この年末年始で一番印象に残ったのは、ウチの母です。私には5つ離れた兄(独身)が千葉県におりまして、年に一回、大晦日だけ帰ってきて、元旦にはまた千葉へ戻りますw
つまり、兄の顔を見るのも、家族が全員揃う夕食も年に一回だけ。その365日ぶりの夕食を、母は「おせち作るのに疲れたから」と言ってボイコット、自室に籠もって翌朝まで顔を見せませんでした。歳も歳だし、おせち作りが大変なのは解りますけど、365分の、たった1度きりの夕食ですよ?w
家族がおせち作りを手伝ってあげないからだ、と言われるかも知れませんが、何度「手伝うよ」と言っても断られるんだから仕方がない、あるんだから仕方がない。
年に一回、しかも一晩しか顔を見せない息子も息子ですが、帰って来てもそんな対応をされて傷つくのが目に見えてますから、帰る気にも長居する気にもなれない気持ちは理解出来ます。
兄の事だけじゃなくて、母は私が今、どんな仕事をしてるか知らないと思います。何も聞いて来ないので、私も話しません。私が映像業界でどんな経験をしたか、についても全く聞いて来ないし、もちろん私の創った作品にも一切興味を示しません。
父も似たようなもんですが、母に関しては特に、息子二人を置いて家出した事が何度かあったり(加乃子さんみたいに長期じゃないけどw)「あんたなんか○んでしまえばいい」とまで幼少期に言われたこと(その原因は、貰った小遣いで友達数人にジュースを奢ったから。数百円の事です)は、トラウマとして私の中に根深く残ってます。
母に何かを褒めてもらった記憶は一切ありません。常によその子と比較され、ウチの子は駄目だ、情けない情けないと嘆かれ続けて、私と兄は育ちました。
そんな母もまた、産みのお母さんを早くに亡くして、継母にかなり冷たくされながら育ったらしく、愛情というものをよく知らない人なんです。母は恐らく、基本的に自分自身を愛せないんだろうと思います。
だから、母に愛情が無いとは思わないし、この歳になってそれを求める気もありません。ただ、私には家庭を持ちたい、子孫を残したいという望みが全く持てなくて、それは仕方がないんだって事だけ、解って貰いたい思いはあります。
新年早々、実にダークな話になっちゃってますがw、親の悪口や恨み言を書いてるワケじゃなくて、私の中にある「心の闇」のルーツが、多分そこにあるんじゃないかって事を言いたかったんです。具体的な誰かのせいじゃなくて、受け継いでしまった「血」の呪縛。
私が集団行動、特に呑み会などが凄く苦手なのは、そういう場にいると強烈に「疎外感」を覚えて胸が苦しくなるから。学校にいても職場にいても、友人の家庭にお邪魔しても、私はいつも「疎外感」から逃れられない。どこにいても、自分が「邪魔者」だと感じてしまうんです。
人とコミュニケーションするのが面倒臭いだけなんだろ?と言われれば、確かにそうかも知れません。私なんかよりもっと深刻な心の闇を抱えてても、努力して自ら殻を破り、暖かい絆を獲得した人は沢山いるのでしょう、きっと。
だから、自分を正当化するつもりは無いし、同情してもらおうとも思いません。ただ言いたかったのは、竹雄さんがずっと密かに抱えて来た「疎外感」が、私には痛いほどよく解りますよ、とw
竹雄さんにそんな設定が与えられたって事は、創り手の中にもそんな心の闇を抱えた人がいるって事ですよね? そういう人が創作の世界にのめり込んでいく心情も、私にはとてもよく理解出来ます。
たぶん『つばさ』を愛する皆さんなら、いま私が書いてる事を「ええ歳して、なに甘ったれとんじゃ。自分の駄目さを血とか環境のせいにすな」とは決して仰らない、と勝手に信じてます。だから、こうして書いてますw
解る人にはあれこれ言わなくても伝わるし、解らない人にはどれだけ言葉を尽くしても解ってもらえない。『つばさ』というドラマも、まさにそんな作品だと思います。前置きが長くてスミマセンw レビューを再開します。
☆竹雄の疎外感
来るな、顔を見るなと言われても、つばさはこのまま帰るワケにはいきません。父・竹雄が密かに抱える、心の闇とは一体、何なのか? それを聞くまでは帰れないと言うつばさに、竹雄は自分の生い立ちを語り始めます。
長野県の、川越に似た町で生まれた竹雄。2歳の時に父親が家出、さらに6歳で母親を亡くした彼は、伯母の家に引き取られるも邪魔者扱いされ、その後も親戚の家を転々とした挙げ句、18歳になって一人で上京。
良くしてくれた人もいたのに、少しでも自分が邪魔者だと感じるといたたまれなくなる。幸せを感じても、それがずっと続くワケが無いと思ってしまう。だから先に自分でひっくり返したくなる衝動に駆られ、実行してしまう。その繰り返し。
「俺には、居場所が無かった…」
そんな時に谷村と出会い、極道の世界に足を突っ込んだ竹雄。仲間も出来て、今度こそ居場所が見つかったと思った矢先に、鉄砲玉(ヒットマン)の使命を言い渡される。
「受け入れてくれたんじゃない。(親分は)ただ捨て駒が欲しかっただけなんだ」
そして鉄次を置いて逃げ出した竹雄は、流れ流れて川越に辿り着き、加乃子と出会った。結婚して子供も生まれ、ようやく幸せを掴んだ…筈だったのに…
「いつだって、怖くて怖くてたまらなかった。幸せが大きくなればなるほど、それを失う怖さも大きくなって来る。昔と同じだ」
どうせ、いつか壊れるなら、自分の手で… 麻子さんと心が通じ合ったのは、極道うんぬんよりも、そんな爆弾を抱えた者どうし共感するものがあったからでしょう。ボイ〜ンはげちゃび〜ん!
「演じてたんだよ。人がいいだけの、情けない父親を…」
封じ込めた「闇のように真っ暗な、本当の俺」を知られないように、竹雄はずっと仮面を被って来たのです。
「これ以上、俺に関わるんじゃない」
竹雄の知られざるダークサイドを見てしまったつばさは、言葉を失い、どうする事も出来ないまま家に戻ります。
これまで見た事が無い父の側面を目の当たりにしたショックで、さすがのつばさも今は思考が働かない様子。いつも冗舌なラジオの男も、今回ばかりはつばさに掛ける言葉が見つかりません。
そんなつばさに今回ヒントを与えたのは、父親への憎しみと、自分の中に流れる父と同じ血に怯え、それを必死に隠しながら生きてきた、タニオ・チクビッティーこと大谷翔太でした。祝・カワデミー賞!
「いつかボロが出るんじゃないかって、ずっと不安だった。どんなに頑張って積み上げたものでも、崩れるのは一瞬なんだ」
その恐怖を、頭皮の動きで見事に表現して見せる翔太。被ってたのは仮面じゃなくて、ヅラに違いありません。縦横無尽にグラインドする頭皮を見たつばさの脳裏に、去って行った母の背中が再び蘇ります。
「私にだって、あるかも知れない…」
☆つばさのダークサイド
つばさは甘玉堂で何度となく、竹雄の幻覚を見ます。まるで自分の気持ち、そして家族の気持ちが穏やかに、丸くなる事を願うかのように、毎日こつこつと甘玉を丸めてた竹雄。
「私達が家族でいられる事の有難さを、お父さん、ここで静かに噛み締めてたんだね…」
そんなつばさの言葉を聞いた加乃子も、竹雄の存在が家族の絆を繋いでた事をあらためて思い知ります。
つばさは加乃子、千代、知秋の前で、竹雄のダークサイドについて語ります。
「でもそれって、特別な事じゃない。私、お母さんのこと、憎んでた」
母が自分達を見捨てるなら、自分がおかんになって見返してやる。あの時に芽生えた心の闇は、父が抱えて来たものと同じである事に、つばさは気づいたのでした。
同じように加乃子、千代、知秋、それぞれみんなに、心の闇はある。竹雄だけが特別なんじゃない。だから、どんな竹雄であっても受けとめよう… つばさの出した結論に、三人はしっかりと頷きます。
このくだりを観て、『つばさ』はセラピーに似てると、あらためて思いました。心の闇を全て吐き出し、それを洗い流すのではなく、受け入れていく作業がセラピーなんです。
☆川越祭り、再び
「私、決めたの。今度こそ竹ちゃんを、全身で愛して受けとめるって」
そんな決意を、わざわざ秀樹に伝えに行く加乃子。秀樹は動揺を隠せません。
「この1年、いい祭りを見せてもらったよ」
そんな秀樹の台詞を聞いて『つばさ』フリークスの皆さんは、番組が終焉に近づいて来たことを実感し、切ない気持ちになられたのではないでしょうか? 私もふと、淋しくなりました。
なのに秀樹はこの後、初めて麻子さんの店を訪れ、ワカパイをチラ見しながら、何やら思わせぶりな態度(笑)。立ち直りが早いのか遅過ぎたのか、単に節操が無いだけなのか?w
さて、つばさは東京にいる竹雄にメッセージを伝える為、ベッカム一郎のラジオ番組に投稿します。
「あなたが今、落ち込んでいるなら、失敗した時の分岐点ではなく、幸せをつかんだ分岐点に立ち戻るべきでは? そこに立ち戻れば、何かが見えて来るかも知れませんよ?」
一年ぶりの川越祭り当日、竹雄はあの川沿いの一本道に現れます。竹雄が26年前、加乃子と出会って幸せを掴んだ分岐点です。
そこで待ってたつばさは、ラジオぽてとDJとして、知秋と千代からのメッセージを読み上げます。知秋の投稿は、未来の自分に宛てたメッセージでした。何十年も孤独に耐えて頑張って来た竹雄のつらさを、同じ男として理解した知秋。
「強いよ、父さんは。呆れるぐらい。僕は、父さんみたいな強い男になれてるかな?」
千代のメッセージは、自分自身の心の闇と、その懺悔を吐露するものでした。でも、分岐点で選んだ道を後悔する必要はない。大切なのは、今の人生を生きることなんだ、と。
千代がその心境に至るまでの過程が、ちゃんと描かれて来たからこそ、竹雄の心にしっかり響いてる事が、我々視聴者にも伝わって来ます。
今こそが玉木家全員の、しあわせの分岐点… 加乃子のメッセージは家で、本人から直接聞いて欲しいと、つばさは父に懇願します。
1カ月ぶりに加乃子と再会した竹雄は、あの一本道で二人の出会いを思い出したと言います。甘玉を食べて、自然と笑顔がこぼれた、あの日の自分。心底から笑えたのは、赤ん坊の時以来かも知れない…
そう言う竹雄を、加乃子は優しく、いとおしそうに受け入れます。
「もう一度、生まれ変わればいいじゃない。赤ん坊の時みたいに、もう一度笑おう! そしたら人生、元とれるって。お願い、笑って!」
必死に訴える加乃子は、見よう見真似で作った甘玉を、竹雄に差し出します。それを食べた竹雄が、あの日と同じように笑うのかと思いきや…
「しょ、しょっぱい!」(笑)
「だから、私は、竹ちゃんがいないと駄目なの!」
泣きながら、強く抱き合う二人。家族全員が竹雄の全てを受けとめて、どうやら幸せの分岐点が再び訪れたみたいです。
「つばさのお陰だよ」と礼を言う父に、つばさは寄り添い、甘えた声でお願いをします。
「お父さんの甘玉、食べたい」
それが上の画像です。どうですか、この、竹雄さんの嬉しそうな顔ときたら! もちろん、私もノックアウトですw
結婚式のケーキ入刀みたいに、二人の共同作業で甘玉を割り、初めて「竹雄さん」「加乃子」と、夫婦らしい呼び方をしてイチャイチャする竹ちゃんと加乃子さん。
そして日常の一部として始まる千代さんと加乃子の口論も、初めてビシッと諫めて見せる、大黒柱・竹雄。
まるで竹雄が作った甘玉みたいに、まんまるな家族がまた、復活しました。
PS. 私は以前、ネット上ではキャラを作ってると書いた事がありますが、思えばそれは逆ですね。家族や同僚には見せない自分の本質を、言葉を選びながらも、かなり正直に此処で吐露してます。
私にとってこのブログは、ラジオぽてとであると同時に、私の中にいる「ラジオの男」が喋ってるようなもん、なのかも知れません。
ネットに書き込みをされてる方には多かれ少なかれ、そういう要素があるんじゃないでしょうか?
つまり、兄の顔を見るのも、家族が全員揃う夕食も年に一回だけ。その365日ぶりの夕食を、母は「おせち作るのに疲れたから」と言ってボイコット、自室に籠もって翌朝まで顔を見せませんでした。歳も歳だし、おせち作りが大変なのは解りますけど、365分の、たった1度きりの夕食ですよ?w
家族がおせち作りを手伝ってあげないからだ、と言われるかも知れませんが、何度「手伝うよ」と言っても断られるんだから仕方がない、あるんだから仕方がない。
年に一回、しかも一晩しか顔を見せない息子も息子ですが、帰って来てもそんな対応をされて傷つくのが目に見えてますから、帰る気にも長居する気にもなれない気持ちは理解出来ます。
兄の事だけじゃなくて、母は私が今、どんな仕事をしてるか知らないと思います。何も聞いて来ないので、私も話しません。私が映像業界でどんな経験をしたか、についても全く聞いて来ないし、もちろん私の創った作品にも一切興味を示しません。
父も似たようなもんですが、母に関しては特に、息子二人を置いて家出した事が何度かあったり(加乃子さんみたいに長期じゃないけどw)「あんたなんか○んでしまえばいい」とまで幼少期に言われたこと(その原因は、貰った小遣いで友達数人にジュースを奢ったから。数百円の事です)は、トラウマとして私の中に根深く残ってます。
母に何かを褒めてもらった記憶は一切ありません。常によその子と比較され、ウチの子は駄目だ、情けない情けないと嘆かれ続けて、私と兄は育ちました。
そんな母もまた、産みのお母さんを早くに亡くして、継母にかなり冷たくされながら育ったらしく、愛情というものをよく知らない人なんです。母は恐らく、基本的に自分自身を愛せないんだろうと思います。
だから、母に愛情が無いとは思わないし、この歳になってそれを求める気もありません。ただ、私には家庭を持ちたい、子孫を残したいという望みが全く持てなくて、それは仕方がないんだって事だけ、解って貰いたい思いはあります。
新年早々、実にダークな話になっちゃってますがw、親の悪口や恨み言を書いてるワケじゃなくて、私の中にある「心の闇」のルーツが、多分そこにあるんじゃないかって事を言いたかったんです。具体的な誰かのせいじゃなくて、受け継いでしまった「血」の呪縛。
私が集団行動、特に呑み会などが凄く苦手なのは、そういう場にいると強烈に「疎外感」を覚えて胸が苦しくなるから。学校にいても職場にいても、友人の家庭にお邪魔しても、私はいつも「疎外感」から逃れられない。どこにいても、自分が「邪魔者」だと感じてしまうんです。
人とコミュニケーションするのが面倒臭いだけなんだろ?と言われれば、確かにそうかも知れません。私なんかよりもっと深刻な心の闇を抱えてても、努力して自ら殻を破り、暖かい絆を獲得した人は沢山いるのでしょう、きっと。
だから、自分を正当化するつもりは無いし、同情してもらおうとも思いません。ただ言いたかったのは、竹雄さんがずっと密かに抱えて来た「疎外感」が、私には痛いほどよく解りますよ、とw
竹雄さんにそんな設定が与えられたって事は、創り手の中にもそんな心の闇を抱えた人がいるって事ですよね? そういう人が創作の世界にのめり込んでいく心情も、私にはとてもよく理解出来ます。
たぶん『つばさ』を愛する皆さんなら、いま私が書いてる事を「ええ歳して、なに甘ったれとんじゃ。自分の駄目さを血とか環境のせいにすな」とは決して仰らない、と勝手に信じてます。だから、こうして書いてますw
解る人にはあれこれ言わなくても伝わるし、解らない人にはどれだけ言葉を尽くしても解ってもらえない。『つばさ』というドラマも、まさにそんな作品だと思います。前置きが長くてスミマセンw レビューを再開します。
☆竹雄の疎外感
来るな、顔を見るなと言われても、つばさはこのまま帰るワケにはいきません。父・竹雄が密かに抱える、心の闇とは一体、何なのか? それを聞くまでは帰れないと言うつばさに、竹雄は自分の生い立ちを語り始めます。
長野県の、川越に似た町で生まれた竹雄。2歳の時に父親が家出、さらに6歳で母親を亡くした彼は、伯母の家に引き取られるも邪魔者扱いされ、その後も親戚の家を転々とした挙げ句、18歳になって一人で上京。
良くしてくれた人もいたのに、少しでも自分が邪魔者だと感じるといたたまれなくなる。幸せを感じても、それがずっと続くワケが無いと思ってしまう。だから先に自分でひっくり返したくなる衝動に駆られ、実行してしまう。その繰り返し。
「俺には、居場所が無かった…」
そんな時に谷村と出会い、極道の世界に足を突っ込んだ竹雄。仲間も出来て、今度こそ居場所が見つかったと思った矢先に、鉄砲玉(ヒットマン)の使命を言い渡される。
「受け入れてくれたんじゃない。(親分は)ただ捨て駒が欲しかっただけなんだ」
そして鉄次を置いて逃げ出した竹雄は、流れ流れて川越に辿り着き、加乃子と出会った。結婚して子供も生まれ、ようやく幸せを掴んだ…筈だったのに…
「いつだって、怖くて怖くてたまらなかった。幸せが大きくなればなるほど、それを失う怖さも大きくなって来る。昔と同じだ」
どうせ、いつか壊れるなら、自分の手で… 麻子さんと心が通じ合ったのは、極道うんぬんよりも、そんな爆弾を抱えた者どうし共感するものがあったからでしょう。ボイ〜ンはげちゃび〜ん!
「演じてたんだよ。人がいいだけの、情けない父親を…」
封じ込めた「闇のように真っ暗な、本当の俺」を知られないように、竹雄はずっと仮面を被って来たのです。
「これ以上、俺に関わるんじゃない」
竹雄の知られざるダークサイドを見てしまったつばさは、言葉を失い、どうする事も出来ないまま家に戻ります。
これまで見た事が無い父の側面を目の当たりにしたショックで、さすがのつばさも今は思考が働かない様子。いつも冗舌なラジオの男も、今回ばかりはつばさに掛ける言葉が見つかりません。
そんなつばさに今回ヒントを与えたのは、父親への憎しみと、自分の中に流れる父と同じ血に怯え、それを必死に隠しながら生きてきた、タニオ・チクビッティーこと大谷翔太でした。祝・カワデミー賞!
「いつかボロが出るんじゃないかって、ずっと不安だった。どんなに頑張って積み上げたものでも、崩れるのは一瞬なんだ」
その恐怖を、頭皮の動きで見事に表現して見せる翔太。被ってたのは仮面じゃなくて、ヅラに違いありません。縦横無尽にグラインドする頭皮を見たつばさの脳裏に、去って行った母の背中が再び蘇ります。
「私にだって、あるかも知れない…」
☆つばさのダークサイド
つばさは甘玉堂で何度となく、竹雄の幻覚を見ます。まるで自分の気持ち、そして家族の気持ちが穏やかに、丸くなる事を願うかのように、毎日こつこつと甘玉を丸めてた竹雄。
「私達が家族でいられる事の有難さを、お父さん、ここで静かに噛み締めてたんだね…」
そんなつばさの言葉を聞いた加乃子も、竹雄の存在が家族の絆を繋いでた事をあらためて思い知ります。
つばさは加乃子、千代、知秋の前で、竹雄のダークサイドについて語ります。
「でもそれって、特別な事じゃない。私、お母さんのこと、憎んでた」
母が自分達を見捨てるなら、自分がおかんになって見返してやる。あの時に芽生えた心の闇は、父が抱えて来たものと同じである事に、つばさは気づいたのでした。
同じように加乃子、千代、知秋、それぞれみんなに、心の闇はある。竹雄だけが特別なんじゃない。だから、どんな竹雄であっても受けとめよう… つばさの出した結論に、三人はしっかりと頷きます。
このくだりを観て、『つばさ』はセラピーに似てると、あらためて思いました。心の闇を全て吐き出し、それを洗い流すのではなく、受け入れていく作業がセラピーなんです。
☆川越祭り、再び
「私、決めたの。今度こそ竹ちゃんを、全身で愛して受けとめるって」
そんな決意を、わざわざ秀樹に伝えに行く加乃子。秀樹は動揺を隠せません。
「この1年、いい祭りを見せてもらったよ」
そんな秀樹の台詞を聞いて『つばさ』フリークスの皆さんは、番組が終焉に近づいて来たことを実感し、切ない気持ちになられたのではないでしょうか? 私もふと、淋しくなりました。
なのに秀樹はこの後、初めて麻子さんの店を訪れ、ワカパイをチラ見しながら、何やら思わせぶりな態度(笑)。立ち直りが早いのか遅過ぎたのか、単に節操が無いだけなのか?w
さて、つばさは東京にいる竹雄にメッセージを伝える為、ベッカム一郎のラジオ番組に投稿します。
「あなたが今、落ち込んでいるなら、失敗した時の分岐点ではなく、幸せをつかんだ分岐点に立ち戻るべきでは? そこに立ち戻れば、何かが見えて来るかも知れませんよ?」
一年ぶりの川越祭り当日、竹雄はあの川沿いの一本道に現れます。竹雄が26年前、加乃子と出会って幸せを掴んだ分岐点です。
そこで待ってたつばさは、ラジオぽてとDJとして、知秋と千代からのメッセージを読み上げます。知秋の投稿は、未来の自分に宛てたメッセージでした。何十年も孤独に耐えて頑張って来た竹雄のつらさを、同じ男として理解した知秋。
「強いよ、父さんは。呆れるぐらい。僕は、父さんみたいな強い男になれてるかな?」
千代のメッセージは、自分自身の心の闇と、その懺悔を吐露するものでした。でも、分岐点で選んだ道を後悔する必要はない。大切なのは、今の人生を生きることなんだ、と。
千代がその心境に至るまでの過程が、ちゃんと描かれて来たからこそ、竹雄の心にしっかり響いてる事が、我々視聴者にも伝わって来ます。
今こそが玉木家全員の、しあわせの分岐点… 加乃子のメッセージは家で、本人から直接聞いて欲しいと、つばさは父に懇願します。
1カ月ぶりに加乃子と再会した竹雄は、あの一本道で二人の出会いを思い出したと言います。甘玉を食べて、自然と笑顔がこぼれた、あの日の自分。心底から笑えたのは、赤ん坊の時以来かも知れない…
そう言う竹雄を、加乃子は優しく、いとおしそうに受け入れます。
「もう一度、生まれ変わればいいじゃない。赤ん坊の時みたいに、もう一度笑おう! そしたら人生、元とれるって。お願い、笑って!」
必死に訴える加乃子は、見よう見真似で作った甘玉を、竹雄に差し出します。それを食べた竹雄が、あの日と同じように笑うのかと思いきや…
「しょ、しょっぱい!」(笑)
「だから、私は、竹ちゃんがいないと駄目なの!」
泣きながら、強く抱き合う二人。家族全員が竹雄の全てを受けとめて、どうやら幸せの分岐点が再び訪れたみたいです。
「つばさのお陰だよ」と礼を言う父に、つばさは寄り添い、甘えた声でお願いをします。
「お父さんの甘玉、食べたい」
それが上の画像です。どうですか、この、竹雄さんの嬉しそうな顔ときたら! もちろん、私もノックアウトですw
結婚式のケーキ入刀みたいに、二人の共同作業で甘玉を割り、初めて「竹雄さん」「加乃子」と、夫婦らしい呼び方をしてイチャイチャする竹ちゃんと加乃子さん。
そして日常の一部として始まる千代さんと加乃子の口論も、初めてビシッと諫めて見せる、大黒柱・竹雄。
まるで竹雄が作った甘玉みたいに、まんまるな家族がまた、復活しました。
PS. 私は以前、ネット上ではキャラを作ってると書いた事がありますが、思えばそれは逆ですね。家族や同僚には見せない自分の本質を、言葉を選びながらも、かなり正直に此処で吐露してます。
私にとってこのブログは、ラジオぽてとであると同時に、私の中にいる「ラジオの男」が喋ってるようなもん、なのかも知れません。
ネットに書き込みをされてる方には多かれ少なかれ、そういう要素があるんじゃないでしょうか?