CSで観ました。内容については、飽き飽きするほど各メディアで宣伝されて皆さんご存知かと思いますので、説明は省かせて頂きますm(_ _)m
まぁ簡単に言えば、ある殺人事件の裁判で落ち武者の幽霊が証言台に立つという、三谷幸喜さんの監督・脚本による法廷コメディです。
とにかくキャストが豪華で、ムダに豪華でw、エキストラ以外は傍役に至るまで全員が主演級のスター俳優、と言っても過言じゃありません。
例えば主役の深津絵里さんや西田敏行さんがファミレスで食事すれば、ウェイトレスが深田恭子ちゃんだったりする。もちろん1シーンだけの出番で本筋には絡みません。
ちょっと嫌味に感じちゃうのは私だけでしょうか?w 三谷さん、あなたが大人気作家で有名スターといっぱい知り合いなのはよーく分かったよ!ってw
顔の広さだけじゃなくて、それだけの出演料を賄える莫大な製作費を集められるのも、三谷さんの人気と実力があればこそ。なんだかそれを自慢したいが為のオールスターみたいに思っちゃうのは、単なる私のひがみ根性でしょうか?
この映画で1シーンだけ出てくる深キョン級のスターを使える監督になるまで、今マイナーなフィールドにいる若手監督達は何年かかるか分かりません。たぶん使えないまま終わっちゃう人がほとんどです。
本筋に関係ないウェイトレスの役まで主演級のキャストで固めちゃうのは、観客に対する三谷さんのサービス精神だろうとは思います。実際、やっぱ人気スターが次々に登場すれば観てて楽しいですし。だけど、なんかちょっとムカつくw
インタビューとか読むと、俳優さん達にも「三谷さんに指名されたら一流俳優の仲間入り」みたいな意識が浸透しちゃってるんですよね。いつの間にか三谷さん、すっかり大御所ですよ。
なんだか小心者で人付き合いが苦手そうな三谷さんに、かつて同じ脚本家として私は、勝手に親近感を抱いてました。自分もコメディ専門でやって行きたいと思ってましたから余計に。
だからってワケじゃないんだけど… いや、だからこそかw 大御所になっちゃった三谷幸喜は、なんだかつまんないです。そんな存在になりたかったのか、あの人は…って。
まぁ、そりゃ誰だってビッグになりたいに決まってるんだけど、そういう事に興味を示さない格好良さってあるじゃないですか、多部ちゃんみたいに。裏方なのに表舞台にどんどん出ちゃうのも、三谷さんならではのサービス精神なんでしょうけど…
やっぱ単なるひがみ根性ですかねぇ? あの人を密かに目標にしてたような事もあるだけに、これは私ならではの違和感なのかも知れません。
それはさておき、キャストのみならず映画の内容自体もサービス、サービスのオンパレードでした。全ての場面にユーモアを盛り込み、出てくる人みんなが面白くて、観客が望む通りのハートフルな結末に収まってます。
『純と愛』の遊川さんとは実に対照的やなぁってw、思いながら観てました。いや、真に正反対なのは押井守さんみたいな、観客へのサービスなんか微塵も考えておられない(ご本人がそう仰るんですw)芸術肌の監督だと思います。
観客の予想を常に裏切るっていうのも、ある種サービス精神ですからね。常に観客の願望を叶えて見せる三谷さんも、徹底的にそれを避けてる遊川さんも、普通の作家よりサービスが過剰である点で、よく似てるんじゃないでしょうか?
要するに、私から見るとどっちも「やり過ぎ」なんですw 『純と愛』を観ながら私は「もういいよ、分かったよ」って思っちゃうんだけど、今回『ステキな金縛り』を観てても同じように感じたんですね。
「さぁ笑って下さい、泣いて下さい、幸せな気分になって下さい、ほれほれどうした」って、うるさいよ!!ってw なんだか押しつけがましく感じちゃったワケです。遊川さんもやり方は真逆なれど、感じる押しつけがましさがソックリなんですよね。
もう一つ両者の共通点として挙げられるのが、過去のヒット作のお陰でブランドが確立しちゃって、自分のやりたい通りにやらせてもらえる環境にある、要するに大御所って事です。
どんなに優れた作家でも、ワンマンになっちゃうと感覚がズレて来るんじゃないでしょうか? ある程度は周りの意見を取り入れないといけなかったり、制約があった方が面白い作品になると私は思うんです。
例えばジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズとか、最近だとリドリー・スコットの『プロメテウス』とか、作者が大御所になり過ぎて一般観客のニーズから大きくズレて行っちゃった例は、枚挙に暇なしです。
もっと身近なところだとクドカンさんですよね。あまりに野放し過ぎて不快な作品が続いてるんだけど、朝ドラという枠(制約)の中だと良い仕事をされるかも?って事で、春からの『あまちゃん』にはちょっと期待してます。
三谷さんも、まだ新人作家だった頃の『振り返れば奴がいる』から『古畑任三郎』あたり迄が一番面白かったと私は思うなぁ…
でも、一番悪いのはプロデューサーの亀山ですけどねw
まぁ簡単に言えば、ある殺人事件の裁判で落ち武者の幽霊が証言台に立つという、三谷幸喜さんの監督・脚本による法廷コメディです。
とにかくキャストが豪華で、ムダに豪華でw、エキストラ以外は傍役に至るまで全員が主演級のスター俳優、と言っても過言じゃありません。
例えば主役の深津絵里さんや西田敏行さんがファミレスで食事すれば、ウェイトレスが深田恭子ちゃんだったりする。もちろん1シーンだけの出番で本筋には絡みません。
ちょっと嫌味に感じちゃうのは私だけでしょうか?w 三谷さん、あなたが大人気作家で有名スターといっぱい知り合いなのはよーく分かったよ!ってw
顔の広さだけじゃなくて、それだけの出演料を賄える莫大な製作費を集められるのも、三谷さんの人気と実力があればこそ。なんだかそれを自慢したいが為のオールスターみたいに思っちゃうのは、単なる私のひがみ根性でしょうか?
この映画で1シーンだけ出てくる深キョン級のスターを使える監督になるまで、今マイナーなフィールドにいる若手監督達は何年かかるか分かりません。たぶん使えないまま終わっちゃう人がほとんどです。
本筋に関係ないウェイトレスの役まで主演級のキャストで固めちゃうのは、観客に対する三谷さんのサービス精神だろうとは思います。実際、やっぱ人気スターが次々に登場すれば観てて楽しいですし。だけど、なんかちょっとムカつくw
インタビューとか読むと、俳優さん達にも「三谷さんに指名されたら一流俳優の仲間入り」みたいな意識が浸透しちゃってるんですよね。いつの間にか三谷さん、すっかり大御所ですよ。
なんだか小心者で人付き合いが苦手そうな三谷さんに、かつて同じ脚本家として私は、勝手に親近感を抱いてました。自分もコメディ専門でやって行きたいと思ってましたから余計に。
だからってワケじゃないんだけど… いや、だからこそかw 大御所になっちゃった三谷幸喜は、なんだかつまんないです。そんな存在になりたかったのか、あの人は…って。
まぁ、そりゃ誰だってビッグになりたいに決まってるんだけど、そういう事に興味を示さない格好良さってあるじゃないですか、多部ちゃんみたいに。裏方なのに表舞台にどんどん出ちゃうのも、三谷さんならではのサービス精神なんでしょうけど…
やっぱ単なるひがみ根性ですかねぇ? あの人を密かに目標にしてたような事もあるだけに、これは私ならではの違和感なのかも知れません。
それはさておき、キャストのみならず映画の内容自体もサービス、サービスのオンパレードでした。全ての場面にユーモアを盛り込み、出てくる人みんなが面白くて、観客が望む通りのハートフルな結末に収まってます。
『純と愛』の遊川さんとは実に対照的やなぁってw、思いながら観てました。いや、真に正反対なのは押井守さんみたいな、観客へのサービスなんか微塵も考えておられない(ご本人がそう仰るんですw)芸術肌の監督だと思います。
観客の予想を常に裏切るっていうのも、ある種サービス精神ですからね。常に観客の願望を叶えて見せる三谷さんも、徹底的にそれを避けてる遊川さんも、普通の作家よりサービスが過剰である点で、よく似てるんじゃないでしょうか?
要するに、私から見るとどっちも「やり過ぎ」なんですw 『純と愛』を観ながら私は「もういいよ、分かったよ」って思っちゃうんだけど、今回『ステキな金縛り』を観てても同じように感じたんですね。
「さぁ笑って下さい、泣いて下さい、幸せな気分になって下さい、ほれほれどうした」って、うるさいよ!!ってw なんだか押しつけがましく感じちゃったワケです。遊川さんもやり方は真逆なれど、感じる押しつけがましさがソックリなんですよね。
もう一つ両者の共通点として挙げられるのが、過去のヒット作のお陰でブランドが確立しちゃって、自分のやりたい通りにやらせてもらえる環境にある、要するに大御所って事です。
どんなに優れた作家でも、ワンマンになっちゃうと感覚がズレて来るんじゃないでしょうか? ある程度は周りの意見を取り入れないといけなかったり、制約があった方が面白い作品になると私は思うんです。
例えばジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズとか、最近だとリドリー・スコットの『プロメテウス』とか、作者が大御所になり過ぎて一般観客のニーズから大きくズレて行っちゃった例は、枚挙に暇なしです。
もっと身近なところだとクドカンさんですよね。あまりに野放し過ぎて不快な作品が続いてるんだけど、朝ドラという枠(制約)の中だと良い仕事をされるかも?って事で、春からの『あまちゃん』にはちょっと期待してます。
三谷さんも、まだ新人作家だった頃の『振り返れば奴がいる』から『古畑任三郎』あたり迄が一番面白かったと私は思うなぁ…
でも、一番悪いのはプロデューサーの亀山ですけどねw