各方面で物議を醸したであろう朝ドラ『純と愛』が、とうとう(やっと?)終わりました。
結局、遊川和彦って人は、ああして視聴者を「えぇーっ!?」って言わせて、物議を醸す事だけが目的で脚本を書いてる…としか思えないですね。
だからもう、こっちもいちいち驚かないですよ。ドラマ内で何が起ころうが、もはや「ほら来た、遊ちゃん」「やれやれ、遊ちゃん」っていう感情しか沸きません。
「愛くん、どうなっちゃうの!?」とも「純ちゃん可哀想!」とも思わない。だって純も愛も、普通じゃないドラマを提供して世間を騒がせたいっていう、遊ちゃんのエゴで動かされてるだけの「コマ」にしか見えないですからね。
ヒロインの父は悲劇的に亡くなり、母は認知症が進んでついに娘が誰なのかも忘れてしまい、「まほうのくに」も実現はまだまだ遠いし、最愛の夫は植物状態のまま、突き放すように物語は幕を閉じちゃいました。
ラストシーン、王子様のキスでお姫様が永い眠りから覚める童話『ねむりひめ』の絵本をわざわざクローズアップで捉えた後で、純が植物状態の愛にキス。すると愛の手がピクピクと動いて…
本来なら、そこで我々はハッとして、ドキドキハラハラして、結局は愛が目覚めないままジ・エンドにされて「えぇーっ!?」ってならなきゃいけないんだけど、ちっとも心が動かなかったですからね。「ほら来た、遊ちゃん」「やれやれ、遊ちゃん」で終わりですよ。
純が可哀想なんじゃなくて、演じてる夏菜ちゃんがとにかく可哀想です。心身共に辛い芝居をやらされ続けて、何一つ報われないままジ・エンドじゃ、解放されずにその辛さをずっと引きずっちゃうじゃないかなぁ…
こんな前代未聞の朝ドラを、よくぞやってくれた! よくぞ最後までブレずに貫いてくれた!って、言いたいところだけど、そう言われたいが為に登場人物をいたぶってる(ようにしか見えない)作者の思う壺にはならないですよ。視聴者を軽く見過ぎてますねホントに。
人が生きて行く中では、辛い事がいっぱい起こるし、世の中は理不尽な事だらけ。それでも、諦めずに頑張るヒロインの姿を見て勇気を持って頂きたい、みたいなメッセージを、遊ちゃんは込めてるつもりらしいです。
それならヒロインは、やっぱ最後に報われなきゃ駄目でしょう? あんな終わり方されて、勇気が持てますか? まぁ「あのヒロインに比べれば自分は恵まれてるよなぁ」とは思えるかも知れないけど、それで「よし、頑張ろう!」って、勇気を貰える人はいないんじゃないかなぁ?
結局、視聴者の予想や期待を裏切りたい、それで世の中を騒がせたいっていう遊ちゃんのエゴに、キャラクター達が踊らされてるようにしか見えないですよ。
だから純も愛も、ただひたすら哀れですね。キャラクターは作者の子供みたいなもんですから。生みの親に愛されない子供の悲劇を、我々は半年間も見せつけられたワケです。
劇中に出てきたエゴまる出しの親たちは、まさに遊ちゃん自身の姿ですよ。すっごいイヤなもんを見ちゃった感じがするけど、これはけっこう世の中の「今」を如実に反映したドラマなのかも知れません。
それはそれで意義ある問題提起なのかも知れないけど、少なくとも私は、ドラマにそんな事は求めてません。心にはひたすらバッドな後味が残っただけですね。
最初は確かに、今まで見たこと無い非凡な朝ドラが観られる事に期待してたけど、それはあくまで結果的にそうなって欲しかったんであって、それだけが目的のドラマを観たかったワケじゃありません。
この結果は既に、折り返し地点あたりで見えてましたね。遊ちゃんが思ってるほど、我々はバカじゃないですよ。『家政婦のミタ』の威光も、これで帳消しです。
次の『あまちゃん』が始まれば、みんな『純と愛』の事はすっかり忘れちゃうんじゃないかなぁ? あまりにも報われないキャラクター達が、不憫でなりません。