まぁ案の定なんですがw、一度に投稿出来る文字数を遥かに越えちゃいましたので、(完)を更に前後編に分けさせて頂きますm(__)m
☆大カーニバル
竹雄&加乃子・二度目の結婚式当日、お馴染みのレギュラー陣が玉木家に大集結、いちおう親族である紀菜子(斎藤由貴)も駆けつけました。
見られて恥ずかしい躰はしてない旦那の富司(山下真司)は、残念ながら多忙につき欠席。本当に残念そうな知秋ですが、私も残念ですw
つつがなく式も終わり、11年ぶりの丈比べをするつばさ&知秋。つばさ10歳の時の印を、加乃子は感慨深げに見つめます。あの時から今まで、母娘の時間は止まってたんですよね。
と、そこで合図の笛が鳴り、本場ブラジルのサンバダンサー軍団と共に、秀樹が久々に登場!
「あらまぁー!」と驚き喜ぶ加乃子ですが、あらまぁーなんて普通言わないですよねw
「今日は無礼講だ。みんな、踊れぇーっ!」
娘でいる事を捨てた筈の加乃子も、あの堅物・千代さんまでも、町中の人々が蔵造り通りに溢れ、踊り狂う大スペクタクル!
どさくさにまぎれて、斎藤清六さんも満面の笑顔で踊ってる! あんた、もう出所したのか?w ていうか、よく此処に顔が出せたもんだなw
永島敏行さんや太川陽介さん、斎藤由貴さんの再登場にも驚きましたが、清六さんは極めつけですね。コアな視聴者しか気づかないでしょうw
加乃子の投げたブーケが、つばさの手に。おっ!と彼女を見る、みんなの眼が暖かいですね。これは近い未来を暗示してるのでしょう。あんの野郎ぉーっ!!w
JUST MARRIEDと書かれたトロッコに加乃子が乗り、竹雄が押して、幸せ絶頂の二人は線路をどこまでも進んで行きます。今回の式はつばさの為だった事を忘れてますねw
そんな二人が辿り着いたのは、なんと新宿駅! もう深夜です。あんた、どんだけ走ったんだ竹雄さん!?w
「どうやって帰ればいいの?」
☆「そんなワケだから、バイバイ」
帰る手段の無い両親を心配する素振りも無くw、自室に戻ったつばさは、いつものようにラジオの男(イッセー尾形=画像)を呼び出します。
「ま、やっと片付いたな」
ラジオの男はしみじみと、つばさとの歴史を振り返ります。これはまぁ最終回のお約束でもありますから、視聴者はまだ油断してますよねw
つばさが10歳の時、加乃子が家出した夜に、初めて姿を現したラジオの男。深く傷ついたつばさの心を癒すべく、彼は毎晩のように話し相手を務めました。
でも、つばさのオカン業が忙しくなるにつれ、出て来なくなった。それが10年ぶりに加乃子が帰って来たと同時に、また現れるようになり…
「俺は、あんたの心の影だから。おふくろさんとの歪んだ関係が、心の中で軋んだり抱え切れなくなった時にだけ、慰めたり、癒してあげる為に現れた」
「茶化してるだけだった気もするけど」
「まぁ何でもいいや。そんなワケだから、バイバイ」
「えっ?」
母とのわだかまり=過去のトラウマをつばさが克服出来た以上、彼はお役御免だと言うのです。
誰もがこのシーンを見て、滝の涙を流さずにいられないのは、ここで彼とお別れになるなんて、全く予想してなかった事が大きいと思います。しかも、絵に描いたような大団円の直後に!
「そんな! そんなのヤだよ、いなくならないで!」
「これはね、おめでたい事なの。羽ばたけた証なの」
そう、これはつばさへの卒業祝い…というより「退院祝い」なんだと私は思います。えっ、退院? そうです、退院なんです。その理由についてはまた、後ほど。
「出て来てくれるんだったら、何でもするから! だから、いなくならないで! お願いっ!」
そう懇願しながらつばさは、全くあらぬ方向に顔を向けてます。
「えっ、もう見えてないの?」
それぞれの存在する世界が分断されて行くような、『つばさ』らしく容赦のないw別れの演出。そして一枚の羽根が、ヒラヒラ… 千波さんの花びらを思い出させますね。
「行っちゃったんだ… ありがとう…」
「おめでとう、つばさ」
その声はもう、つばさの耳には届きません。淋しさと切なさと暖かさが入り交じり、しかも意表を突かれたお陰で、私もあえなく涙腺大決壊でしたw
放映当時、朝っぱらから嗚咽して泣かされた皆さんは、そのあと出勤したり登校したり、無事に出来たんでしょうか?w
☆『つばさ』とは何ぞや?
さてさて前回、この別れの場面をあらためて見直して、『つばさ』というドラマが何であったか、一つの結論に辿り着いたと書きました。加えて、その答えはレビュー前編に隠されてます、とも。
まず、それが何であったかを明かしますと、真瀬がつばさに言った、例の説明的な台詞なんです。答えにあたる部分だけを抜粋しますと…
↓
「お前と関わる人間は、自分が抱える様々な悩みやコンプレックスと、お前を通して向き合う事になる。そして気づいたら、それが克服出来るようになってる」
…私は、まさにそれを仕事にしてる人と、たいへん親しくしていました。そうです、セラピストです。
やっぱり『つばさ』は、セラピーなんですよ! 創り手は意識的に「セラピーの朝ドラ」を目指して、『つばさ』を創ったんです!
「なんだ、結局またそれかよ」と失笑するなかれ、今回はそう断定するだけの、根拠があるんです。これはもう、間違いないです。
つばさは、心に深い傷を負った人達の話を聞き、癒し、前向きな気持ちを取り戻せるように導く、セラピストなんです。いや、もっと広い意味で「カウンセラー」と呼ぶべきでしょうか。
私が最初に「『つばさ』はセラピーに似てる」って言いだしたのは、つばさと翔太の破局騒動で「どん底」がキーワードになった時かと思います。
さらにその疑惑が深まったのが、竹雄さんの失踪騒動です。その理由は後ほど解説させて頂くとして、『つばさ』=セラピーの疑惑は、万里がフルマラソン完走に挑むエピソードで、いったん白紙に戻されちゃったんですよね。
あのエピソードで、つばさは万里に対して「がんばれ」を連呼しました。カウンセリングに「がんばれ」は禁句ですから、これはやっぱ違うな、と。
だーがしかし! あれはトリックだったんです! 私はまんまと、作者の陽動作戦に引っ掛かったんですよ!w
万里には、つばさや翔太や竹雄みたいな、過去の傷=トラウマがありません。つまり万里の苦しみは、他のキャラクター達とは種類が違う。あの週だけ何となく異質に感じたのは、そのせいですよ!
万里は心に深い傷を負った患者ではなく、誰もが必ずぶつかる壁の前でもがいてる、ごく普通の若者なんです。だから万里には「がんばれ」って言っても構わないワケです。
あの回で不自然なほど「がんばれ」が連呼されたのは、セラピー説を否定する為というより、その真実を隠蔽する為だったんですね(なんの為にやw)。いやー、騙されましたよホントに。
☆重症患者・つばさ
さて、そんな私に「やっぱり『つばさ』はセラピーだ!」と確信させたのが、誰あろう「ラジオの男」です。
なぜ、ラジオの男というキャラクターを登場させる必要があったのか? なぜ、つばさの心の影=つばさの分身であるにも関わらず、事もあろうにイッセー尾形さんなのか!?w
カウンセラーになる人って、自身も心に深い傷を負った人である事が多いそうです。震災で救命士に助けてもらった子供が、将来は自分も救命士になろうと決意するのと似てますね。
私と親しかったカウンセラーもそうでした。でも、心の傷は完全に消えて無くなるものじゃありません。患者さんを癒しながら、自分の心は疲弊して「私のことは誰が癒してくれるの?」なんて、その人はこぼしてました。
そう、カウンセラー自身にもカウンセラーは必要なんです。つばさの心の傷は、周りにいるどのキャラクターよりも深刻ですよね?
母親に見捨てられる… その悲しみ、痛み、恐怖に匹敵するトラウマは、なかなか無いんじゃないかと思います。
例えば秀樹の傷なんか、ぶっちゃけ「たかが失恋」ですよ!w お相手の加乃子の場合は、その背景にある「母との確執」こそが真のトラウマなのに対して、秀樹は失恋以上でも以下でもない。
これ以上言うとhyoutangaidenさんに叱られそうだけどw、最後だから言っちゃいます。青春期の失恋を20年も30年も引きずって、今だに悲劇の主人公を気取ってる秀樹こそ、究極の乳首人間ですよ!w
だから、乳首が乳首の後を継いだのは必然ですねw もちろん、だからこそ我々一般の乳首人間はw、秀樹や翔太に共感して泣いちゃうワケですけど。
マスター・オブ乳首は秀樹。そしてグランド・マスターが寅さんなのでしょう、きっと。乳首人間第一号は、車寅次郎。つまり、愛すべきロクデナシ・キャラの系譜ですね。
おっと、話がつい乳首方面に逸れてしまいましたm(__)m 言いたかったのは、つばさの心の傷が、どれほど深いものだったかって事です。
でも、つばさ自身を癒してくれるカウンセラーはいない。だから… つばさは、もう一人の自分を創作したんだと思います。そう、無意識に…
ラジオの男は、妖精でも幽霊でもなく、心を病んだつばさが見る、いわば幻覚。言い方を替えれば、多重人格(分裂症)の症状だったワケですね。つばさこそが、一番の重症患者だった。
それなのに彼女は、周りにいる患者達を放っておけず、自分は陰で血を吐きながら、健気にみんなを治療してたワケです。そう思うと涙が出ちゃいませんか?
『つばさ』の企画は当初「こんなの通せるワケないだろ!」と上司を激怒させた位、ダーク過ぎる内容だったそうですが、恐らくその辺りの事がもっとストレートに表現されてたから、だろうと思います。
心を病んだ、多重人格の女が主人公の朝ドラ。空前絶後ですよね! そりゃ上層部は怒るでしょうw 怒るけど、朝ドラのマンネリを打ち破る起爆剤にはなりそうだってんで、オブラートに包むならOKって事になったと。
だから、つばさ自身の底はかとなく暗い影が、「ラジオの男」だなんていう、ひょうきんなオッサンの姿にw変貌して行った。にしても何故、あんなオッサンでなければならなかったのか?
理由は二つあると思います。まず一つは、ラジオ局→憩い(癒し)の広場→診療所、であると仮定するなら、ラジオの男→広場の主→診療所の院長先生、っていうイメージなのかも知れません。
そしてもう一つの理由が、これまた『つばさ』=セラピー説を裏付ける、証拠にもなるんです。
それも含めて、『つばさ』とセラピーとの共通点を、ズラッと列挙させて頂きますね。(後編につづく)
☆大カーニバル
竹雄&加乃子・二度目の結婚式当日、お馴染みのレギュラー陣が玉木家に大集結、いちおう親族である紀菜子(斎藤由貴)も駆けつけました。
見られて恥ずかしい躰はしてない旦那の富司(山下真司)は、残念ながら多忙につき欠席。本当に残念そうな知秋ですが、私も残念ですw
つつがなく式も終わり、11年ぶりの丈比べをするつばさ&知秋。つばさ10歳の時の印を、加乃子は感慨深げに見つめます。あの時から今まで、母娘の時間は止まってたんですよね。
と、そこで合図の笛が鳴り、本場ブラジルのサンバダンサー軍団と共に、秀樹が久々に登場!
「あらまぁー!」と驚き喜ぶ加乃子ですが、あらまぁーなんて普通言わないですよねw
「今日は無礼講だ。みんな、踊れぇーっ!」
娘でいる事を捨てた筈の加乃子も、あの堅物・千代さんまでも、町中の人々が蔵造り通りに溢れ、踊り狂う大スペクタクル!
どさくさにまぎれて、斎藤清六さんも満面の笑顔で踊ってる! あんた、もう出所したのか?w ていうか、よく此処に顔が出せたもんだなw
永島敏行さんや太川陽介さん、斎藤由貴さんの再登場にも驚きましたが、清六さんは極めつけですね。コアな視聴者しか気づかないでしょうw
加乃子の投げたブーケが、つばさの手に。おっ!と彼女を見る、みんなの眼が暖かいですね。これは近い未来を暗示してるのでしょう。あんの野郎ぉーっ!!w
JUST MARRIEDと書かれたトロッコに加乃子が乗り、竹雄が押して、幸せ絶頂の二人は線路をどこまでも進んで行きます。今回の式はつばさの為だった事を忘れてますねw
そんな二人が辿り着いたのは、なんと新宿駅! もう深夜です。あんた、どんだけ走ったんだ竹雄さん!?w
「どうやって帰ればいいの?」
☆「そんなワケだから、バイバイ」
帰る手段の無い両親を心配する素振りも無くw、自室に戻ったつばさは、いつものようにラジオの男(イッセー尾形=画像)を呼び出します。
「ま、やっと片付いたな」
ラジオの男はしみじみと、つばさとの歴史を振り返ります。これはまぁ最終回のお約束でもありますから、視聴者はまだ油断してますよねw
つばさが10歳の時、加乃子が家出した夜に、初めて姿を現したラジオの男。深く傷ついたつばさの心を癒すべく、彼は毎晩のように話し相手を務めました。
でも、つばさのオカン業が忙しくなるにつれ、出て来なくなった。それが10年ぶりに加乃子が帰って来たと同時に、また現れるようになり…
「俺は、あんたの心の影だから。おふくろさんとの歪んだ関係が、心の中で軋んだり抱え切れなくなった時にだけ、慰めたり、癒してあげる為に現れた」
「茶化してるだけだった気もするけど」
「まぁ何でもいいや。そんなワケだから、バイバイ」
「えっ?」
母とのわだかまり=過去のトラウマをつばさが克服出来た以上、彼はお役御免だと言うのです。
誰もがこのシーンを見て、滝の涙を流さずにいられないのは、ここで彼とお別れになるなんて、全く予想してなかった事が大きいと思います。しかも、絵に描いたような大団円の直後に!
「そんな! そんなのヤだよ、いなくならないで!」
「これはね、おめでたい事なの。羽ばたけた証なの」
そう、これはつばさへの卒業祝い…というより「退院祝い」なんだと私は思います。えっ、退院? そうです、退院なんです。その理由についてはまた、後ほど。
「出て来てくれるんだったら、何でもするから! だから、いなくならないで! お願いっ!」
そう懇願しながらつばさは、全くあらぬ方向に顔を向けてます。
「えっ、もう見えてないの?」
それぞれの存在する世界が分断されて行くような、『つばさ』らしく容赦のないw別れの演出。そして一枚の羽根が、ヒラヒラ… 千波さんの花びらを思い出させますね。
「行っちゃったんだ… ありがとう…」
「おめでとう、つばさ」
その声はもう、つばさの耳には届きません。淋しさと切なさと暖かさが入り交じり、しかも意表を突かれたお陰で、私もあえなく涙腺大決壊でしたw
放映当時、朝っぱらから嗚咽して泣かされた皆さんは、そのあと出勤したり登校したり、無事に出来たんでしょうか?w
☆『つばさ』とは何ぞや?
さてさて前回、この別れの場面をあらためて見直して、『つばさ』というドラマが何であったか、一つの結論に辿り着いたと書きました。加えて、その答えはレビュー前編に隠されてます、とも。
まず、それが何であったかを明かしますと、真瀬がつばさに言った、例の説明的な台詞なんです。答えにあたる部分だけを抜粋しますと…
↓
「お前と関わる人間は、自分が抱える様々な悩みやコンプレックスと、お前を通して向き合う事になる。そして気づいたら、それが克服出来るようになってる」
…私は、まさにそれを仕事にしてる人と、たいへん親しくしていました。そうです、セラピストです。
やっぱり『つばさ』は、セラピーなんですよ! 創り手は意識的に「セラピーの朝ドラ」を目指して、『つばさ』を創ったんです!
「なんだ、結局またそれかよ」と失笑するなかれ、今回はそう断定するだけの、根拠があるんです。これはもう、間違いないです。
つばさは、心に深い傷を負った人達の話を聞き、癒し、前向きな気持ちを取り戻せるように導く、セラピストなんです。いや、もっと広い意味で「カウンセラー」と呼ぶべきでしょうか。
私が最初に「『つばさ』はセラピーに似てる」って言いだしたのは、つばさと翔太の破局騒動で「どん底」がキーワードになった時かと思います。
さらにその疑惑が深まったのが、竹雄さんの失踪騒動です。その理由は後ほど解説させて頂くとして、『つばさ』=セラピーの疑惑は、万里がフルマラソン完走に挑むエピソードで、いったん白紙に戻されちゃったんですよね。
あのエピソードで、つばさは万里に対して「がんばれ」を連呼しました。カウンセリングに「がんばれ」は禁句ですから、これはやっぱ違うな、と。
だーがしかし! あれはトリックだったんです! 私はまんまと、作者の陽動作戦に引っ掛かったんですよ!w
万里には、つばさや翔太や竹雄みたいな、過去の傷=トラウマがありません。つまり万里の苦しみは、他のキャラクター達とは種類が違う。あの週だけ何となく異質に感じたのは、そのせいですよ!
万里は心に深い傷を負った患者ではなく、誰もが必ずぶつかる壁の前でもがいてる、ごく普通の若者なんです。だから万里には「がんばれ」って言っても構わないワケです。
あの回で不自然なほど「がんばれ」が連呼されたのは、セラピー説を否定する為というより、その真実を隠蔽する為だったんですね(なんの為にやw)。いやー、騙されましたよホントに。
☆重症患者・つばさ
さて、そんな私に「やっぱり『つばさ』はセラピーだ!」と確信させたのが、誰あろう「ラジオの男」です。
なぜ、ラジオの男というキャラクターを登場させる必要があったのか? なぜ、つばさの心の影=つばさの分身であるにも関わらず、事もあろうにイッセー尾形さんなのか!?w
カウンセラーになる人って、自身も心に深い傷を負った人である事が多いそうです。震災で救命士に助けてもらった子供が、将来は自分も救命士になろうと決意するのと似てますね。
私と親しかったカウンセラーもそうでした。でも、心の傷は完全に消えて無くなるものじゃありません。患者さんを癒しながら、自分の心は疲弊して「私のことは誰が癒してくれるの?」なんて、その人はこぼしてました。
そう、カウンセラー自身にもカウンセラーは必要なんです。つばさの心の傷は、周りにいるどのキャラクターよりも深刻ですよね?
母親に見捨てられる… その悲しみ、痛み、恐怖に匹敵するトラウマは、なかなか無いんじゃないかと思います。
例えば秀樹の傷なんか、ぶっちゃけ「たかが失恋」ですよ!w お相手の加乃子の場合は、その背景にある「母との確執」こそが真のトラウマなのに対して、秀樹は失恋以上でも以下でもない。
これ以上言うとhyoutangaidenさんに叱られそうだけどw、最後だから言っちゃいます。青春期の失恋を20年も30年も引きずって、今だに悲劇の主人公を気取ってる秀樹こそ、究極の乳首人間ですよ!w
だから、乳首が乳首の後を継いだのは必然ですねw もちろん、だからこそ我々一般の乳首人間はw、秀樹や翔太に共感して泣いちゃうワケですけど。
マスター・オブ乳首は秀樹。そしてグランド・マスターが寅さんなのでしょう、きっと。乳首人間第一号は、車寅次郎。つまり、愛すべきロクデナシ・キャラの系譜ですね。
おっと、話がつい乳首方面に逸れてしまいましたm(__)m 言いたかったのは、つばさの心の傷が、どれほど深いものだったかって事です。
でも、つばさ自身を癒してくれるカウンセラーはいない。だから… つばさは、もう一人の自分を創作したんだと思います。そう、無意識に…
ラジオの男は、妖精でも幽霊でもなく、心を病んだつばさが見る、いわば幻覚。言い方を替えれば、多重人格(分裂症)の症状だったワケですね。つばさこそが、一番の重症患者だった。
それなのに彼女は、周りにいる患者達を放っておけず、自分は陰で血を吐きながら、健気にみんなを治療してたワケです。そう思うと涙が出ちゃいませんか?
『つばさ』の企画は当初「こんなの通せるワケないだろ!」と上司を激怒させた位、ダーク過ぎる内容だったそうですが、恐らくその辺りの事がもっとストレートに表現されてたから、だろうと思います。
心を病んだ、多重人格の女が主人公の朝ドラ。空前絶後ですよね! そりゃ上層部は怒るでしょうw 怒るけど、朝ドラのマンネリを打ち破る起爆剤にはなりそうだってんで、オブラートに包むならOKって事になったと。
だから、つばさ自身の底はかとなく暗い影が、「ラジオの男」だなんていう、ひょうきんなオッサンの姿にw変貌して行った。にしても何故、あんなオッサンでなければならなかったのか?
理由は二つあると思います。まず一つは、ラジオ局→憩い(癒し)の広場→診療所、であると仮定するなら、ラジオの男→広場の主→診療所の院長先生、っていうイメージなのかも知れません。
そしてもう一つの理由が、これまた『つばさ』=セラピー説を裏付ける、証拠にもなるんです。
それも含めて、『つばさ』とセラピーとの共通点を、ズラッと列挙させて頂きますね。(後編につづく)