☆リターン・オブ・千代さん
朝一、階段を降りて来たつばさが、体重計に乗って「よし!」…第1話はじめ何度となく描かれた恒例行事ですが、蔵造り通りを離れてからは、確か描かれてなかったですよね?
さりげない描写で、帰るべき場所に帰って来た事を我々に実感させる為に、あえて見せなかったんでしょうか。実際は向こうでも毎朝やってたんでしょうけど、つばさはw
さて、甘玉堂は大口注文への対応で大わらわ。かつての従業員である職人さん達も駆けつけ、総動員で甘玉づくり。
何だか見覚えのある光景だなぁと思ったら、第1話と全く同じパターンで、加乃子…の代わりに千代さんが帰還!
「私がいると、やはりはかどりますね」
この台詞も、あの時の加乃子と同じw あらゆる場面が、番組初期と合わせ鏡になってるみたいですね。
千代さんは、あの時の加乃子と同じ事をして、娘の気持ちを理解しようと思ったそうですが、ちょっと無理があるなぁw
そこまで理由付けしなくても、単なるギャグって事で良いのでは? まぁ千代さんは堅物キャラだから、理由無しでこんな馬鹿はやらないかw
「家に戻る時の敷居は、出ていく時の何倍も高いものだという事が、よーく解りました」
葛城さんは、静かに旅立って行かれたそうです。最期の時を最愛の女性と過ごして、思い残す事は無かったでしょう。
「戻って来ました」
千代さんは亡き夫・梅吉にも帰還のご挨拶。そう言えば最終週、梅吉さん(の幽霊)は登場しませんでしたね。出て来ても良かったと思うのですが、小松さんのスケジュールが合わなかった?
それとも、千代さんが内面的に羽ばたいた以上、もう出てくる必要が無くなった? つまりラジオの男と同じで…って、そのへんの話は次回ですねw
☆あんの野郎ぉーっ!
翔太(アルフレッド・ヒッチクビコック)が斎藤興業を退職し、ブラジルに行くと言い出しました。 サッカー指導者の養成学校で、コーチの資格を取ろうという魂胆です。つばさは動揺を隠せません。
玉木家でもそれが話題に上り、「あんの野郎ぉーっ!」と理由もなくトロッコに乗って翔太を殴りに行こうとする、竹雄さんがとってもラブリーw 「あ、条件反射かな?」ってw
その気持ち、よーく解りますw 何をやっても何を言っても、何となくオジサンをイラッとさせちゃう。それが乳首人間なのですw
「佐知江さん、淋しくなるわねぇ」
「まぁ、あの親子も色々あったからな」
よその親子の話なのに、なぜかつばさと加乃子の間に、ピリピリッと微妙な緊張感。治ったとばかり思ってた病の症状が、長い長い潜伏期間を経て、再び顕れて来たような感じです。
「俺、親父をおふくろに会わせようと思ってるんだ」
巨匠・ヒッチクビコック監督が、そんな事をつばさに言いました。あんの野郎ぉーっ!
自分にとって、父と母は唯一の家族だから…と、監督は言うのです。親父みたいには絶対なりたくない!なんて言ってたクセに、あんの野郎ぉーっ!
「どうして、許すこと出来たの?」
「良くも悪くも俺が此処にいるのは、親父とおふくろのお陰なんだなって分かったから」
あの嵐の夜、俺が此処にいるのは親父のせいだろ!とか言ってたヒッチクビコック監督が、「せい」を「お陰」に言い換えました。
あの時、台詞としてはちょっと変な言い方だなぁと思ってたのですが、なるほど、ここでこんな風に言い換えさせる為の前振りだったワケですね!? あんの野郎ぉーっ!
「子供は、例えどんなに望んでも、親とまるで違う生き方は出来ない。俺は、親父がいたから、親父を見て育ったから、今の俺になれたんだ」
驚くべき事に、ヒッチクビコック監督の頭皮が、微動だにしません! 監督は、つばさよりも先に、壁を乗り越えたのです。あんの野郎ぉーっ!
今の監督と同じような事を、つばさが加乃子に言える時は、果たして来るのでしょうか?
☆あべこべ母娘
加乃子も、つばさと同じように、そのきっかけが掴めずに悩んでる様子です。
「つばさは、私の前ではいつも笑顔で強がって見せる。娘じみた真似して甘えてんのは私の方… こんないい歳した娘なんておかしいわね」
そもそも『つばさ』のキャッチフレーズは「あべこべ母娘」でした。つばさが加乃子に正座させて説教したりする場面もありましたねw それがとても自然な光景に見えちゃう所が、多部未華子ならびに高畑淳子、おそるべしですw
「つばさに頼ってばかりじゃ駄目。早く卒業しなきゃ…」
その「卒業」って言葉を聞いて、竹雄が何か閃いた模様です。はげちゃび〜ん!
一方、ラジオぽてとで市民パーソナリティーを務める佐知江さんに、乳首の父こと康一(永島敏行)が会いにやって来ました。もちろん、ヒッチクビコック監督の手引きがあっての事です。あんの野郎ぉーっ!
「有難う。今日、久しぶりに翔太に会って、見違えた。あいつを、あんなに立派に育ててくれて…」
「まだまだ一人前なんかじゃない。だって、半分はあなたにそっくりなんだから」
残りの半分は勿論、佐知江さん。この言葉は、何を意味するんでしょうか? 別れても、康一は乳首の父であり、佐知江さんは乳首の母、つまり家族である事に変わりは無いってこと?
ボールを蹴り合う父と息子を、つばさと二人、いつぞやみたいに河川敷で眺める佐知江さん。
「親子って、つくづく不思議だよね。愛しているのに憎くなる。憎しみが深まるほど、愛したくなる。厄介だよ」
いつぞやも、似たようなこと言ってましたよね? いくら拒んだところで、血は争えないのが親子だ、みたいな事を。
「だから、許せない事なんて無いのかもね。だって、家族なんだから」
まんま、つばさと加乃子の問題にもリンクする言葉です。「カノン」が『つばさ』作劇の一貫した手法とは言え、つばさと翔太は、それぞれ母、父に見捨てられた傷を背負う者どうし、理屈を超えて共鳴し、惹かれ合うものがあるのかも知れません。あんの野郎ぉーっ!(エクセレント・ハイパー激怒←うそw)
「私たち、結婚する事にしました」
突然そんな事を言いだしたのは、なんと竹雄&加乃子の夫婦です。竹雄がはげちゃび〜ん!と閃いた、とっておきの秘策とは!?
☆二度目の結婚式
「ほんと、色々あり過ぎだよね」
竹雄と二人、しみじみと玉木家のこの1年を振り返る、つばさ。連ドラのお約束ですねw
和菓子作りで一番大事なのは、小豆が炊けて行くのを待ってる時間だと竹雄は言います。
「見守ってるって言うべきかな。硬くて噛めない位の小豆が、時間をかけてゆっくりと柔らかくなってくのを、ただ、じーっと見守ってる」
思えば竹雄の師匠である梅吉さんも、フォトフレームからじーっと、玉木ファミリーを見守り続けてるんですよね。
「固まってる心が、時間をかけて溶けていく。それを見守ってるのが、僕の役割だ。僕は、いつでもつばさの事、見守ってるよ」
「ありがと…」
この時の多部ちゃん、泣くつもり無かったのに泣いちゃった感じですね。クランク・アップ=もう一つの家族とのお別れが、目前に迫ってる現実を意識しないではいられなかったのでしょうか。
「永らくお世話になりました。今日まで育ててくれた恩、決して忘れません」
…と、娘に挨拶する母w あべこべ母娘の究極形って感じですが、それを卒業する為の儀式が、この二度目の結婚式なのでした。
「お嫁に行く日ってホラ、娘が、親から巣立つ日でしょ? それって、娘である事を捨てる日だから」
結婚式は、娘を「卒業」する儀式でもある。それが竹雄さんの閃きだったワケですね。「こちとら、伊達や酔狂で頭禿げ散らかしてんじゃねぇんだ!」←by大滝秀治in『特捜最前線』w
「今日の日を迎えられたのは、つばさのお陰です。有難う」
竹雄ともう一度やり直せた事、千代と向き合えた事、知秋に拒まれて家を出た時に連れ戻してくれた事、加乃子の借金が原因で手放した蔵造り通りの店に、こうして戻って来られた事…
本当に色々あり過ぎな母ですがw、こうしてしっかり言葉にして、懺悔と感謝の気持ちを自分の娘に言える母親も、なかなかいないんじゃないでしょうか?
「ううん、私は… 今の私が好き。お母さんが帰って来る前の私より… やっと、自分の名前に追いつけた気がする」
「つばさ… この名前の本当の意味を教えてくれたのは、あなたよ。家を飛び出さなくても、羽ばたく事は出来るんだって」
母として、妻として、女将として、加乃子はこの場所で羽ばたこうとしてます。かつて、自分の居場所を求めて飛び出した、この家で…
「10年放浪しても見つからなかった幸せは、こんな近くに転がってたのね。ずいぶん遠回りしちゃった」
「おかえりなさい」
「ただいま」
そんな当たり前の挨拶を交わすまで、丸一年かかりましたw でも、10年分のわだかまりがそうさせたワケで、1年は決して長くない…というか、それを乗り越えられたこと自体が奇跡かも知れません。
ただ、この二人はとっくに乗り越えたように見えていたし、お互いの気持ちは解ってるんだから、わざわざこんな儀式しなくても…なんて思ったりするのは、私が男だからでしょうか?
サントラさんがコメントされてたように、ちゃんとした言葉で相手に伝えないと(もしくは相手から伝えてもらわないと)前に進めないのは、女性ならではの性質かも知れないですね。
「ありがとう、帰って来てくれて」
つばさはようやく、やっと、母の胸で泣く事が出来ました。加乃子が家出してからの10年間はもちろん、それ以前にもあまり出来なかった行為かも知れません。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」
「好きなだけ泣きなさい。本当に、この子は…」
私は最初に『つばさ総集編』を観た時、レビューに「あべこべ母娘が、1年かけて正常な関係に戻って行く様を描いたドラマですね」みたいな事を書きました。
まぁそれは、別に間違ってはいないんだけど、表層的な結果論に過ぎないんですよね。数ある要素の一つでしか無い。
そこに至るまでに描かれた、キャラクター達が自分自身のダークサイドと向き合い、必死に克服する姿こそが重要なのであって。そのへんはやっぱ、ダイジェストじゃ伝わらないです。
全編を通して観て来た上で、今回あらためてこの場面と、次回にやって来る衝撃の別れの場面を見直してみて、ある結論に辿り着きました。
『つばさ』というドラマが、いったい何だったのか? 創り手は何を目指して本作を創ったのか? 私は確信しましたよ! その答えは、レビュー前編の中に隠されてます。
次回、それを発表したいと思います。いよいよ、完結です。あんの野郎ぉーっ!w
朝一、階段を降りて来たつばさが、体重計に乗って「よし!」…第1話はじめ何度となく描かれた恒例行事ですが、蔵造り通りを離れてからは、確か描かれてなかったですよね?
さりげない描写で、帰るべき場所に帰って来た事を我々に実感させる為に、あえて見せなかったんでしょうか。実際は向こうでも毎朝やってたんでしょうけど、つばさはw
さて、甘玉堂は大口注文への対応で大わらわ。かつての従業員である職人さん達も駆けつけ、総動員で甘玉づくり。
何だか見覚えのある光景だなぁと思ったら、第1話と全く同じパターンで、加乃子…の代わりに千代さんが帰還!
「私がいると、やはりはかどりますね」
この台詞も、あの時の加乃子と同じw あらゆる場面が、番組初期と合わせ鏡になってるみたいですね。
千代さんは、あの時の加乃子と同じ事をして、娘の気持ちを理解しようと思ったそうですが、ちょっと無理があるなぁw
そこまで理由付けしなくても、単なるギャグって事で良いのでは? まぁ千代さんは堅物キャラだから、理由無しでこんな馬鹿はやらないかw
「家に戻る時の敷居は、出ていく時の何倍も高いものだという事が、よーく解りました」
葛城さんは、静かに旅立って行かれたそうです。最期の時を最愛の女性と過ごして、思い残す事は無かったでしょう。
「戻って来ました」
千代さんは亡き夫・梅吉にも帰還のご挨拶。そう言えば最終週、梅吉さん(の幽霊)は登場しませんでしたね。出て来ても良かったと思うのですが、小松さんのスケジュールが合わなかった?
それとも、千代さんが内面的に羽ばたいた以上、もう出てくる必要が無くなった? つまりラジオの男と同じで…って、そのへんの話は次回ですねw
☆あんの野郎ぉーっ!
翔太(アルフレッド・ヒッチクビコック)が斎藤興業を退職し、ブラジルに行くと言い出しました。 サッカー指導者の養成学校で、コーチの資格を取ろうという魂胆です。つばさは動揺を隠せません。
玉木家でもそれが話題に上り、「あんの野郎ぉーっ!」と理由もなくトロッコに乗って翔太を殴りに行こうとする、竹雄さんがとってもラブリーw 「あ、条件反射かな?」ってw
その気持ち、よーく解りますw 何をやっても何を言っても、何となくオジサンをイラッとさせちゃう。それが乳首人間なのですw
「佐知江さん、淋しくなるわねぇ」
「まぁ、あの親子も色々あったからな」
よその親子の話なのに、なぜかつばさと加乃子の間に、ピリピリッと微妙な緊張感。治ったとばかり思ってた病の症状が、長い長い潜伏期間を経て、再び顕れて来たような感じです。
「俺、親父をおふくろに会わせようと思ってるんだ」
巨匠・ヒッチクビコック監督が、そんな事をつばさに言いました。あんの野郎ぉーっ!
自分にとって、父と母は唯一の家族だから…と、監督は言うのです。親父みたいには絶対なりたくない!なんて言ってたクセに、あんの野郎ぉーっ!
「どうして、許すこと出来たの?」
「良くも悪くも俺が此処にいるのは、親父とおふくろのお陰なんだなって分かったから」
あの嵐の夜、俺が此処にいるのは親父のせいだろ!とか言ってたヒッチクビコック監督が、「せい」を「お陰」に言い換えました。
あの時、台詞としてはちょっと変な言い方だなぁと思ってたのですが、なるほど、ここでこんな風に言い換えさせる為の前振りだったワケですね!? あんの野郎ぉーっ!
「子供は、例えどんなに望んでも、親とまるで違う生き方は出来ない。俺は、親父がいたから、親父を見て育ったから、今の俺になれたんだ」
驚くべき事に、ヒッチクビコック監督の頭皮が、微動だにしません! 監督は、つばさよりも先に、壁を乗り越えたのです。あんの野郎ぉーっ!
今の監督と同じような事を、つばさが加乃子に言える時は、果たして来るのでしょうか?
☆あべこべ母娘
加乃子も、つばさと同じように、そのきっかけが掴めずに悩んでる様子です。
「つばさは、私の前ではいつも笑顔で強がって見せる。娘じみた真似して甘えてんのは私の方… こんないい歳した娘なんておかしいわね」
そもそも『つばさ』のキャッチフレーズは「あべこべ母娘」でした。つばさが加乃子に正座させて説教したりする場面もありましたねw それがとても自然な光景に見えちゃう所が、多部未華子ならびに高畑淳子、おそるべしですw
「つばさに頼ってばかりじゃ駄目。早く卒業しなきゃ…」
その「卒業」って言葉を聞いて、竹雄が何か閃いた模様です。はげちゃび〜ん!
一方、ラジオぽてとで市民パーソナリティーを務める佐知江さんに、乳首の父こと康一(永島敏行)が会いにやって来ました。もちろん、ヒッチクビコック監督の手引きがあっての事です。あんの野郎ぉーっ!
「有難う。今日、久しぶりに翔太に会って、見違えた。あいつを、あんなに立派に育ててくれて…」
「まだまだ一人前なんかじゃない。だって、半分はあなたにそっくりなんだから」
残りの半分は勿論、佐知江さん。この言葉は、何を意味するんでしょうか? 別れても、康一は乳首の父であり、佐知江さんは乳首の母、つまり家族である事に変わりは無いってこと?
ボールを蹴り合う父と息子を、つばさと二人、いつぞやみたいに河川敷で眺める佐知江さん。
「親子って、つくづく不思議だよね。愛しているのに憎くなる。憎しみが深まるほど、愛したくなる。厄介だよ」
いつぞやも、似たようなこと言ってましたよね? いくら拒んだところで、血は争えないのが親子だ、みたいな事を。
「だから、許せない事なんて無いのかもね。だって、家族なんだから」
まんま、つばさと加乃子の問題にもリンクする言葉です。「カノン」が『つばさ』作劇の一貫した手法とは言え、つばさと翔太は、それぞれ母、父に見捨てられた傷を背負う者どうし、理屈を超えて共鳴し、惹かれ合うものがあるのかも知れません。あんの野郎ぉーっ!(エクセレント・ハイパー激怒←うそw)
「私たち、結婚する事にしました」
突然そんな事を言いだしたのは、なんと竹雄&加乃子の夫婦です。竹雄がはげちゃび〜ん!と閃いた、とっておきの秘策とは!?
☆二度目の結婚式
「ほんと、色々あり過ぎだよね」
竹雄と二人、しみじみと玉木家のこの1年を振り返る、つばさ。連ドラのお約束ですねw
和菓子作りで一番大事なのは、小豆が炊けて行くのを待ってる時間だと竹雄は言います。
「見守ってるって言うべきかな。硬くて噛めない位の小豆が、時間をかけてゆっくりと柔らかくなってくのを、ただ、じーっと見守ってる」
思えば竹雄の師匠である梅吉さんも、フォトフレームからじーっと、玉木ファミリーを見守り続けてるんですよね。
「固まってる心が、時間をかけて溶けていく。それを見守ってるのが、僕の役割だ。僕は、いつでもつばさの事、見守ってるよ」
「ありがと…」
この時の多部ちゃん、泣くつもり無かったのに泣いちゃった感じですね。クランク・アップ=もう一つの家族とのお別れが、目前に迫ってる現実を意識しないではいられなかったのでしょうか。
「永らくお世話になりました。今日まで育ててくれた恩、決して忘れません」
…と、娘に挨拶する母w あべこべ母娘の究極形って感じですが、それを卒業する為の儀式が、この二度目の結婚式なのでした。
「お嫁に行く日ってホラ、娘が、親から巣立つ日でしょ? それって、娘である事を捨てる日だから」
結婚式は、娘を「卒業」する儀式でもある。それが竹雄さんの閃きだったワケですね。「こちとら、伊達や酔狂で頭禿げ散らかしてんじゃねぇんだ!」←by大滝秀治in『特捜最前線』w
「今日の日を迎えられたのは、つばさのお陰です。有難う」
竹雄ともう一度やり直せた事、千代と向き合えた事、知秋に拒まれて家を出た時に連れ戻してくれた事、加乃子の借金が原因で手放した蔵造り通りの店に、こうして戻って来られた事…
本当に色々あり過ぎな母ですがw、こうしてしっかり言葉にして、懺悔と感謝の気持ちを自分の娘に言える母親も、なかなかいないんじゃないでしょうか?
「ううん、私は… 今の私が好き。お母さんが帰って来る前の私より… やっと、自分の名前に追いつけた気がする」
「つばさ… この名前の本当の意味を教えてくれたのは、あなたよ。家を飛び出さなくても、羽ばたく事は出来るんだって」
母として、妻として、女将として、加乃子はこの場所で羽ばたこうとしてます。かつて、自分の居場所を求めて飛び出した、この家で…
「10年放浪しても見つからなかった幸せは、こんな近くに転がってたのね。ずいぶん遠回りしちゃった」
「おかえりなさい」
「ただいま」
そんな当たり前の挨拶を交わすまで、丸一年かかりましたw でも、10年分のわだかまりがそうさせたワケで、1年は決して長くない…というか、それを乗り越えられたこと自体が奇跡かも知れません。
ただ、この二人はとっくに乗り越えたように見えていたし、お互いの気持ちは解ってるんだから、わざわざこんな儀式しなくても…なんて思ったりするのは、私が男だからでしょうか?
サントラさんがコメントされてたように、ちゃんとした言葉で相手に伝えないと(もしくは相手から伝えてもらわないと)前に進めないのは、女性ならではの性質かも知れないですね。
「ありがとう、帰って来てくれて」
つばさはようやく、やっと、母の胸で泣く事が出来ました。加乃子が家出してからの10年間はもちろん、それ以前にもあまり出来なかった行為かも知れません。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」
「好きなだけ泣きなさい。本当に、この子は…」
私は最初に『つばさ総集編』を観た時、レビューに「あべこべ母娘が、1年かけて正常な関係に戻って行く様を描いたドラマですね」みたいな事を書きました。
まぁそれは、別に間違ってはいないんだけど、表層的な結果論に過ぎないんですよね。数ある要素の一つでしか無い。
そこに至るまでに描かれた、キャラクター達が自分自身のダークサイドと向き合い、必死に克服する姿こそが重要なのであって。そのへんはやっぱ、ダイジェストじゃ伝わらないです。
全編を通して観て来た上で、今回あらためてこの場面と、次回にやって来る衝撃の別れの場面を見直してみて、ある結論に辿り着きました。
『つばさ』というドラマが、いったい何だったのか? 創り手は何を目指して本作を創ったのか? 私は確信しましたよ! その答えは、レビュー前編の中に隠されてます。
次回、それを発表したいと思います。いよいよ、完結です。あんの野郎ぉーっ!w