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クドカンさんの困った体質

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今朝の『あまちゃん』、三陸から旅立つ片桐はいりさんの場面がとても良かったです。

見送りに来たキョンキョンに向かって、片桐さんが言うんですよね。「あなたの事が嫌いでした」って。

片桐はいりさんと、キョンキョン。そのビジュアルを見ただけで、その心情は痛いほど伝わって来ますからね。

セリフ上では内面的なコンプレックスを言ってたけど、その根っこは私が常日頃から「イケメン死ねぇーっ!!」って、真摯に訴えてるのと同じですよw ルックスの違いから生まれる格差は、女性の方がよりキツイものがあるでしょう。

これこそが、私の求める「毒」なんです。これが欲しかった!

前作『純と愛』みたいに悲惨な出来事ばっか主人公に降りかかるのは、ありゃ「毒」じゃなくて単なるトラブルのアトラクションに過ぎません。だからかえって現実感から遠のいちゃうワケです。

『つばさ』が真に素晴らしかったのは、登場人物達の抱える心の闇が、観てる我々みんな多かれ少なかれ抱えてるものと変わらなかったから、だと思います。今回の片桐さんと同種の「毒」ですよね。

だから、我々は登場人物にすんなり自己投影し、喜びも哀しみもダイレクトに感じられる=共感出来るワケです。

片桐さんのあの一言で、私は『あまちゃん』で初めて泣きそうになりました。能年ちゃんが初めてウニを穫った瞬間よりも、こっちの方が私はグッと来ます。

ただし困った事に、クドカンさんはこんな場面にまで、チョコマカと小ネタを挟んで来ますよねw どうしても挟まずにいられない「コメディ体質」の典型みたいな方です。その点は三谷幸喜さんとよく似てますねw

今回に限っては小ネタも抑え目で、むしろ良いスパイスになってたと思いますが、私はあらためて、自分がクドカン作品になかなかハマる事が出来ない理由が解った気がしました。

なんでクドカンさんの小ネタが、私にとって困った事なのか? 私はユーモア大歓迎どころか、ユーモアのカケラも無い作品は受け入れない位に、ユーモアが大好きなのに。

それはやっぱり、サジ加減の問題なんだと思います。ユーモアを入れて良い場面と、入れない方が良い場面との区別、メリハリが、もうちょいあった方が私は感動移入し易いんです。

今回で言えば、私が片桐さんに自己投影して『あまちゃん』ワールドに浸ってる所に、いかにもクドカンさんらしいユーモアが入って来たら、クドカンさん=作者の顔がチラついて現実に引き戻されちゃうワケですよ。

たぶんコメディ体質の作家さんって、シリアスなまんまだと我慢出来ないんですよね。笑えるネタが浮かんだら、どうしてもそれを入れずにいられない。感動を犠牲にしてでも笑いを優先しちゃう体質なんです。

それってサービス精神じゃなくて、作家のエゴなのかも知れません。かつて映像作家だった頃の私をよく知ってる方はきっと「お前が言うか!」ってツッコんでる事と思いますがw、私自身がコメディ体質でエゴ丸出しの創り手だったからこそ、その心理が何となく解るんです。

だからクドカンさんや三谷さんには親近感を覚えながらも、作品世界に心底のめり込めないんですよね。作者の顔が見え過ぎちゃうんです。それは私の眼が鋭いからじゃなくて、クドカンさんや三谷さんが前に出過ぎるのが悪いw

作者のエゴが見え過ぎて辟易しちゃった典型例が、前作『純と愛』ですよね。ユーモアとは真逆のアプローチだったけど、遊川さんもクドカンさんも結局、同じ穴のムジナです。こう書くとメチャクチャ怒られそうだけどw

とはいえ今回のクドカンさんは、そうとう我慢されてる事だろうと思いますし、せっかくの毒を間髪入れずに中和しちゃうのも、あの方の優しさなんだろうと思います。だから『あまちゃん』に対して悪い感情は湧いて来ません。

でも、このままだと私は、最後まで『あまちゃん』にハマる事は無い気がします。クドカンさんが「いかにもクドカン」を貫く限り、私はきっと心底から笑ったり泣いたり出来ないだろうと思います。

私がクドカン作品で本当に感動する時が来るとすれば、あの方が過去の栄光を完全に捨て去って「全くクドカンらしくないドラマ」を書かれた時、なのかも知れません。

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