考えてみれば、もし私が多部ちゃん専門のサイトを立ち上げて、タベリストの皆さんと掲示板上で濃密な交流を何年も続けてる所に突然、例えば元俳優を名乗る新顔の人が「僕、多部ちゃんと共演した事あるんですよ」なんて書き込んで来たとしたら、私や常連のビジターさん達はどんな感情を抱くでしょうか?
タベリストの皆さんは年齢層も高いし、普通に家庭を築いてるオトナな方ばかりですから、そんな新顔が現れても余裕を持って歓迎されるかと思いますが、内心は面白くないかも知れませんよね? 面白くないのが普通だと私は思います。
まず嫉妬の感情が沸くでしょうし、マイノリティどうしで築いて来た連帯感に、何となく水を差されたような気分になるかも知れません。
まして、もう20年以上も前に終了してるTVドラマのディープなマニアとなると、更にマイノリティですから身近にはなかなか理解してくれる人もおらず、肩身の狭い思いを日々味わってる事と推測されます。
私自身そうですからね。会社の同僚で『太陽にほえろ!』の話が出来る相手は皆無だし、今やハリソン・フォードすらロクに知らない同僚ばっかりですから、映画の話も出来やしません。
だから、インターネットにおけるコミュニティーが唯一のオアシスになってるとしても、そりゃ無理からぬ事だと思います。心の拠り所と言っても過言じゃない。
あの時、私自身もオアシスを求めてました。夢敗れて故郷に帰るも、普通に家庭を築いてる同級生らと話をしたって噛み合わないし、映画仲間達に対してもコンプレックスがあったりなんかして、やっぱ寂しかったんですよね。
そんな時にやっと見つけたオアシスで、まさかまさかの冷ややかな対応&集中砲火。ホント、天国から地獄に突き落とされたようなもんです。
だけど、あの掲示板の住人達からすれば、私こそがせっかくのオアシスに冷や水を浴びせるデストロイヤーだったのかも知れません。
『桐島、部活辞めるってよ』のレビューで私は、学校社会において決して交わる事の無い「上層グループ」と「下層グループ」との関係について書きました。
私は同じ下層の仲間としてあの掲示板に飛び込んだつもりが、彼らから見ると「上層の人間が下層グループの中で優越感を味わいに入って来た」みたいに感じられたのかも?
そして白状すれば、あの時の私には確かに、「あんたらと俺とはちょっと違うんだぜ」っていう意識があったんですよね!
映像業界にいたこと自体が偉い事だとは、当時も今も全く思ってません。誰だって本気でやる気さえあれば入れる世界だし、凄い才能を持った人もいれば、ただのバカもいっぱいいる普通の職場ですからね。
私が「自分と彼らとは違う」って思ったのは、『太陽にほえろ!』という素晴らしい料理をただお客として味わい、美味いとか不味いとか勝手な感想を述べるだけで終わるんじゃなくて、自分はそれを咀嚼し、それを超える新しい料理を生み出すために自ら行動を起こしたんだぜぇ?ワイルドだろぉ?っていう自負です。
ただ作品を観て楽しんだり批評するだけなら誰にだって出来るけど、大勢の人を巻き込んで自ら作品を創り、批評される側に回る事には大いなるワイルドさが必要になりますから、そこはやっぱ自分にとって唯一の誇りなんです。
勿論、それをひけらかすつもりは全然無かったです。創る創らないは人の勝手だし、ひけらかせるような実績も結局残せてませんから。だけど、その根本的な「違い」こそが、あの時の自分にとっては命取りだった…って事なのかも知れません。
そう考えると、私という人間はあの掲示板にとって、最初から招かれざる客だった。喩えとして上層・下層なんて形容をしましたけど、別にどっちが上とか下とかじゃなくて、ただ単に「違う」んだって事です。
お互いに顔をつき合わせれば、その雰囲気や表情からすぐに「違い」を嗅ぎ分ける事が出来るんだけど、そこが顔の見えないネット社会の恐ろしさですよね。とてもとても痛い経験だったけど、ほんと勉強になりました。
今回の画像は、ぞんな私の後ろ姿です。
タベリストの皆さんは年齢層も高いし、普通に家庭を築いてるオトナな方ばかりですから、そんな新顔が現れても余裕を持って歓迎されるかと思いますが、内心は面白くないかも知れませんよね? 面白くないのが普通だと私は思います。
まず嫉妬の感情が沸くでしょうし、マイノリティどうしで築いて来た連帯感に、何となく水を差されたような気分になるかも知れません。
まして、もう20年以上も前に終了してるTVドラマのディープなマニアとなると、更にマイノリティですから身近にはなかなか理解してくれる人もおらず、肩身の狭い思いを日々味わってる事と推測されます。
私自身そうですからね。会社の同僚で『太陽にほえろ!』の話が出来る相手は皆無だし、今やハリソン・フォードすらロクに知らない同僚ばっかりですから、映画の話も出来やしません。
だから、インターネットにおけるコミュニティーが唯一のオアシスになってるとしても、そりゃ無理からぬ事だと思います。心の拠り所と言っても過言じゃない。
あの時、私自身もオアシスを求めてました。夢敗れて故郷に帰るも、普通に家庭を築いてる同級生らと話をしたって噛み合わないし、映画仲間達に対してもコンプレックスがあったりなんかして、やっぱ寂しかったんですよね。
そんな時にやっと見つけたオアシスで、まさかまさかの冷ややかな対応&集中砲火。ホント、天国から地獄に突き落とされたようなもんです。
だけど、あの掲示板の住人達からすれば、私こそがせっかくのオアシスに冷や水を浴びせるデストロイヤーだったのかも知れません。
『桐島、部活辞めるってよ』のレビューで私は、学校社会において決して交わる事の無い「上層グループ」と「下層グループ」との関係について書きました。
私は同じ下層の仲間としてあの掲示板に飛び込んだつもりが、彼らから見ると「上層の人間が下層グループの中で優越感を味わいに入って来た」みたいに感じられたのかも?
そして白状すれば、あの時の私には確かに、「あんたらと俺とはちょっと違うんだぜ」っていう意識があったんですよね!
映像業界にいたこと自体が偉い事だとは、当時も今も全く思ってません。誰だって本気でやる気さえあれば入れる世界だし、凄い才能を持った人もいれば、ただのバカもいっぱいいる普通の職場ですからね。
私が「自分と彼らとは違う」って思ったのは、『太陽にほえろ!』という素晴らしい料理をただお客として味わい、美味いとか不味いとか勝手な感想を述べるだけで終わるんじゃなくて、自分はそれを咀嚼し、それを超える新しい料理を生み出すために自ら行動を起こしたんだぜぇ?ワイルドだろぉ?っていう自負です。
ただ作品を観て楽しんだり批評するだけなら誰にだって出来るけど、大勢の人を巻き込んで自ら作品を創り、批評される側に回る事には大いなるワイルドさが必要になりますから、そこはやっぱ自分にとって唯一の誇りなんです。
勿論、それをひけらかすつもりは全然無かったです。創る創らないは人の勝手だし、ひけらかせるような実績も結局残せてませんから。だけど、その根本的な「違い」こそが、あの時の自分にとっては命取りだった…って事なのかも知れません。
そう考えると、私という人間はあの掲示板にとって、最初から招かれざる客だった。喩えとして上層・下層なんて形容をしましたけど、別にどっちが上とか下とかじゃなくて、ただ単に「違う」んだって事です。
お互いに顔をつき合わせれば、その雰囲気や表情からすぐに「違い」を嗅ぎ分ける事が出来るんだけど、そこが顔の見えないネット社会の恐ろしさですよね。とてもとても痛い経験だったけど、ほんと勉強になりました。
今回の画像は、ぞんな私の後ろ姿です。