肩・腕の痛みは、今も続いてます。もちろんクドカンのせいです。
整骨院での揉み返しはきっかけに過ぎず、原因は仕事内容にあると思われます。職業病ですね。従って今の仕事を辞めない限り、完全には治らない事でしょう。許さんぞクドカンッ!!(乳首)
さて、多部ちゃんのお泊まり愛スキャンダルに対するファンの反応を見てると、捉え方が十人十色で面白いですね。ストレートに嫉妬する人、祝福する余裕を見せる人、フライデーに怒る人etc…
窪田くんに怒る人が見当たらないのは、彼の人徳ですよね。さすがは多部ちゃんが選んだ人です。これがEXILEとかだったら私ゃハイパー激怒しちゃってますからねw ジャニーズでもたぶん嫌でした。窪田くんで良かった!
『あまちゃん』の見方はどうなんでしょう? 私がアンチ宣言した事で否定派の方が結構おられた事実が判明しましたが、好きな方は相変わらずお好きなんでしょうか?
自分がクドカンを許せないからって、あれを支持する人まで否定するつもりはありません。だけど一口に「好みの問題」と片付けるのも、なんだか違う気がします。
まぁこのブログの読者さんは別として、大半の支持者=ごく一般的な視聴者は、ドラマに対して深いものは何も求めない、クドカンと同じでその場その場が楽しけりゃいいっていう刹那主義のパブロフの犬でしょうから、私にとってはどうでもいい人達です。
そういう人は多分、このブログを読まないでしょう。読んでも筆者が何を訴えてるのか解らないだろうし、そもそもこんな無名ブログには見向きもしない。だから読者さんは別だと思うワケです。
読者さんなら私が書いてる事を理解しながらも、私とは違う視点からドラマを楽しんでおられたり、駄目な部分も含めてクドカンがお好きだったり等、一般大衆とはひと味違う感性を持っておられると思うんですね。
私がクドカンに対してあれだけ怒るのには、私の性格はもちろん、家庭環境や職歴なんかも含む生い立ち、これまでつき合って来た人達、もしかしたら前世で味わったトラウマなんかもひっくるめた、私ならではの原因があるんだろうと思います。
もう一つ言えるのは、私はかなりクドカンの人間性に対して興味を持ってるって事ですね。これだけ嫌うエネルギーがあるって事はある意味、愛情の裏返しかも知れません。
知名度とかスキルの違いはさておき、同じコメディ作家としてのシンパシーが根底にあるのは間違いないでしょうし、世代も近いですからね。あの人が世間から注目され始めた時期にちょうど、私も映像業界でメシを食ってた事も大きく影響してるでしょう。
私が心底から大嫌いなのは、格好つけたり虚勢を張ったりで、本当の自分を見せようとしない人間です。そんな人が創った作品は本当につまらない。
私にとって、作品を鑑賞する事=作者と対話する事なんですね。対話するのに格好つけたり虚勢を張ったりされたら、私も自分を出せなくなっちゃう。そういう無駄な人づき合いをする位なら、独りの時間を楽しみたいっていうのが私なんです。
だからある意味、クドカンを語る事は私にとって、楽しい時間なんですよね。「あんた、それは違うやろ!」ってツッコミを入れる、コミュニケーションが成立してるワケですから。
それは前作『純と愛』の遊川氏にも言える事です。「あんた、ええ加減にせえよ!」っていう対話なんですねw だからこの2作品に関しては、再三ここで記事にしちゃってる。よっぽど興味があればこそです。
対話が出来るって事はつまり、遊川氏もクドカン氏も、自分の人間性をちゃんと剥き出しにしてくれてるって事です。意見は全然合わないんだけど、この人らと対話するのは楽しい、盛り上がるってワケです。
だから、私は『あまちゃん』や『純と愛』に対して「大嫌い」だとか「失敗作だ」とかは言ったけど、「つまんない」とは一言も言わなかった筈です。…たぶんw
このブログで私に「大嫌い!」って言わせた作品には、それだけのパワーがあるんですよね、きっと。最悪なのは、私に「つまんない」って言わせた作品です。いっぱいありましたねw
私が「つまんない」って感じるのは、作者が格好つけて綺麗事しか言ってなかったり、少年ジャンプのマンガみたいに読者の嗜好をデータ化して、それに合わせて組み立てただけの「商品」に過ぎないような作品です。
私が作品に求めてるのは、作者の本音であり、心の叫び… つまり裸の姿です。裸を見せてくれる人としかつき合いたくないんですよね。
これで、私が女風呂ばかり覗きたがる真の理由を、よく解って頂けたかと思います。もし町で女風呂を覗く私を見かけても、どうかそっとしといて下さい。
くれぐれもよろしくお願い致しますm(_ _)m
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あなたの裸が見たい!
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