかったっけ?とか、ワケの分からない連想をして…

実際にメカゴジラに乗ってたのは、未來さんじゃなくて中川安奈さんですがw、もし多部ちゃんがそんな役をやったら?って妄想したら、なぜだか涙が出て来ちゃいましたw

もし多部ちゃんが、命懸けでメカを操縦して悪と戦うような役をやったら、私は感情移入し過ぎて泣いちゃいそうです。やらないかなぁ、そんな役w

多部ちゃんとSFの組み合わせと言えば『ルート225』『ヒノキオ』=日常的な世界観のSFばかりですが、例えば『ヒノキオ』の続編を私が創るとしたら…

雅俊さんのロボット技術を、悪の権化=マルコ・チクビッチ博士が悪用してw、巨大ロボット=メカ乳首を開発。博士は世界征服を目論み、雅俊さんは殺されちゃう。

で、雅俊さんの息子が遺志を継いで正義のスーパーロボット=桃色クローバーZを開発し、でも身体が弱いから、操縦は工藤ジュンが引き受けるワケです。

もちろん、堀北真希さんには必然性なく脱いでもらいます。裸の真希ちゃんに「抱いて」と迫られ、困惑するジュン。黒木メイサ(もちろん全裸)との三角関係も描かれ、多部ちゃんの困り顔が存分に堪能出来るって寸法です。

劇場版『家庭教師のミカ』と二本立てで、大ヒット間違いなしですね!w

☆帰って来たよ!
さて、いよいよ『つばさ』レビューも最終週まで辿り着きました。こんな大作レビューになるなんて、最初は夢にも思ってなかったですw

未見の方にも『つばさ』の面白さが伝わるように、なんて目標を掲げたものの、このドラマの魅力はストーリーを詳細に解説し、解析しないと伝わらないんですよね、きっと。

だから文章が長くなるばかりか、台詞の一言一句も正確に印す必要があり、まるで研究本を執筆してるみたいな、とても骨の折れる作業になっちゃいました。

最初は無我夢中で楽しんでたけど、途中から私は何故こんな大変な事をやってんだ?ってw、正直しんどくなっちゃったのも事実です。

だからこそ、ゴールが目の前に近づいて来ると感無量ですね。ちょっとした仕事感覚で、ドラマを観客として純粋に楽しめてないのも事実だけど、普通に鑑賞するだけじゃ味わえない達成感があるんじゃないかと、期待もしてますw

それじゃ本末転倒じゃないかと叱られそうですが、私は別に悔やんでません。こうして解析しながら観る事によって、何度か観ないと気づかない事にも気づけたし、濃密なコメントのやり取りも楽しめて、1粒で2度も3度も美味しい鑑賞法だったんじゃないか、と思ってます。


房子様と和解し、蔵造り通りの店に戻れる事になった甘玉堂。大きい家→小さい家の引っ越しに比べて、その逆は楽に感じられる事を発見する、玉木ファミリーw

「帰って来たよ」

トロッコを押して縁側から居間に入り、台所へ行って、この台詞を言うまでの多部ちゃんが、なんでぇ〜こんなにぃ〜可愛いのかよぉ〜♪と来たもんだ。

「みんな、落ち着くべき所にようやく落ち着いたのよね」

…と、加乃子がしみじみ言いました。人は誰でも、何かにチャレンジして、挫折し、這い上がってを繰り返し、やがて自分の居場所を見つけていく。

それを描くのがドラマって事だけど、『つばさ』みたいに全てのキャラクターがそうして成長していく(最初から出来上がってる人物が一人もいない)ドラマを、私はこれまで観た記憶がありません。ところが…

「本当はまだ、片付いていない大事な問題が残っている事に、つばさは気づいていなかったのです」

前週のラストにも、そんなナレーションが入りました。この時点ではまだ、つばさの男選びの件だろうと私は思ってたのですが…

☆プロポーズ
温泉を掘り当てた伸子の旦那(太川陽介)がルイルイ♪と帰って来て、再び親子三人で暮らせる事になりました。

その幸せそうな光景を、母のいない優花がうらめしそうに見ています。折しも父・真瀬に、佐賀県から新しいコミュニティー・ラジオ局の立ち上げに参加して欲しい、とのお誘いが。

「つばさが一緒じゃなきゃ、優花いかない」

優花は今でも、つばさがお母さんになってくれる事を望んでるのです。

「優花が本気なら、お父さんもちゃんと決めなきゃな」

静かに、穏やかにそう言う、番組初期とは別人の真瀬・後期バージョンw

伸子が復帰し、正太郎と二郎のイレギュラー参加も決まったラジオぽてと。真瀬は安心して、社長の座を伸子に譲り、佐賀へ移転する事を宣言します。勿論つばさは納得しません。

「だからって、ぽてと辞めなくても! だって、ぽてとは千波さんの夢だったんですよね?」

「お話の木は、一本とは限らないだろ?」

お話の木っていうのは、亡き妻・千波の書いた童話に出てくる、みんなの広場=ラジオを象徴するアイテムです。半年近く前に出てきたエピソードで、基本「ながら見」の朝ドラ視聴者は忘れてますって!w

「優花と俺と一緒に、ついて来てくれないか?」

それはすなわち、真瀬からつばさへの、二度目のプロポーズ。いや、違う? 前回はみちるの罠で告白させられただけで、正式には今回が初めてでしたっけ?

「お前には不思議なパワーがある。人を羽ばたかせる力だ。お前と関わる人間は、自分が抱える様々な悩みやコンプレックスと、お前を通して向き合う事になる。そして気づいたら、それが克服出来るようになってる。要するに、成長するって事だ」

ちょっと説明的なw、真瀬の台詞。最終回が近づき、まるで『つばさ』という番組を総括してるかの様です。

「この先の俺の人生に、お前がいて欲しい」

さらに優花が駄目押しします。

「つばさも一緒に行くんだよね? そうなんでしょ? 行くって言って! お願い、言って!」

☆それとも乳首か?

「俺もやりたい事、やっと見つけられた。俺にはサッカーしか無いんだ」

コーチの資格を取って、子供達にサッカーの魅力を教えたいと、つばさに新たな目標を語る翔太(スティーブン・チクビルバーグ)。ふりだしに戻っただけとも言えますw

「つばさには不思議なパワーがあるんだ」

真瀬と同じような事を言われて、ドキッとするつばさ。さらに「サッカーで人と人を繋げたいんだ」と、つばさと同じ目標まで持つようになったチクビルバーグ監督。

そんな監督に、真瀬からプロポーズを受けた事を率直に話すつばさ。真瀬がどうこうよりも、優花の気持ちに応えてやりたい気持ちで、つばさは揺れてる模様です。

「誰かの為じゃなくて、自分がどうしたいか、じゃないかな」

これもいつぞや、真瀬がつばさに言った台詞に似てますね。じゃあチクビルバーグ監督、君は一体どうしたいんだい? 平静を装っても、頭皮は戦火の馬みたいに駆け巡ってるぜ?w

そんな頭皮を守る為にヘディングは控えながら、生き生きと子供達にサッカーを教えるチクビルバーグ監督を、これまたいつぞやの様に、二人で眺めるつばさと万里。

「つばさと別れた後、大人になろう、いい男になろうって頑張って来た。それって大谷君の、長い、長ーい、プロポーズだったりして」

本当にそうですよね。どん底に堕ちてからの翔太は、それまでのチャラさを捨て、いつも真剣でした。口の締まりも良くなった。モミアゲは相変わらずだがw

いい男になる為の方法が、秀樹に弟子入りっていうのは、ちょっと頭皮のズレを感じたけどw、それまでとは全く違う自分になりたい!っていう、強い想いだけは伝わって来ました。

私ほど翔太に注目しながら『つばさ』をレビューした人間はいないだろう、と自負しますがw、それ位、チャラさを捨ててからの翔太は良かった…というより、面白かったですw

☆解決してない、あの問題
真瀬は、つばさに断らせる為にプロポーズしたのでは?と、加乃子&竹雄は推理します。そうしなければ、つばさは優花の為に、佐賀へ行かなきゃいけないと思い詰めてしまうから。

そして、つばさが区切りをつけられないのは、そうすれば優花を見捨てる事になってしまうと思ってるから、ではないかと加乃子は心配します。

「私と同じ事はしたくないって、そう考えてるのかも…」

加乃子と同じ事とはつまり、親が子を見捨ててしまう行為です。かつて、父・真瀬に見捨てられた状態だった優花に、つばさは母・加乃子に見捨てられた自分自身を重ねてました。

つばさの心には、今でも母に見捨てられた心の傷が残ってて、そのトラウマがつばさ自身の「羽ばたき」を邪魔している…

浮かない顔の娘を心配する母に、「何でも無いってば」と笑顔を見せるつばさ。

「何でも無い筈ないよね。お姉ちゃん、何かある時ほど笑顔になるから」

いつだって、何でもお見通しの天使・知秋ですw

「こんな性格、なりたかったワケじゃない。優花ちゃん、寂しい目してた。きっと、私に見捨てられたと思ってる」

「それ、母さんにぶつけたら?」

知秋は、10年振りに帰ってきた母に対して、拒絶する気持ちを早い段階でぶつけてました。ところが姉のつばさは…

思えば、加乃子に対して恨みの気持ちがあった事を、つばさが告白しかけた時、加乃子は「いいのよ、言わなくて」って、遮ってましたよね?

それは、可愛い娘にそんなダークサイドを晒させたくないっていう親心もありつつ、分かっていながらも本人の口から聞くのが怖いっていう、加乃子のエゴが働いたのかも知れません。

つばさは、知秋にはいろんな事を愚痴っても、加乃子には決して愚痴らない。

「それって、心の底では母さんのこと受け入れてないんじゃないの?」

マ、マルコチクビィーッチ!! なんと、唯一片付いてなかった大事な問題とは、つばさと加乃子の母娘関係だったのです!(つづく)

『つばさ』26 (中)

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☆リターン・オブ・千代さん
朝一、階段を降りて来たつばさが、体重計に乗って「よし!」…第1話はじめ何度となく描かれた恒例行事ですが、蔵造り通りを離れてからは、確か描かれてなかったですよね?

さりげない描写で、帰るべき場所に帰って来た事を我々に実感させる為に、あえて見せなかったんでしょうか。実際は向こうでも毎朝やってたんでしょうけど、つばさはw

さて、甘玉堂は大口注文への対応で大わらわ。かつての従業員である職人さん達も駆けつけ、総動員で甘玉づくり。

何だか見覚えのある光景だなぁと思ったら、第1話と全く同じパターンで、加乃子…の代わりに千代さんが帰還!

「私がいると、やはりはかどりますね」

この台詞も、あの時の加乃子と同じw あらゆる場面が、番組初期と合わせ鏡になってるみたいですね。

千代さんは、あの時の加乃子と同じ事をして、娘の気持ちを理解しようと思ったそうですが、ちょっと無理があるなぁw

そこまで理由付けしなくても、単なるギャグって事で良いのでは? まぁ千代さんは堅物キャラだから、理由無しでこんな馬鹿はやらないかw

「家に戻る時の敷居は、出ていく時の何倍も高いものだという事が、よーく解りました」

葛城さんは、静かに旅立って行かれたそうです。最期の時を最愛の女性と過ごして、思い残す事は無かったでしょう。

「戻って来ました」

千代さんは亡き夫・梅吉にも帰還のご挨拶。そう言えば最終週、梅吉さん(の幽霊)は登場しませんでしたね。出て来ても良かったと思うのですが、小松さんのスケジュールが合わなかった?

それとも、千代さんが内面的に羽ばたいた以上、もう出てくる必要が無くなった? つまりラジオの男と同じで…って、そのへんの話は次回ですねw

☆あんの野郎ぉーっ!
翔太(アルフレッド・ヒッチクビコック)が斎藤興業を退職し、ブラジルに行くと言い出しました。 サッカー指導者の養成学校で、コーチの資格を取ろうという魂胆です。つばさは動揺を隠せません。

玉木家でもそれが話題に上り、「あんの野郎ぉーっ!」と理由もなくトロッコに乗って翔太を殴りに行こうとする、竹雄さんがとってもラブリーw 「あ、条件反射かな?」ってw 

その気持ち、よーく解りますw 何をやっても何を言っても、何となくオジサンをイラッとさせちゃう。それが乳首人間なのですw

「佐知江さん、淋しくなるわねぇ」

「まぁ、あの親子も色々あったからな」

よその親子の話なのに、なぜかつばさと加乃子の間に、ピリピリッと微妙な緊張感。治ったとばかり思ってた病の症状が、長い長い潜伏期間を経て、再び顕れて来たような感じです。

「俺、親父をおふくろに会わせようと思ってるんだ」

巨匠・ヒッチクビコック監督が、そんな事をつばさに言いました。あんの野郎ぉーっ!

自分にとって、父と母は唯一の家族だから…と、監督は言うのです。親父みたいには絶対なりたくない!なんて言ってたクセに、あんの野郎ぉーっ!

「どうして、許すこと出来たの?」

「良くも悪くも俺が此処にいるのは、親父とおふくろのお陰なんだなって分かったから」

あの嵐の夜、俺が此処にいるのは親父のせいだろ!とか言ってたヒッチクビコック監督が、「せい」を「お陰」に言い換えました。

あの時、台詞としてはちょっと変な言い方だなぁと思ってたのですが、なるほど、ここでこんな風に言い換えさせる為の前振りだったワケですね!? あんの野郎ぉーっ!

「子供は、例えどんなに望んでも、親とまるで違う生き方は出来ない。俺は、親父がいたから、親父を見て育ったから、今の俺になれたんだ」

驚くべき事に、ヒッチクビコック監督の頭皮が、微動だにしません! 監督は、つばさよりも先に、壁を乗り越えたのです。あんの野郎ぉーっ!

今の監督と同じような事を、つばさが加乃子に言える時は、果たして来るのでしょうか?

☆あべこべ母娘
加乃子も、つばさと同じように、そのきっかけが掴めずに悩んでる様子です。

「つばさは、私の前ではいつも笑顔で強がって見せる。娘じみた真似して甘えてんのは私の方… こんないい歳した娘なんておかしいわね」

そもそも『つばさ』のキャッチフレーズは「あべこべ母娘」でした。つばさが加乃子に正座させて説教したりする場面もありましたねw それがとても自然な光景に見えちゃう所が、多部未華子ならびに高畑淳子、おそるべしですw

「つばさに頼ってばかりじゃ駄目。早く卒業しなきゃ…」

その「卒業」って言葉を聞いて、竹雄が何か閃いた模様です。はげちゃび〜ん!

一方、ラジオぽてとで市民パーソナリティーを務める佐知江さんに、乳首の父こと康一(永島敏行)が会いにやって来ました。もちろん、ヒッチクビコック監督の手引きがあっての事です。あんの野郎ぉーっ!

「有難う。今日、久しぶりに翔太に会って、見違えた。あいつを、あんなに立派に育ててくれて…」

「まだまだ一人前なんかじゃない。だって、半分はあなたにそっくりなんだから」

残りの半分は勿論、佐知江さん。この言葉は、何を意味するんでしょうか? 別れても、康一は乳首の父であり、佐知江さんは乳首の母、つまり家族である事に変わりは無いってこと?

ボールを蹴り合う父と息子を、つばさと二人、いつぞやみたいに河川敷で眺める佐知江さん。

「親子って、つくづく不思議だよね。愛しているのに憎くなる。憎しみが深まるほど、愛したくなる。厄介だよ」

いつぞやも、似たようなこと言ってましたよね? いくら拒んだところで、血は争えないのが親子だ、みたいな事を。

「だから、許せない事なんて無いのかもね。だって、家族なんだから」

まんま、つばさと加乃子の問題にもリンクする言葉です。「カノン」が『つばさ』作劇の一貫した手法とは言え、つばさと翔太は、それぞれ母、父に見捨てられた傷を背負う者どうし、理屈を超えて共鳴し、惹かれ合うものがあるのかも知れません。あんの野郎ぉーっ!(エクセレント・ハイパー激怒←うそw)

「私たち、結婚する事にしました」

突然そんな事を言いだしたのは、なんと竹雄&加乃子の夫婦です。竹雄がはげちゃび〜ん!と閃いた、とっておきの秘策とは!?

☆二度目の結婚式

「ほんと、色々あり過ぎだよね」

竹雄と二人、しみじみと玉木家のこの1年を振り返る、つばさ。連ドラのお約束ですねw

和菓子作りで一番大事なのは、小豆が炊けて行くのを待ってる時間だと竹雄は言います。

「見守ってるって言うべきかな。硬くて噛めない位の小豆が、時間をかけてゆっくりと柔らかくなってくのを、ただ、じーっと見守ってる」

思えば竹雄の師匠である梅吉さんも、フォトフレームからじーっと、玉木ファミリーを見守り続けてるんですよね。

「固まってる心が、時間をかけて溶けていく。それを見守ってるのが、僕の役割だ。僕は、いつでもつばさの事、見守ってるよ」

「ありがと…」

この時の多部ちゃん、泣くつもり無かったのに泣いちゃった感じですね。クランク・アップ=もう一つの家族とのお別れが、目前に迫ってる現実を意識しないではいられなかったのでしょうか。

「永らくお世話になりました。今日まで育ててくれた恩、決して忘れません」

…と、娘に挨拶する母w あべこべ母娘の究極形って感じですが、それを卒業する為の儀式が、この二度目の結婚式なのでした。

「お嫁に行く日ってホラ、娘が、親から巣立つ日でしょ? それって、娘である事を捨てる日だから」

結婚式は、娘を「卒業」する儀式でもある。それが竹雄さんの閃きだったワケですね。「こちとら、伊達や酔狂で頭禿げ散らかしてんじゃねぇんだ!」←by大滝秀治in『特捜最前線』w

「今日の日を迎えられたのは、つばさのお陰です。有難う」

竹雄ともう一度やり直せた事、千代と向き合えた事、知秋に拒まれて家を出た時に連れ戻してくれた事、加乃子の借金が原因で手放した蔵造り通りの店に、こうして戻って来られた事…

本当に色々あり過ぎな母ですがw、こうしてしっかり言葉にして、懺悔と感謝の気持ちを自分の娘に言える母親も、なかなかいないんじゃないでしょうか?

「ううん、私は… 今の私が好き。お母さんが帰って来る前の私より… やっと、自分の名前に追いつけた気がする」

「つばさ… この名前の本当の意味を教えてくれたのは、あなたよ。家を飛び出さなくても、羽ばたく事は出来るんだって」

母として、妻として、女将として、加乃子はこの場所で羽ばたこうとしてます。かつて、自分の居場所を求めて飛び出した、この家で…

「10年放浪しても見つからなかった幸せは、こんな近くに転がってたのね。ずいぶん遠回りしちゃった」

「おかえりなさい」

「ただいま」

そんな当たり前の挨拶を交わすまで、丸一年かかりましたw でも、10年分のわだかまりがそうさせたワケで、1年は決して長くない…というか、それを乗り越えられたこと自体が奇跡かも知れません。

ただ、この二人はとっくに乗り越えたように見えていたし、お互いの気持ちは解ってるんだから、わざわざこんな儀式しなくても…なんて思ったりするのは、私が男だからでしょうか?

サントラさんがコメントされてたように、ちゃんとした言葉で相手に伝えないと(もしくは相手から伝えてもらわないと)前に進めないのは、女性ならではの性質かも知れないですね。

「ありがとう、帰って来てくれて」

つばさはようやく、やっと、母の胸で泣く事が出来ました。加乃子が家出してからの10年間はもちろん、それ以前にもあまり出来なかった行為かも知れません。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」

「好きなだけ泣きなさい。本当に、この子は…」

私は最初に『つばさ総集編』を観た時、レビューに「あべこべ母娘が、1年かけて正常な関係に戻って行く様を描いたドラマですね」みたいな事を書きました。

まぁそれは、別に間違ってはいないんだけど、表層的な結果論に過ぎないんですよね。数ある要素の一つでしか無い。

そこに至るまでに描かれた、キャラクター達が自分自身のダークサイドと向き合い、必死に克服する姿こそが重要なのであって。そのへんはやっぱ、ダイジェストじゃ伝わらないです。

全編を通して観て来た上で、今回あらためてこの場面と、次回にやって来る衝撃の別れの場面を見直してみて、ある結論に辿り着きました。

『つばさ』というドラマが、いったい何だったのか? 創り手は何を目指して本作を創ったのか? 私は確信しましたよ! その答えは、レビュー前編の中に隠されてます。

次回、それを発表したいと思います。いよいよ、完結です。あんの野郎ぉーっ!w

『つばさ』26 (完・前)

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まぁ案の定なんですがw、一度に投稿出来る文字数を遥かに越えちゃいましたので、(完)を更に前後編に分けさせて頂きますm(__)m

☆大カーニバル
竹雄&加乃子・二度目の結婚式当日、お馴染みのレギュラー陣が玉木家に大集結、いちおう親族である紀菜子(斎藤由貴)も駆けつけました。

見られて恥ずかしい躰はしてない旦那の富司(山下真司)は、残念ながら多忙につき欠席。本当に残念そうな知秋ですが、私も残念ですw

つつがなく式も終わり、11年ぶりの丈比べをするつばさ&知秋。つばさ10歳の時の印を、加乃子は感慨深げに見つめます。あの時から今まで、母娘の時間は止まってたんですよね。

と、そこで合図の笛が鳴り、本場ブラジルのサンバダンサー軍団と共に、秀樹が久々に登場!

「あらまぁー!」と驚き喜ぶ加乃子ですが、あらまぁーなんて普通言わないですよねw

「今日は無礼講だ。みんな、踊れぇーっ!」

娘でいる事を捨てた筈の加乃子も、あの堅物・千代さんまでも、町中の人々が蔵造り通りに溢れ、踊り狂う大スペクタクル!

どさくさにまぎれて、斎藤清六さんも満面の笑顔で踊ってる! あんた、もう出所したのか?w ていうか、よく此処に顔が出せたもんだなw

永島敏行さんや太川陽介さん、斎藤由貴さんの再登場にも驚きましたが、清六さんは極めつけですね。コアな視聴者しか気づかないでしょうw

加乃子の投げたブーケが、つばさの手に。おっ!と彼女を見る、みんなの眼が暖かいですね。これは近い未来を暗示してるのでしょう。あんの野郎ぉーっ!!w

JUST MARRIEDと書かれたトロッコに加乃子が乗り、竹雄が押して、幸せ絶頂の二人は線路をどこまでも進んで行きます。今回の式はつばさの為だった事を忘れてますねw

そんな二人が辿り着いたのは、なんと新宿駅! もう深夜です。あんた、どんだけ走ったんだ竹雄さん!?w

「どうやって帰ればいいの?」

☆「そんなワケだから、バイバイ」
帰る手段の無い両親を心配する素振りも無くw、自室に戻ったつばさは、いつものようにラジオの男(イッセー尾形=画像)を呼び出します。

「ま、やっと片付いたな」

ラジオの男はしみじみと、つばさとの歴史を振り返ります。これはまぁ最終回のお約束でもありますから、視聴者はまだ油断してますよねw

つばさが10歳の時、加乃子が家出した夜に、初めて姿を現したラジオの男。深く傷ついたつばさの心を癒すべく、彼は毎晩のように話し相手を務めました。

でも、つばさのオカン業が忙しくなるにつれ、出て来なくなった。それが10年ぶりに加乃子が帰って来たと同時に、また現れるようになり…

「俺は、あんたの心の影だから。おふくろさんとの歪んだ関係が、心の中で軋んだり抱え切れなくなった時にだけ、慰めたり、癒してあげる為に現れた」

「茶化してるだけだった気もするけど」

「まぁ何でもいいや。そんなワケだから、バイバイ」

「えっ?」

母とのわだかまり=過去のトラウマをつばさが克服出来た以上、彼はお役御免だと言うのです。

誰もがこのシーンを見て、滝の涙を流さずにいられないのは、ここで彼とお別れになるなんて、全く予想してなかった事が大きいと思います。しかも、絵に描いたような大団円の直後に!

「そんな! そんなのヤだよ、いなくならないで!」

「これはね、おめでたい事なの。羽ばたけた証なの」

そう、これはつばさへの卒業祝い…というより「退院祝い」なんだと私は思います。えっ、退院? そうです、退院なんです。その理由についてはまた、後ほど。

「出て来てくれるんだったら、何でもするから! だから、いなくならないで! お願いっ!」

そう懇願しながらつばさは、全くあらぬ方向に顔を向けてます。

「えっ、もう見えてないの?」

それぞれの存在する世界が分断されて行くような、『つばさ』らしく容赦のないw別れの演出。そして一枚の羽根が、ヒラヒラ… 千波さんの花びらを思い出させますね。

「行っちゃったんだ… ありがとう…」

「おめでとう、つばさ」

その声はもう、つばさの耳には届きません。淋しさと切なさと暖かさが入り交じり、しかも意表を突かれたお陰で、私もあえなく涙腺大決壊でしたw

放映当時、朝っぱらから嗚咽して泣かされた皆さんは、そのあと出勤したり登校したり、無事に出来たんでしょうか?w

☆『つばさ』とは何ぞや?
さてさて前回、この別れの場面をあらためて見直して、『つばさ』というドラマが何であったか、一つの結論に辿り着いたと書きました。加えて、その答えはレビュー前編に隠されてます、とも。

まず、それが何であったかを明かしますと、真瀬がつばさに言った、例の説明的な台詞なんです。答えにあたる部分だけを抜粋しますと…

「お前と関わる人間は、自分が抱える様々な悩みやコンプレックスと、お前を通して向き合う事になる。そして気づいたら、それが克服出来るようになってる」

…私は、まさにそれを仕事にしてる人と、たいへん親しくしていました。そうです、セラピストです。

やっぱり『つばさ』は、セラピーなんですよ! 創り手は意識的に「セラピーの朝ドラ」を目指して、『つばさ』を創ったんです!

「なんだ、結局またそれかよ」と失笑するなかれ、今回はそう断定するだけの、根拠があるんです。これはもう、間違いないです。

つばさは、心に深い傷を負った人達の話を聞き、癒し、前向きな気持ちを取り戻せるように導く、セラピストなんです。いや、もっと広い意味で「カウンセラー」と呼ぶべきでしょうか。

私が最初に「『つばさ』はセラピーに似てる」って言いだしたのは、つばさと翔太の破局騒動で「どん底」がキーワードになった時かと思います。

さらにその疑惑が深まったのが、竹雄さんの失踪騒動です。その理由は後ほど解説させて頂くとして、『つばさ』=セラピーの疑惑は、万里がフルマラソン完走に挑むエピソードで、いったん白紙に戻されちゃったんですよね。

あのエピソードで、つばさは万里に対して「がんばれ」を連呼しました。カウンセリングに「がんばれ」は禁句ですから、これはやっぱ違うな、と。

だーがしかし! あれはトリックだったんです! 私はまんまと、作者の陽動作戦に引っ掛かったんですよ!w

万里には、つばさや翔太や竹雄みたいな、過去の傷=トラウマがありません。つまり万里の苦しみは、他のキャラクター達とは種類が違う。あの週だけ何となく異質に感じたのは、そのせいですよ!

万里は心に深い傷を負った患者ではなく、誰もが必ずぶつかる壁の前でもがいてる、ごく普通の若者なんです。だから万里には「がんばれ」って言っても構わないワケです。

あの回で不自然なほど「がんばれ」が連呼されたのは、セラピー説を否定する為というより、その真実を隠蔽する為だったんですね(なんの為にやw)。いやー、騙されましたよホントに。

☆重症患者・つばさ
さて、そんな私に「やっぱり『つばさ』はセラピーだ!」と確信させたのが、誰あろう「ラジオの男」です。

なぜ、ラジオの男というキャラクターを登場させる必要があったのか? なぜ、つばさの心の影=つばさの分身であるにも関わらず、事もあろうにイッセー尾形さんなのか!?w

カウンセラーになる人って、自身も心に深い傷を負った人である事が多いそうです。震災で救命士に助けてもらった子供が、将来は自分も救命士になろうと決意するのと似てますね。

私と親しかったカウンセラーもそうでした。でも、心の傷は完全に消えて無くなるものじゃありません。患者さんを癒しながら、自分の心は疲弊して「私のことは誰が癒してくれるの?」なんて、その人はこぼしてました。

そう、カウンセラー自身にもカウンセラーは必要なんです。つばさの心の傷は、周りにいるどのキャラクターよりも深刻ですよね?

母親に見捨てられる… その悲しみ、痛み、恐怖に匹敵するトラウマは、なかなか無いんじゃないかと思います。

例えば秀樹の傷なんか、ぶっちゃけ「たかが失恋」ですよ!w お相手の加乃子の場合は、その背景にある「母との確執」こそが真のトラウマなのに対して、秀樹は失恋以上でも以下でもない。

これ以上言うとhyoutangaidenさんに叱られそうだけどw、最後だから言っちゃいます。青春期の失恋を20年も30年も引きずって、今だに悲劇の主人公を気取ってる秀樹こそ、究極の乳首人間ですよ!w

だから、乳首が乳首の後を継いだのは必然ですねw もちろん、だからこそ我々一般の乳首人間はw、秀樹や翔太に共感して泣いちゃうワケですけど。

マスター・オブ乳首は秀樹。そしてグランド・マスターが寅さんなのでしょう、きっと。乳首人間第一号は、車寅次郎。つまり、愛すべきロクデナシ・キャラの系譜ですね。

おっと、話がつい乳首方面に逸れてしまいましたm(__)m 言いたかったのは、つばさの心の傷が、どれほど深いものだったかって事です。

でも、つばさ自身を癒してくれるカウンセラーはいない。だから… つばさは、もう一人の自分を創作したんだと思います。そう、無意識に…

ラジオの男は、妖精でも幽霊でもなく、心を病んだつばさが見る、いわば幻覚。言い方を替えれば、多重人格(分裂症)の症状だったワケですね。つばさこそが、一番の重症患者だった。

それなのに彼女は、周りにいる患者達を放っておけず、自分は陰で血を吐きながら、健気にみんなを治療してたワケです。そう思うと涙が出ちゃいませんか?

『つばさ』の企画は当初「こんなの通せるワケないだろ!」と上司を激怒させた位、ダーク過ぎる内容だったそうですが、恐らくその辺りの事がもっとストレートに表現されてたから、だろうと思います。

心を病んだ、多重人格の女が主人公の朝ドラ。空前絶後ですよね! そりゃ上層部は怒るでしょうw 怒るけど、朝ドラのマンネリを打ち破る起爆剤にはなりそうだってんで、オブラートに包むならOKって事になったと。

だから、つばさ自身の底はかとなく暗い影が、「ラジオの男」だなんていう、ひょうきんなオッサンの姿にw変貌して行った。にしても何故、あんなオッサンでなければならなかったのか?

理由は二つあると思います。まず一つは、ラジオ局→憩い(癒し)の広場→診療所、であると仮定するなら、ラジオの男→広場の主→診療所の院長先生、っていうイメージなのかも知れません。

そしてもう一つの理由が、これまた『つばさ』=セラピー説を裏付ける、証拠にもなるんです。

それも含めて、『つばさ』とセラピーとの共通点を、ズラッと列挙させて頂きますね。(後編につづく)

『つばさ』26 (完・後)

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※この記事は後編です。(完・前)から順にお読み下さいませm(__)m

☆カウンセラー・つばさ
さて、この際ぶっちゃけますが、私は1年ちょっとの間だけ、カウンセラーを職業とする女性と同居生活をしてました。

だから、私はカウンセラーの裏の顔も見てきたワケです。その仕事の難しさ、大変さ、要は苦労話を、まるでラジオの男みたいに私は聞かされてました。聞くだけで、私が彼女を癒してあげる事は出来ませんでしたが…

そんな私が、こうして『つばさ』を解体研究するようなレビューをする事になったのって、なんだか運命的なものを感じずにはいられません。

では『つばさ』=セラピー説を裏付ける証拠…になるかどうか分かりませんが、両者の共通点を列挙したいと思います。

○共通点その1「傷を受けた場所に戻る 」

カウンセラーの仕事は、クライアント(つまり患者さん)の話を聞いて、現在の悩みに繋がってる過去の出来事…つまりトラウマを探って行くのが最初の課題となります。

それは大抵の場合、幼少期に受けた心の傷であり、クライアント本人も忘れてたりする。だから催眠療法とかで、クライアントの潜在意識を掘り起こす必要があるワケです。

で、拙作『VOiCE』でも描いた通り、クライアントは心の傷を受けたその場所に戻って、その時の自分に「大丈夫だよ。あなたはちゃんと愛されてるし、存在する価値はあるんだよ」みたいなメッセージを伝えるワケです(『VOiCE』の場合は逆に、過去の自分からメッセージを受け取る形でした)

だから、竹雄さんのダークサイドが描かれた回で「その場所に戻れば、答えが出るかも」みたいな台詞が出た時、私はセラピーを連想したワケです。

竹雄さんに限らず、加乃子も事あるごとに例の一本道に戻り、そこから再出発してました。つばさにとっても、あの一本道はトラウマの原点です。だから監督さん達は競って、あの場所をことさら丁寧に撮られてたんでしょう。

○共通点その2「カウンセラーは背中を押さない」

カウンセラーは、あくまでクライアントの話を聞くことが仕事で、答えを出してはいけないんです。クライアント自身が答えを出すように、ヒントを与えながら導いて行くだけ。

それは、患者さんにプレッシャーを与えたら逆効果になっちゃう事が、まず一つ。だから素人が誰かの心の傷を癒そうとあれこれ言うのは、とても危険な行為だったりします。

もう一つは、人が自分を変えて行くのって、並々ならぬ強い意志が無ければ不可能だって事です。自分の意志で答えを見つけて、自分自身で道を選ばなきゃ、人は変われない。

だから、つばさは悩める人達に「こうしなさい」とは絶対に言わなかった筈です。ラジオを使って間接的に、ヒントやきっかけを与えてただけですよね?

もっと判り易いのが、ラジオの男です。彼がつばさに対して言ってた事、やってた事は全て、まさにカウンセリングそのものだったと思います。

○共通点その3「身内をカウンセリングしてはいけない」

カウンセラーには、家族や恋人をカウンセリングするべきじゃないっていう、暗黙のルールがあるみたいです。

お互いを知り過ぎてると、余計な感情が入って集中出来ないし、つい力も入ってしまい、「背中を押す」っていうタブーを犯したり等、失敗する可能性が高いからだと思います。

つばさは一度、大失敗してますよね? そうです、乳首人間第三号=翔太です。彼を愛するあまり、つばさは世話を焼き過ぎるわ背中を押しちゃうわで、思いっきりプレッシャーを掛けちゃった。

お陰で翔太は、どん底を突き破って底無し沼にはまり、気が狂った挙げ句に乳首道場入門ですよw 翔太は、つばさ唯一の失敗作w だから羽ばたくまで異常に時間が掛かりましたよね。

親友である万里は、前述の通り患者とは違いますから例外として、じゃあ兄弟である知秋はどうなの?って事になりますが…

知秋はつばさと同じ傷を負ってる割に、けっこう早い段階で癒されました。それは多分、彼自身の性格に救われたんだと思います。

心の傷にも個人差がある。知秋はああいう、まるで天使みたいな、極端に大らかな性格だからこそ、軽傷で済んだんじゃないでしょうか? 彼がああいうキャラに設定されたのは、それが理由かも知れません。

じゃあ、知秋より更に近い存在…つばさ自身はどうだったか? そこで、イッセー尾形さんの出番になるワケです。

つばさ自身を癒すカウンセラーは、それが自分の分身である事をつばさが忘れちゃう位、全くかけ離れた容姿でなければならなかったワケです。

○共通点その4「信じない患者は癒せない」

カウンセラーにとって一番厄介なクライアントは、カウンセラーを信じない人です。心を開いてくれなきゃ、その傷の原点なんか探りようが無いですから。

つばさが最も苦戦した相手は、城之内房子様でした。人を信じようとしない房子様には、取りつく島も無かったですよね。カウンセラーにとって、あれほど厄介な相手はいないでしょうw

○共通点その5「クライマックスは大量の涙」

『VOiCE』のレビューにも書きましたが、セラピーのクライマックスは、クライアントが大量に流す涙です。心の中に蓄まった膿というか毒素が、涙と共に浄化されるみたいな感じです。

ラジオの男との別れでつばさの流した涙は、多部ちゃん史上においても類を見ない粒の大きさ、だったように私は感じました。

あと、これは私も経験した事ですが、セラピーをこれから受けようという時、利尿作用がハンパじゃなかったんです。不思議と、受ける前から浄化が始まってる実感がありました。

多部ちゃんは別れの場面を撮る日、セットに入る前から涙が止まらなかったとの事ですが…って、これはちょっと、こじつけ過ぎ?w

以上、如何なものでしょうか? 傷ついた人の心を癒すドラマなら、同じ目的で開発されたセラピーと似ちゃうのは、まぁ当然なのかも知れないけど、それでも状況証拠がこれだけ揃えば、クロでしょう?w

ただ、クライマックスは大量の涙ってのは『つばさ』に限った事でもないから、ある意味、全ての「泣けるドラマ」はセラピーである…と、言えなくもないですね。

☆さらなる別れ
それにしても『つばさ』には、クライマックスがいったい何回あるんだ!?w 今度は、真瀬&優花の父娘とお別れですよ。ラジオ男のインパクトに隠れがちだけど、これも相当に淋しくて切ない別れです。

母・加乃子とのトラウマを克服したつばさは、今度は自分が母親の立場になって、優花とケジメをつけなければなりません。

「私は、優花ちゃんの事が大好きです。だけど、優花ちゃんのお母さんにはなれません。私はラジオぽてとのオカンだから、此処を離れるワケにはいかないの」

「やだ! やだ! お手紙書いてくれなきゃやだ! お花の絵も描いてくれなきゃやだ!」

…『つばさ』の全キャラクターの中で、もしかしたら優花が一番たくましくて、賢い人なのかも知れません。千波さん譲りでしょうか?

彼女は、つばさの辛い立場をちゃんと理解して、つばさと離れ離れになる前提でワガママを言ってる。どうか本当に、幸せになって欲しいです。

翌朝にはもう、佐賀へ旅立つと真瀬は言います。

「開局の準備にはイモの手も借りたい位だが、ま、大丈夫だ。お前がいなくても何とかなる」

相変わらずの真瀬節ですが、佐賀行きを引き受けたのはもしかしたら、手の届かないつばさとこれ以上一緒にいるのがツライ、っていう想いもあったかも知れないですね。

そして翌朝、ぽてとメンバーに見送られて、真瀬と優花は旅立ちました。

☆二度目の春
そして数カ月が過ぎ、ラジオぽてとがいつの間にか観光スポットに、そしてつばさは今や「川越のおかん」と呼ばれるようになりました。

「えっ、川越のおかん!?」って台詞を言ってた、あのふくよかな女性、誰でしたっけ?w 意味ありげに寄りで撮られてましたけど…?

一方、玉木家には房子様が訪れ、観光物産館の建設工事が始まった事を千代さんにご報告。

「良かったわ、あなたの夢が叶って」

「ありがと。まぁね、つばささんのお陰だわ」

…なんて、ずいぶん謙虚になられたと思ったのも束の間…

「それに、隠居したあなたがさぞかし退屈してるんじゃないかと思って、来てあげたのよ」

それでこそ房子様!ですねw

その傍らでは知秋が、愛しの万里からサッカー観戦のお誘いを受けて、有頂天。この二人にも春がやって来るのでしょうか?

「はぁ… いいわね、若いって」

その頃、社長が復帰した斎藤興業では、乳首マスター=秀樹が、なんだか意味不明の除幕式w そこには、燦然と輝く玉木つばさの写真パネルが。

「川越の、新しい女神だ」

その秀樹の台詞に続いて流れだす、アンジェラ・アキさんによる主題歌『愛の季節』… 鳥肌が立ちますね。

ぽてとの仲間はじめ、川越中のみんなに見守られながら、つばさは今日もDJブースのマイクに向かいます。

「私はこうして、マイクに向かってお話してると、不思議な事に、高い高い空から、川越の町を見下ろしてるような気持ちになる事があるんです」

そこに、高台から町を見下ろすつばさのイメージ・ショットが入るのも又、第1話との合わせ鏡ですね。

「そんな時、私は思います。町を吹き抜ける風のように、私のこの声が、町のあちこちでラジオに耳を傾ける人に、届いてくれたらいいなぁと」

甘玉堂には、いつぞや(福祉施設の回でしたっけ?)つばさから貰った甘玉の味が忘れられない、あのご夫婦が来店。すっかり女将らしくなった加乃子が迎え入れます。

「甘玉堂はどこへ行っても、一意専心でございます」

千代さんの精神をしっかり継承してる、加乃子です。

調理場では知秋が、竹雄に教わりながら職人修業。一時期かなりふっくらしてた顔も見違えるように引き締まり、見られて恥ずかしい躰はしてねーぞとw

万里は相変わらず元気に出勤、「こえど」ではなぜか着物姿の秀樹に身を寄せる、ボインボイ〜ンボンヨヨヨヨ〜ン!な、なぜか洋服姿(いつも和服だったのに)の麻子さん。このチグハグさは、何かを暗示している?w

「私は、女神じゃなくてもいいんです」

渋い顔でミルクを呑む、秀樹。うーん、やっぱりこの人… 乳首だw

そして乳首道場を卒業し、海外での活躍が期待される、翔太(チクビッシュ有)。

「今度こそ、つばさに負けない位、強くなって帰って来るから」

「やっぱり翔太だ」

「やっぱりつばさだ」

これは「あなたらしさが戻った」と「やっぱりあなたが好き」の、ダブル・ミーニングですよね。あんの野郎ぉーっ!w

まぁしかし、つばさに次いで深い心の傷を負ってたのは、このチクビッシュ投手です。父との確執もさる事ながら、大きな夢を掴んだ瞬間にそれをもぎ取られ、諦めるしか選択肢が無かったという不運。

あの底無し沼から、さんざん乳首呼ばわりされながらw、よくぞ此処まで這い上がったもんです。その頑張りに免じて、まぁ許してやらなくも無いよ、チクビッシュ。

悪い意味で「やっぱり翔太だ」って、つばさに言わせる事の無いよう、これからも口を引き締めて頑張れ! はよモミアゲ剃れ!w

佐賀では、優花に顎で使われながら周波数探しする、真瀬の姿が。そして、優花が駆け寄る先にいたのは、横矢みちるです。きっと新たな家族が生まれるのでしょう。

翔太の押すトロッコに乗って、新宿へ向かうつばさw ブーケに続いて、二人の近い未来が暗示されてますね。うーんやっぱり、あんの野郎ぉーっ!!w

第1話と同じく、いや、あの時よりもずっと晴れやかな表情で、川越ジオラマの上空を飛翔する、つばさ。よかった… 本当によかったね、多部ちゃん!

皆それぞれ、心の傷を癒して、今、羽ばたきました。言わば、やっとスタートラインから第一歩を踏み出したばかりです。

だから、めでたしめでたしは、まだまだ先のこと。いつか又、心に傷を受ける時も来るでしょう。だからこそ、つばさがいるんですよね。

そして、つばさ自身が傷ついた時には、きっとラジオの男が又… いや、その時のつばさには、世界のチクビッシュがついてるか…

ホントに頼んだぜ、翔太。「やっぱり、乳首だ」って、言わせないでおくれよ? 心配だなぁw

「つばさは今日もラジオの電波に乗せて、川越の人々に、笑顔と幸せを届けています」(完)

魂の救済ドラマ

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創り手自身が、救われたかった… そこが出発点だとしたら、『つばさ』はセラピーのドラマじゃなくて、「魂の救済ドラマ」とでも呼ぶべきでしょうね。

スタッフそれぞれが己のトラウマを吐き出して、さてそれをどうやって救おうか?って事で心理学を勉強する内に、セラピーという手段に辿り着いた。きっとそんな流れだったんでしょうね。

魂の救済ドラマは『つばさ』以前にも、色んな形で創られて来たと思います。いや、実は大半のドラマ・映画が、根っこにそういう要素を含んでるとは思うのですが…

トラウマの克服そのものがメインに描かれるドラマが、最近増えて来たのは確かですよね。『それでも、生きてゆく』と『家政婦のミタ』が、その代表例になるかと思います。

さて、『つばさ』超大作レビューを終えて(完)の文字を書き込んだ時、私がどんな心境だったかと言いますと…

万感の想いでしみじみと…って感じではなくて、嬉しくてハイになってましたねw

それは「やっと解放される!」って意味の嬉しさじゃなくて(それもちょっと有るけどw)、最後に『つばさ』=セラピー説という、大きな見せ場と言いましょうか、クライマックスが演出出来て本当に良かったなぁ!っていうw

これは、自分が創り手の端くれだったせいかも知れないですが、そういう大きな山場が無いまま、ストーリーをただなぞるだけで終わってたら、きっと不完全燃焼な感じで達成感も無く、どちらかと言えば徒労感ばかりが残った気がするんですね。

年末年始を境にレビューのペースを落としたのは、やっぱ正直なところ、モチベーションが下がってたからです。

視聴者としては『つばさ』を存分に楽しんでましたけど、レビュアーとしては、最初の頃の新鮮な驚きや発見、疑問が、ドラマの構造を知れば知るほど薄れて来ちゃって、あんまりワクワク、ドキドキしなくなってたんですよね。

繰り返しますが、視聴者としてのテンションはキープしてたけど、書き手としてダウン傾向にあったワケです。多分これも自分がストーリーテラーだった名残りで、自分の文章にマンネリを感じてたんですね。

だから、翔太の呼び名がコロコロ変わるようになったのもw、少しでもマンネリを払拭したい気持ちの表れだったんだと思います。無意識ですけど。

実は最終週の前編を書いてる段階では、セラピー説は白紙になったままだったんです。このまま、まるで一般的な朝ドラの典型みたいにw「尻すぼみ」で終わっちゃうのかなぁって、ついこないだまで思ってました。

それが中編を書く前に、確認のため最後の4話を観直して、はげちゃび〜ん!と閃いたw

で、検証すればするほど面白いように辻褄が合って、まるで『鹿男あをによし』や『フィッシュ・ストーリー』のラスト・シークエンスみたいなカタルシス!w

そこからはもう、早く書きたくて書きたくて仕方がない位、テンションが急上昇したんですよね。

いやぁホントに、この山場を作れてなかったら、今みたいな達成感は得られなかったと思います。ここまで詳細かつ膨大なレビューを書いて来ながら、発見したのが「つばさと万里は百合だった!」だけじゃあねぇ…w

というワケで、皆さんのコメントへのレスを、此処で書かせて頂きますm(__)m

>清六さん
あっ、逮捕はこれより後だったんですね!w 総集編と記憶がごっちゃになってました。

>急転直下
『つばさ』の作劇にはいつも意表を突かれましたし、だけど決してあざとくも無く、そこは本当に見事でした。

自分は感情に任せて書くタイプだったので、序破急とかはあんまり意識したこと無いです。

>一発本番
多部ちゃんとイッセーさんなら、自分が監督だとしても安心して任せられますね。技術スタッフは大変なプレッシャーでしょうけどw

>特別な時しか観ない
自分もボロ泣きした映画やドラマは、何度も観たら感動が薄れていく気がして、あえて見直さない事が多いです。

>『おしん』とは別の苦難
おっしゃる通り、現在を背景にすると、内面的な苦難でなければリアルにならない時代ですよね。それを避けるには、最近の朝ドラみたいに昭和初期を背景にしなきゃしょうがないのでしょう。

>かさぶた
『つばさ』を観てると知らず知らず、我々もセラピーを受けてるような状態になるんですよね。

竹雄さん失踪の回のレビューで、僕も普段は書かない自分の親の話をしちゃってましたから。書かずにいられなかったんですよねぇ、なぜか…

>心象風景
リアルとノンリアルが混在するドラマのヒロインは、まさに多部ちゃんだからこそ違和感なく演じられたんでしょうね。あの若さで両方を同時に表現出来る女優はいない! 男優にはもっといない!w

『つばさ』のリアル面を突き詰めて行ったのが『それ生き』で、ノンリアルを突き詰めて行ったのが『ミタ』になるんでしょうけど、松嶋さんにつばさは演じられないでしょう。満島さんは、ちょっと興味深いですね。

>秀樹が失恋を引きずる理由
自分の無力さを思い知らされた事のトラウマ… それはあるかも知れないですね。ナルシストだから、なおさらw いや、大好きなんですよ秀樹w

>第8週
空き地で遊ぶ少女時代のつばさ… どんなシーンだったか憶えてないのですが、つばさの潜在意識の中で、少女時代のつばさがメッセージを伝えに来た、みたいな裏設定があったかも?

>長瀞の週
そう言えばラジオの男は登場しませんでしたね。ラジオが関係しない場所に現れたら、視聴者が混乱するだろうっていう配慮だったかも知れませんね。

>『サイコ』
見るからに平穏そうな家族が、実は母が娘を虐待し、娘は元ヤクザと結婚してw、自分の子供を捨てて家出、残された子供は分裂症になって… なかなか恐ろしい話ですよね、『つばさ』ってw

>おじいちゃんのラジオ
なるほど、梅吉さんが使ってたラジオなら、梅吉さんにもラジオの男が見えて然るべきですね!…って、それでも理屈が合わないんですけどw

あのラジオの男は、つばさの内面にしか存在しないんだから…

だからつまり、梅吉さんと話してたラジオの男は、つばさの中にいるラジオの男とは別の存在って事ですね! 梅吉さんの内面にいるラジオの男が、たまたま画面に映っただけって事だ!w

梅吉さんは幽霊になっても尚、幻覚を見てるんでしょうか?w

>梅雀夫人
納得ですw もしかしたら梅雀さんには内緒のサプライズだったりしてw

>心を失ったヒロイン
心が空疎だから、他者へのお節介で無理やり心を満たそうとするけど満たせず、また繰り返す。そうだったかも知れないですね!

それもまた典型的な心の病ですから、セラピー説と矛盾しないどころか、ドンピシャ!じゃないですか?

最後の最後に、つばさは優花よりも自分自身の生きる道を優先しました。自分の心を取り戻した証であり、あの瞬間こそが、本当の意味でつばさの卒業=退院だったのかも知れません。

>『つばさ』を気に入らない人は幸せ
そういう事なんだろうと思います。その言葉の意味するものも、アンチ『つばさ』の人には解らないでしょう。

言い換えれば、幸せな人に『つばさ』は必要無いって事ですね。別に、我々が全員不幸だと言いたいワケじゃなくてw 癒えない傷があるかどうかって事ですよね。

>お姫様だっこ
そうそう、あの時の多部ちゃんは何だかぎこちなかった! チクビッシュがアドリブでだっこしたからかな?と思ってたのですが、多部ちゃんだって緊張する事はありますよね、そりゃw

>カテゴリー分け
そうですよね、した方がいいに決まってますよね。長文は書くクセに、そういう所は不精なものでw

近い内に整理しますね。

>本に…
どなたかして下さい、ホント。私も買いますから!w

『カーネーション』事変

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いつか書きたいと思ってた、朝ドラ『カーネーション』のこと。よもや、残念な記事として書かなくちゃいけない羽目になるとは、つい最近までは夢にも思ってなかったです。

そう、つい最近までは、わざわざブログに書く気にもなれない位、言うこと無しの面白さをずっとキープして来た『カーネーション』。

それが今週から、急に面白くなくなっちゃいました。皆さんご存じの事と思いますが、ヒロイン・小原糸子を演じる女優さんが、尾野真千子さんから夏木マリさんにバトンタッチされたのです。

夏木さんは決して悪くありません。でも、小原糸子のキャラは尾野真千子さんが創り上げたと言っても過言じゃない位に、尾野さんの顔、表情、所作、台詞回しがあってこそのキャラクターに、完全になっちゃってるんです。

『デカワンコ』の脚本がいくら面白く書けてても、花森一子を多部ちゃん以外の女優さんが演じたら、どうなってたか? それと同じ事です。

私が『カーネーション』を好きになった要素は色々ありますが、一番楽しませてもらったのは、尾野真千子さんが持つ天性の「笑いのセンス」です。

ツッコミや間の取り方が絶妙なだけでなく、寝そべって煎餅を噛ろうが舌打ちをしようが、キツイ感じもせず下品にもならず、常にユーモラスなんですよね。

前回レビューした本の文章を引用させてもらえば、「愛敬は宝」なんです。同じ事を夏木さんがやると恐いし、下品に見えちゃう。笑えないんです。

決して夏木さんに笑いのセンスが無いワケじゃなくて、尾野さんのそれとは質が違い過ぎるんです。尾野さんと違う=それまでの糸子とは違うって事です。

内容的にも尾野さんの最終回が番組そのものの最終回みたいに盛り上がっちゃって、今週からの晩年編はホントに、オマケかスピンオフみたいな感じで、まるで『てっぱん』を観てるかのようですw

なぜ、ヒロインを交代させる必要があったのか? ヒロイン以外のキャラは同じ役者さんが晩年まで演じてるのに、ヒロインだけが変わっちゃうのは、どう見たって不自然です。

その為か、糸子を取り巻く人々は娘3人以外、全員殺されちゃいましたねw 確かに、糸子より歳上の人がそのまま出てたら、視聴者が混乱しちゃいます。

だったら尾野さんのままで良かったやん! 不自然です。あまりに不自然。

で、業界筋の友人から、裏事情を聞きました。ただし彼とて、その眼で見て来たワケではなく、人づてに聞いて来た話なので、以下に書く事は芸能週刊誌の記事と変わらないレベルである、という前提でお読み下さいませm(__)m

NHKは最初から予定してたキャスト交代だと表明してますが、実際のところはやはり「尾野さんは降板させられた」っていうのが真相みたいです。

去年の暮れには決まっていたらしく、尾野さんは非常に複雑な想いを秘めたまま『紅白歌合戦』に応援出場されてた事になります。

降板の理由は、世間に出回ってる噂どおりみたいです。岸和田の言葉がキツ過ぎる、糸子の言動が下品だ…って、実際にそういう方言なんやからしゃーないやんけワレ!?

東北弁とかなら許されて、岸和田弁は駄目って、地方差別ちゃうんけコラァ!? 尾野さんだけがキツイ喋り方をしてるワケじゃないし、そもそも岸和田弁がそういう方言なのは最初から分かってた事と違うんけオンドリャア!?

下品うんぬんについては、夏木さんに代わったからって、上品になったようには見えませんけど… gonbeさんが書かれてた通り、かえって下品さが目立ってる気がするんですけど… どーゆーこっちゃ、ワレェ!?

極めつけは「尾野真千子は役に入り込み過ぎるタイプの役者だから駄目」って、はぁ? それの何があかんの? ほな『カーネーション』に出てる他の役者さんは全員、役に入り込まないタイプの役者なんけ? 意味が解らんわっ!

ここからは私個人の憶測ですが、恐らく、岸和田弁がどうこう、下品だからどうこうっていうクレームが、主に関東方面から寄せられたのでしょう。関東には大阪人を嫌ってる人が多いですから。(それこそ逆差別じゃんかさ!って言われそうだけど、事実そういう傾向があるんだから仕方がない、あるんだから仕方がない)

で、本来NHKは気にしなくてもいい筈の視聴率が、関東で伸びないのが気になって気になって仕方ない上層部が、尾野さんの言動を何とかしなさいって、製作の現場に言いに来た。

尾野さんは確かに、役に入り込む人だろうと思います。私も『朝イチ』出演時に糸子そのものに見えた尾野さんを見て、役になり切ってるんだなと思いました。素顔は控えめで物静かな方だと聞いてましたから。

撮影現場を離れても役が抜けない尾野さんだから、上層部からの通達に対して、糸子そのまんまの調子で、ガツン!と言っちゃったとしたら、どうでしょう?

役に入り込み過ぎる事が裏目に出て、まだまだ体制的なNHK上層部の怒りを買って降板させられた。そう考えれば辻褄が合います。あくまで勝手な憶測ですよ?w

まぁ理由は他にもあるかも知れないですが、尾野さんがご自分の意に反して「降板させられた」事だけは、まず間違いないと思います。

そして、夏木マリさん。何人もの女優さんが、そんなリスキーな仕事は受けられないって事でオファーを断った中、ただ一人、夏木さんだけが糸子役を引き受けてくれたんだそうです。

そりゃあ夏木さんご自身の中にも何か思惑がおありだったかも知れないけど、叩かれる事は絶対に避けられないリスクを承知の上で、この仕事を引き受けられた勇気と女優魂には、本当に頭が下がる思いです。

だから最後まで、夏木さんの糸子も暖かく見守りたいとは思ってます。思ってますけど、後味が悪過ぎますよね。

この交代劇で、いったい誰が幸せになれたと言うのか? 尾野さんも夏木さんも、ほっしゃん。等の共演者達も、脚本家も現場スタッフも、そして我々視聴者も、みんなが残念で悔しく思うしか無いような事を、やらかしちゃったよなNHKさん! 見損ないましたよ。

こんな悲劇さえ起こらなければ、『カーネーション』は朝ドラ史上に燦然と輝く名作に、確実になってた筈ですよ。見事に水を差しましたね。

これから夏木さんが素晴らしい演技を見せて、我々が晩年の糸子も愛せるようになったとしても、この傷は深く刻まれたまま、永遠に消える事は無いでしょう。本当に残念です。

ところで、私は『ライアーゲーム』を最近まで観た事が無かったので、多部ちゃんが新作映画のヒロインとして出演する事のリスキーさが、いまいち解ってませんでした。

過去作を観ると実質の主役はヒロインの戸田さんでしたから、感覚としては今回の糸子役に匹敵する交代劇だったのかも知れません。

多部ちゃん、キミという人は… 多部ちゃん、多部ちゃん、あぁ多部ちゃん…!

『亜弥のDNA』

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手前味噌というより、観て頂くにあたっての言い訳ですm(__)m 創り手は黙って、自信を持って自作を差し出すべきだけど、まぁ遠い過去の作品ですから、いいじゃないですかw

商業作品としては、辻本貴則監督との共作『抱腹絶闘』に続く2本目の監督作で、『KILLERS』はこの次になります。依頼が来たのは2001年の秋、9.11テロと前後する時期でした。

「5〜6分の連続ミニドラマを約10本、松浦亜弥っていうアイドルを使って撮ってみる? 内容は任せるから」

嘘みたいな話ですが、本当にそんなオファーが、何の前触れも無く舞い込んだのです。クライアントは前述の『抱腹絶闘』と同じ製作会社で、この頃は私の事をとても買ってくれてました。そう、この頃はw

ドラマと言ってもハロプロの深夜バラエティー番組『アイドルをさがせ!』内の1コーナーで、ハロプロ所属のアイドルを主役にコメディー派の新人監督がミニドラマを撮る、実験的な、もっと言えばお遊びのドラマです。

だから歴代の監督さんは、かなりコントに近い内容で、ラフな撮り方をされてました。それで正解なんです。視聴者はアイドルが可愛く面白い事をする姿が見たいだけなんだし、ドラマとしてしっかりしたものを撮るには、予算も時間も無さ過ぎるんです。

でも、私はコントの演出がやりたかったワケじゃなくて、目指してたのは笑いのあるアクション映画の監督です。コントを撮る気はサラサラ無かったし、そんなスキルも持ち合わせてませんでした。

内容は任せると言われれば、これはもう刑事ドラマしかあり得ないだろうとw それをやる為に私は、プロを目指してたワケですから。

ちゃんとした刑事ドラマを創るには莫大な予算が必要で、そんな番組を任せてもらえる監督になるまで、あと何年かかるか分からない。なれるかどうかも分からない。

だから逆に、確実に刑事物をやれる機会は、今しか無いぞと。お遊びドラマの枠なら、リアルな警察署のセットやらパトカーやらが無くたって、強引に成立させられない事は無いぞと。

そんなワケで、いつかテレビで連続物の刑事ドラマをやりたい!っていう夢が、のっけから叶ってしまいました。それは自分にとって良かったのか悪かったのか…(目標として置いとくべきだったのかも)

その当時、あややはまだ売出し中で、私は彼女を知りませんでした。でも、近所の幼い子供は知ってました。しかも熱烈にファンだと言う。書店に行ってアイドル雑誌や音楽雑誌を見てみたら、かなりの割合で彼女が表紙を飾ってるではありませんか!

元からタイトだった撮影スケジュールが、彼女がみるみるメジャーになるにつれ、さらに厳しいものになっちゃった。1日の撮影で、なんと3話分を消化しないといけない!

いくら5分程度のミニドラマとはいえ、3話分となると合計15分。なるほど、これじゃあコントみたいにラフな撮り方でないと、全部撮り切れないワケです。(映画なら、数秒のシーンでも1日がかりだったりします)

でも、私にはコントは撮れません。撮る気もない。それまでやって来た通りのやり方で、つまり映画の撮り方でやるしか無いのです。

無謀でしたw 絵コンテを描いてみると、1日で撮らなくちゃならないカット数が、軽く100を超えている! どう考えても不可能です。考えに考えて、私が出した結論は…

「でもまぁ、何とかなるかも」(笑)

何ともなりませんでしたw ただでさえ無茶なのに、季節はもう冬。日の出と同時に撮影開始して、昼食タイム以外はノンストップで撮り続けても、太陽は無情にも途中で沈みました。

セットに移動しても、労働基準法により未成年のあややは21時に帰らなきゃいけません。撮影スタッフは、その日の朝に初めて会った人達ですw

まぁ、そんな事情を言い連ねても、本当に言い訳にしかなりません。どれもこれも、事前に分かってた事ですから。それでも「まぁ、何とかなるかもw」って思った私がバカなんですw

第3話の撮り残しは次回の撮影に回せたものの、第2話で撮り切れなかった「あややがお母さんに頬を叩かれる」という重要なハイライトは、次回に撮ってもオンエアには間に合いません。無かった事にする以外、どうする事も出来ませんでした。

まさにプロの洗礼です。前作『抱腹絶闘』は一応商業作品でしたが、期限があったワケではなく、スタッフも気心の知れた自主映画仲間でした。撮り残しは、いくらでも次回に回す事が出来ました。

今回はそうは行きません。放送に穴を空けるという最悪の事態は免れたものの、第2話はクライマックスの抜け落ちた、スカスカなエピソードになっちゃいました。

それだけではなく、私は撮影初日、とにかくテンパってました。それがキャストを不安にさせ、主役あややも初日はガチガチに固くなって、魅力を発揮出来てません。

脇の役者達の芝居に目を配る余裕も無くて、自分ばかり目立とうとオーバーなコメディー演技をする若手俳優達を、押さえる事が出来ませんでした。

それともう一つ、刑事部屋のボス=藤堂係長を演じてるお爺さんw(いつ亡くなるか分からない感じだったのに、今でもバラエティー番組でよくお見かけしますw)

芝居が出来ない人なのは、知った上でキャスティングしました。前任の監督さんが使ってるのを観て、その出来なさ加減が可笑しくてツボにハマってしまい、是非にと思って登場願いました。

誤算でしたm(__)m コント的な内容ならば素人芝居も笑えるんだけど、私が目指す映画的コメディーじゃ通用しないんです。しっかりした芝居に支えられてこそ、初めて成立する世界なんです。

まさか、あそこまで出来ない人だとは思ってなかった、という誤算もありましたがw、初日に撮った分の仕上がりを観て、第4話以降はボスを喋らせない方針に切り替えましたw

そんなワケで最初の3話は、一番大事な「掴み」だというのに、自信を持ってお見せする事が出来ませんm(__)m

監督の私が本来の力を、主役のあややが本来の輝きを発揮するのは、第4話からです(全部で9話)。

4話以降をご覧になっても面白くなければ、それはもう私の力が足りないからです、と認めるしかありません。

でも、最初の3話だけは、どうか若気の至りとして、あるいはタニオ・チクビッティーに免じて、大目に見てやっては頂けないでしょうかm(__)m

どれもこれも、自分の認識の甘さが原因ですから、言い訳しても仕方ないんですけれど。最初の3話で見限られちゃうのが怖くて、言わずにいられないんです。

内容について何も触れてませんが、当時15歳の松浦亜弥が、なぜか刑事になって大活躍するナンセンス・コメディーって事で、まぁ充分かとw

あややに『スケバン刑事』のパロディーをやらせてるあたり、先見の明はあったかなとw

まぁ内容はともかく、あややが最も新鮮で、ピチピチ弾けてた時期の姿を見るだけでも、充分に価値はあるんじゃないかと思います。

ちなみに、私もちょこっとだけ出演してますw
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