公演が開始された『サロメ』の評判を聞くにつれ、胸が高鳴って来ましたよ。これはまさにカーニバル! てなワケで、前夜祭第3弾は『つばさ総集編』再びです。
ご存じの通り、私はこの総集編を最初に観て、それから全長版を完走すると同時に、かなり詳細なレビューを書き上げました。
だからもう、お腹いっぱい。今更また総集編を観直したところで、もはや新たな発見は何も無く、流れを確認するだけで終わるんだろなぁって思ってたら…
とんでもなかったですw 今、このタイミングで総集編を観るからこその発見が、いっぱいありましたよ! やっぱ恐るべしです、このドラマw
☆合わせ鏡
このドラマには、シリーズ前半と後半で合わせ鏡になってるシチュエーションや台詞が数々あって、第1週でつばさが10数年ぶりに翔太=タニオ・チクビッティーと再会する場面も、その一つ。
つばさ「やっぱり翔太だったんだ」
乳首「やっぱり、つばさだ」
第1週と最終26週という、半年を隔てての合わせ鏡ですから、さすがに初見で気づいた視聴者はほとんどいないんじゃないでしょうか? まぁ、こんなのは些末なネタですw
☆加乃子にすがる竹雄
10年ぶりに帰って来たものの、母・千代と大喧嘩してまた出ていこうとする加乃子に、夫の竹雄が「出ていかないで!」と泣きながらすがる場面。
総集編にしろ全長版にしろ、初見だと単に滑稽な場面としか感じないんだけど、この後に描かれる数々の過去、それに伴う悲劇を観た上でこの場面を観ると、竹雄さんがここまで必死になる理由が痛いほどよく解るゆえに、泣けます。初見でも泣いたような気はするけどw
☆多部ちゃんの顔
これはリアルタイムで観てても感じられた事かも知れませんが、そして多部ちゃんご自身もインタビューで語られてましたが、序盤と終盤とでは多部ちゃんの顔つきがかなり変わってますよね。
それは単に演出上の変化だけじゃなくて、女優としての成長が自信に繋がっての事だと思いますが、ほんと大人の顔になりましたよね。
弟・知秋(画像)が中盤に膨らんでまた細身に戻って行く様も、総集編だと非常に分かり易いw
☆加乃子の絶叫
「一緒にそばにいさせてぇー!」
つばさと知秋を抱いて加乃子が泣き叫ぶこの場面、何度観ても泣かされますが、これはストーリーを超えて、演じる高畑淳子さんのマジックである事に気づきましたw
あの、ロレツの回らない台詞回しですよね、原因は。高畑さんが「ここぞ」って時に使う、あれは最終兵器ですよ、きっとw
☆翔太の好感度
総集編だと、キスシーンも含めて、チクビッティーのつばさに対する悪業の数々wがカットされてるから、あんまり腹が立たないw
つばさの親友・万里の苦しみも同様で、総集編だと万里がただのお人好しにしか見えないですね。
☆つばさのダークサイド
「母の事は… 嫌いになれないから苦しいんです」
↑この台詞の重さが、全長版と総集編とでは全く違って感じられます。
私は最初の総集編レビューで「家出して戻って来た加乃子を優しく受け入れる、心の広い女の子」みたいにつばさを評してました。
それは私がドラマの表面しか観てないからそう感じてしまった事に、全長版を観て気づかされたワケですが、あらためて総集編を観ると、そう感じて当たり前だった事にも気づきました。
総集編は、『つばさ』の表層だけで構成されてるんですよね! 『つばさ』全長版は、二重構造のドラマなんです。サニーサイドが表層で、深層にダークサイドがある。
で、総集編はその深層部分が丸ごと削除されて、サニーサイドだけが残るように編集されてる。だから、つばさも翔太も万里も、本来は多面的なキャラなのに、一面的にしか見えてないワケです。
この編集って、無理やり尺を縮める為の苦肉の策かと思いきや、実は最初からこうするつもりで全長版が構成されてたんじゃないでしょうか? 総集編を創らないといけないのは事前から分かってる事ですから。
それを如実に表してるのが、次のエピソードです。
☆お話の木
総集編で最も大胆な削除が、サントラさんはじめ多くのファンから涙を搾り取った、第9週のエピソードです。
必要無いと思いますが一応説明しますと、妻を亡くしてから2年も娘・優花を妻の実家に預けたままだった真瀬が、つばさらに背中を押され、優花を迎えに行く場面…
恐る恐る声をかけた真瀬を見て、まだ幼い優花は「お父さん…」と呟く。物心もつかない内に2年も放っておいたのに、優花は父の顔をちゃんと憶えていた!
感動的なBGMが流れて、総集編だとここで真瀬父娘のエピソードはめでたく解決しちゃう。ところがどっこい、この場面は本来…
「お父さんなんか、いらなーい」
優花の、吐き捨てるようなこの台詞で、物語は一気にサニーサイドからダークサイドへと急転直下するんですよね! これは本当に、物凄い作劇だと思います。
その直前でカットする事によって、真瀬の置かれる立場が、本来は地獄なのに総集編だと天国に転換されちゃってる。全長版を先に観てた人は仰天された事でしょう。
逆に私みたいに総集編を先に観ちゃってる場合も、全長版で優花の裏の顔を見て仰天しちゃうワケですw ただしマイルドな総集編だと、あんまりこの場面が印象に残らないから、私の場合はすっかり忘れちゃってましたがw。
かように、ダークサイドが丸ごと削除された総集編は、全体的にマイルドで深みの無い、朝ドラらしい朝ドラになってます。これはこれで充分に楽しめちゃうのが、また凄いんですがw
創り手は本来、ダークサイドのドラマこそを描きたかった筈ですから、この総集編は全く別ものの作品と言って良いですよね。でも、『つばさ』を気楽に楽しみたい気分の時には最適かと思います。
☆大衆演劇
つばさ、加乃子、千代が舞台に立つこのシークエンスですが、全長版レビューの時はピンと来なかったんですよね。特に加乃子の独白が言い訳じみて聞こえてしまい、他の『つばさ』ファンの皆さんと少し温度差が出来ちゃった。
つばさの独白も、あの言葉がなんでチクビッティーを励ます事になるのかが、よく解りませんでした。
でも、全長版の完走を踏まえた上で、千代さんの独白を今回あらためて聞いたら、謎が氷解しましたよ! このエピソードが本当は、と言うか深層の部分では、何を意味していたのか?
「選ばなかったもう一つの人生を、悔やんだりしないで」
↑という主旨の、千代さんの独白。私はてっきり、これは加乃子の独白に対するアンサーだと思ってました。いや、確かにそれを受けての言葉ではあるのですが…
加乃子の独白は、家出した事の罪を背負いながらも「後悔はしない」って言ってるんですよね。千代さんがその想いを受け止めたとしても、後悔しないって主張してる人に対して「悔やんだりしないで」ってまた被せるのは、ちょっとおかしい。
これはつまり、加乃子じゃなくて千代さん自身への言葉、あるいは初恋の君=葛城さんへのメッセージであり、今後のドラマ展開を予告してるんですよね。つばさの独白も、加乃子の独白もしかりです。
じゃあ、なんでこんな形で自分の想いを吐露し、わざわざ今後の展開を予告する必要があったのか?
これこそが、セラピーなんだと私は思います。この大衆演劇エピソードに込められた意味とは、セラピーの第1段階だったんです!
カウンセリングは1度や2度で結果が出るもんではありません。最初はまず、クライアントが抱える問題、トラウマの原点を探り出し、それを自覚させ、自分自身がどう変わって行きたいかを確認する作業になる。
つばさも加乃子も千代さんも、誰かを変えたくてあの独白をしたんじゃない。自分を変える為に、自分自身に対して決意表明をしたんだと思います。
それを見て乳首を震わせて感動してた翔太は、なかなか滑稽ですw あの場で本当の意味を理解してたのは、秀樹だけじゃないでしょうか?
☆せんじゅ君
総集編では、このお掃除器具が唐突に登場し、その由来はおろか、誰が何の目的で作った物なのかも説明されないので、初見の時はすごくシュールなギャグだなぁと思って観てましたw
☆ショウティー&つば吉
これも、全長版ではつばさだったか加乃子だったかの妄想として表現された場面なのに、総集編だと斎藤興業で二人が再会した時に唐突に挿入されるんで(しかも分割画面でw)、すごいシュールな演出に感じちゃう。
あんなの、わざわざ入れる必要無いのに、監督さんよっぽどお気に入りなんですね。予告編でも使ってましたもんねw
☆天使と悪魔
さて、私が初見の時に最大の謎だったのが、秀樹の存在です。あらためて観直しても、総集編では出番が極端に少なく、何の為に登場する人物なのか、やっぱりよく解りません。
でも、前述の「二重構造」を踏まえれば、それは当たり前である事が理解出来ます。
『つばさ』世界のサニーサイドを動かす存在が玉木つばさ=ラジオの男=天使なら、ダークサイドを動かすのは秀樹=悪魔、なんですよね! だから、ダークサイドが隠蔽された総集編だと、秀樹の存在は全く無意味になっちゃう。
悪魔と呼ぶには秀樹は善人じゃないかと言われそうだけど、借金の取り立てはするわ、ラジオの仕事を強要するわ、半裸の女性達を引き連れて馬鹿騒ぎするわw、表面的に見れば悪党ですよね。
かつて加乃子との仲を引き裂かれ、どん底に堕ちた秀樹は、いったん悪魔に身を売っちゃった。けど、ビバ・マリアとの出会いにより、人間の心を取り戻した。
ところが魔王との契約を破るワケには行かないから、悪魔のフリを続けなきゃならない。彼は常に、悪魔を演じながら、魔王にバレないようこっそり人助けをしてる。
だからですよ、秀樹の芝居がクサいのは!w あの西城秀樹さんのオーバーな芝居は、魔王の監視に怯えながら必死に悪魔を演じてる、実はすこぶるリアルな演技なんです。
いやいや、これ、マジで書いてますw 天使が登場する世界なら、悪魔も存在しないと逆に不自然ですから。
でも、秀樹が悪魔としてちっとも結果を出さないのに轟を煮やした魔王が、新たに送り込んだ刺客が、城之内房子=魔女ですよ。秀樹がブラジルへと去って行った途端に、房子様が本格的に動き出しましたからね!
さしずめ秀樹がデビルマンで、房子様がセレーヌ(でしたっけ?)みたいなもんで。そりゃカッコイイわけですよ!w
☆「今の私が好き」
最終回でつばさが言ったこの台詞も、本作がセラピーである事を裏付けてると思います。カウンセリングの最終目的は、自分自身を許し、愛せるようになる事ですから。
千代さんの「私が本当に許せないのは、この私なんです」とか、全長版を観直せば、他にも証拠があちこちで確認出来るかと思います。
☆プロポーズ
総集編では最終回の1年半後が新撮され、チクビッティーがついに、つばさにプロポーズしちゃいました。あんの野郎ぉーっ!!w
「初恋が、実ったのですね」
祭りの夜、家族で花火をしながら、千代さんがしみじみとそう言って、つばさが涙ぐむ。
総集編を観ただけだと、ここで玉木家一同が見せる感慨深い表情の意味が、正確には伝わらないですよね。ダークサイドにおける苦闘の日々を、全長版で見届けた今だからこそ、私も一緒に泣けて来ちゃいます。
デビルマンの支援を受けた天使=つばさの奮闘により、代々受け継がれて来た玉木家の呪縛が、ついに、完全に断ち切られた瞬間です。
ここでまた、私はルーク・スカイウォーカーを思い出しました。『つばさ』はやっぱり、『スター・ウォーズ』によく似てますね。
表層のサニーサイドだけで構築された総集編はさしずめ、活劇要素だけを押し出した最初の『スター・ウォーズ』(エピソード4)みたいな存在…なのかも知れません。
ご存じの通り、私はこの総集編を最初に観て、それから全長版を完走すると同時に、かなり詳細なレビューを書き上げました。
だからもう、お腹いっぱい。今更また総集編を観直したところで、もはや新たな発見は何も無く、流れを確認するだけで終わるんだろなぁって思ってたら…
とんでもなかったですw 今、このタイミングで総集編を観るからこその発見が、いっぱいありましたよ! やっぱ恐るべしです、このドラマw
☆合わせ鏡
このドラマには、シリーズ前半と後半で合わせ鏡になってるシチュエーションや台詞が数々あって、第1週でつばさが10数年ぶりに翔太=タニオ・チクビッティーと再会する場面も、その一つ。
つばさ「やっぱり翔太だったんだ」
乳首「やっぱり、つばさだ」
第1週と最終26週という、半年を隔てての合わせ鏡ですから、さすがに初見で気づいた視聴者はほとんどいないんじゃないでしょうか? まぁ、こんなのは些末なネタですw
☆加乃子にすがる竹雄
10年ぶりに帰って来たものの、母・千代と大喧嘩してまた出ていこうとする加乃子に、夫の竹雄が「出ていかないで!」と泣きながらすがる場面。
総集編にしろ全長版にしろ、初見だと単に滑稽な場面としか感じないんだけど、この後に描かれる数々の過去、それに伴う悲劇を観た上でこの場面を観ると、竹雄さんがここまで必死になる理由が痛いほどよく解るゆえに、泣けます。初見でも泣いたような気はするけどw
☆多部ちゃんの顔
これはリアルタイムで観てても感じられた事かも知れませんが、そして多部ちゃんご自身もインタビューで語られてましたが、序盤と終盤とでは多部ちゃんの顔つきがかなり変わってますよね。
それは単に演出上の変化だけじゃなくて、女優としての成長が自信に繋がっての事だと思いますが、ほんと大人の顔になりましたよね。
弟・知秋(画像)が中盤に膨らんでまた細身に戻って行く様も、総集編だと非常に分かり易いw
☆加乃子の絶叫
「一緒にそばにいさせてぇー!」
つばさと知秋を抱いて加乃子が泣き叫ぶこの場面、何度観ても泣かされますが、これはストーリーを超えて、演じる高畑淳子さんのマジックである事に気づきましたw
あの、ロレツの回らない台詞回しですよね、原因は。高畑さんが「ここぞ」って時に使う、あれは最終兵器ですよ、きっとw
☆翔太の好感度
総集編だと、キスシーンも含めて、チクビッティーのつばさに対する悪業の数々wがカットされてるから、あんまり腹が立たないw
つばさの親友・万里の苦しみも同様で、総集編だと万里がただのお人好しにしか見えないですね。
☆つばさのダークサイド
「母の事は… 嫌いになれないから苦しいんです」
↑この台詞の重さが、全長版と総集編とでは全く違って感じられます。
私は最初の総集編レビューで「家出して戻って来た加乃子を優しく受け入れる、心の広い女の子」みたいにつばさを評してました。
それは私がドラマの表面しか観てないからそう感じてしまった事に、全長版を観て気づかされたワケですが、あらためて総集編を観ると、そう感じて当たり前だった事にも気づきました。
総集編は、『つばさ』の表層だけで構成されてるんですよね! 『つばさ』全長版は、二重構造のドラマなんです。サニーサイドが表層で、深層にダークサイドがある。
で、総集編はその深層部分が丸ごと削除されて、サニーサイドだけが残るように編集されてる。だから、つばさも翔太も万里も、本来は多面的なキャラなのに、一面的にしか見えてないワケです。
この編集って、無理やり尺を縮める為の苦肉の策かと思いきや、実は最初からこうするつもりで全長版が構成されてたんじゃないでしょうか? 総集編を創らないといけないのは事前から分かってる事ですから。
それを如実に表してるのが、次のエピソードです。
☆お話の木
総集編で最も大胆な削除が、サントラさんはじめ多くのファンから涙を搾り取った、第9週のエピソードです。
必要無いと思いますが一応説明しますと、妻を亡くしてから2年も娘・優花を妻の実家に預けたままだった真瀬が、つばさらに背中を押され、優花を迎えに行く場面…
恐る恐る声をかけた真瀬を見て、まだ幼い優花は「お父さん…」と呟く。物心もつかない内に2年も放っておいたのに、優花は父の顔をちゃんと憶えていた!
感動的なBGMが流れて、総集編だとここで真瀬父娘のエピソードはめでたく解決しちゃう。ところがどっこい、この場面は本来…
「お父さんなんか、いらなーい」
優花の、吐き捨てるようなこの台詞で、物語は一気にサニーサイドからダークサイドへと急転直下するんですよね! これは本当に、物凄い作劇だと思います。
その直前でカットする事によって、真瀬の置かれる立場が、本来は地獄なのに総集編だと天国に転換されちゃってる。全長版を先に観てた人は仰天された事でしょう。
逆に私みたいに総集編を先に観ちゃってる場合も、全長版で優花の裏の顔を見て仰天しちゃうワケですw ただしマイルドな総集編だと、あんまりこの場面が印象に残らないから、私の場合はすっかり忘れちゃってましたがw。
かように、ダークサイドが丸ごと削除された総集編は、全体的にマイルドで深みの無い、朝ドラらしい朝ドラになってます。これはこれで充分に楽しめちゃうのが、また凄いんですがw
創り手は本来、ダークサイドのドラマこそを描きたかった筈ですから、この総集編は全く別ものの作品と言って良いですよね。でも、『つばさ』を気楽に楽しみたい気分の時には最適かと思います。
☆大衆演劇
つばさ、加乃子、千代が舞台に立つこのシークエンスですが、全長版レビューの時はピンと来なかったんですよね。特に加乃子の独白が言い訳じみて聞こえてしまい、他の『つばさ』ファンの皆さんと少し温度差が出来ちゃった。
つばさの独白も、あの言葉がなんでチクビッティーを励ます事になるのかが、よく解りませんでした。
でも、全長版の完走を踏まえた上で、千代さんの独白を今回あらためて聞いたら、謎が氷解しましたよ! このエピソードが本当は、と言うか深層の部分では、何を意味していたのか?
「選ばなかったもう一つの人生を、悔やんだりしないで」
↑という主旨の、千代さんの独白。私はてっきり、これは加乃子の独白に対するアンサーだと思ってました。いや、確かにそれを受けての言葉ではあるのですが…
加乃子の独白は、家出した事の罪を背負いながらも「後悔はしない」って言ってるんですよね。千代さんがその想いを受け止めたとしても、後悔しないって主張してる人に対して「悔やんだりしないで」ってまた被せるのは、ちょっとおかしい。
これはつまり、加乃子じゃなくて千代さん自身への言葉、あるいは初恋の君=葛城さんへのメッセージであり、今後のドラマ展開を予告してるんですよね。つばさの独白も、加乃子の独白もしかりです。
じゃあ、なんでこんな形で自分の想いを吐露し、わざわざ今後の展開を予告する必要があったのか?
これこそが、セラピーなんだと私は思います。この大衆演劇エピソードに込められた意味とは、セラピーの第1段階だったんです!
カウンセリングは1度や2度で結果が出るもんではありません。最初はまず、クライアントが抱える問題、トラウマの原点を探り出し、それを自覚させ、自分自身がどう変わって行きたいかを確認する作業になる。
つばさも加乃子も千代さんも、誰かを変えたくてあの独白をしたんじゃない。自分を変える為に、自分自身に対して決意表明をしたんだと思います。
それを見て乳首を震わせて感動してた翔太は、なかなか滑稽ですw あの場で本当の意味を理解してたのは、秀樹だけじゃないでしょうか?
☆せんじゅ君
総集編では、このお掃除器具が唐突に登場し、その由来はおろか、誰が何の目的で作った物なのかも説明されないので、初見の時はすごくシュールなギャグだなぁと思って観てましたw
☆ショウティー&つば吉
これも、全長版ではつばさだったか加乃子だったかの妄想として表現された場面なのに、総集編だと斎藤興業で二人が再会した時に唐突に挿入されるんで(しかも分割画面でw)、すごいシュールな演出に感じちゃう。
あんなの、わざわざ入れる必要無いのに、監督さんよっぽどお気に入りなんですね。予告編でも使ってましたもんねw
☆天使と悪魔
さて、私が初見の時に最大の謎だったのが、秀樹の存在です。あらためて観直しても、総集編では出番が極端に少なく、何の為に登場する人物なのか、やっぱりよく解りません。
でも、前述の「二重構造」を踏まえれば、それは当たり前である事が理解出来ます。
『つばさ』世界のサニーサイドを動かす存在が玉木つばさ=ラジオの男=天使なら、ダークサイドを動かすのは秀樹=悪魔、なんですよね! だから、ダークサイドが隠蔽された総集編だと、秀樹の存在は全く無意味になっちゃう。
悪魔と呼ぶには秀樹は善人じゃないかと言われそうだけど、借金の取り立てはするわ、ラジオの仕事を強要するわ、半裸の女性達を引き連れて馬鹿騒ぎするわw、表面的に見れば悪党ですよね。
かつて加乃子との仲を引き裂かれ、どん底に堕ちた秀樹は、いったん悪魔に身を売っちゃった。けど、ビバ・マリアとの出会いにより、人間の心を取り戻した。
ところが魔王との契約を破るワケには行かないから、悪魔のフリを続けなきゃならない。彼は常に、悪魔を演じながら、魔王にバレないようこっそり人助けをしてる。
だからですよ、秀樹の芝居がクサいのは!w あの西城秀樹さんのオーバーな芝居は、魔王の監視に怯えながら必死に悪魔を演じてる、実はすこぶるリアルな演技なんです。
いやいや、これ、マジで書いてますw 天使が登場する世界なら、悪魔も存在しないと逆に不自然ですから。
でも、秀樹が悪魔としてちっとも結果を出さないのに轟を煮やした魔王が、新たに送り込んだ刺客が、城之内房子=魔女ですよ。秀樹がブラジルへと去って行った途端に、房子様が本格的に動き出しましたからね!
さしずめ秀樹がデビルマンで、房子様がセレーヌ(でしたっけ?)みたいなもんで。そりゃカッコイイわけですよ!w
☆「今の私が好き」
最終回でつばさが言ったこの台詞も、本作がセラピーである事を裏付けてると思います。カウンセリングの最終目的は、自分自身を許し、愛せるようになる事ですから。
千代さんの「私が本当に許せないのは、この私なんです」とか、全長版を観直せば、他にも証拠があちこちで確認出来るかと思います。
☆プロポーズ
総集編では最終回の1年半後が新撮され、チクビッティーがついに、つばさにプロポーズしちゃいました。あんの野郎ぉーっ!!w
「初恋が、実ったのですね」
祭りの夜、家族で花火をしながら、千代さんがしみじみとそう言って、つばさが涙ぐむ。
総集編を観ただけだと、ここで玉木家一同が見せる感慨深い表情の意味が、正確には伝わらないですよね。ダークサイドにおける苦闘の日々を、全長版で見届けた今だからこそ、私も一緒に泣けて来ちゃいます。
デビルマンの支援を受けた天使=つばさの奮闘により、代々受け継がれて来た玉木家の呪縛が、ついに、完全に断ち切られた瞬間です。
ここでまた、私はルーク・スカイウォーカーを思い出しました。『つばさ』はやっぱり、『スター・ウォーズ』によく似てますね。
表層のサニーサイドだけで構築された総集編はさしずめ、活劇要素だけを押し出した最初の『スター・ウォーズ』(エピソード4)みたいな存在…なのかも知れません。