松尾スズキ作・演出による舞台作品で、阿部サダヲ、古田新太、大竹しのぶ、そして我らが多部未華子という豪華キャストが出演し、今年の夏、ちょうど私が足を怪我して療養してた頃に上演されましたw
東京のみならず大阪でも公演されており、観に行かないワケにはいかんだろうと思ってたのに、まず何しろ豪華キャストですから正規の値段でチケットが取れない。そこへ持ってきてトドメの怪我でしたから、断念せざるを得ませんでした。
その頃、舞台の内容にイマイチ興味が持てないみたいなこと書いたと思いますが、半分は負け惜しみですねw ホテトル嬢を演じる多部ちゃん、大竹さんと共演する多部ちゃんは、やっぱ生で観たかったです。
そんなワケで、wowowで放映された録画中継を、例によって敬愛する先輩タベリストの温情により、観させて頂く運びになりました。本当にいつも有難うございます!
まず感じたのは、松尾氏と多部ちゃんの初タッグ作『農業少女』は元来、野田秀樹さんの戯曲だったけど、根底にあるテーマは似てるんじゃないかと。漠然とだけど、人間とか社会を傍観する視点が同じというか…
単純に言ってしまえば、人間の本性=悪であり、なんて世の中だ!って事ですよね? 共感しますw
インタビューで松尾氏が語られてた、「産まれて来ることの選べなさ」。誰がこんな世の中に産んでくれって頼んだ?って意味でもあり、なんでこんな俺にしか産まれなかった?っていう恨み節とも取れます。
そんな愚痴を聞いて「甘ったれんな!」とか「格好悪いぞ!」って言うのは簡単だけど、現実に眼を向ければ、やっぱ人間は産まれながらに不平等ですよ。
例えば私なら、身体の小ささですよね。多部ちゃんの正式な身長は知りませんが、多分ちょうど同じ位です。両親とも私より小さいですから、完全に遺伝です。
このどうにもならないコンプレックスは、人並み以上の身長の方には絶対に理解出来ないものでしょう。だから私は、イケメンが憎いw 男子バレーボールの選手が憎いw
さすがにこの歳になると身長なんかどーでもよくなったけど、それでも常に人を見上げ、人から見下ろされる日々は、今でも私の心を歪ませ続けてると思います。
松尾氏のコンプレックスが実際どういうものかは知らないけど、それを奇形児として生まれたふくすけ(阿部サダヲ)に投影してるのは間違いなさそうです。
私が自分の映画で背の低さをネタにして笑いを取るようになったのと同じように(?)、ふくすけも奇形である事を利用してカリスマ化して行きます。
そして、常軌を逸した淫乱行為の果てに自分を産み捨てた母親(大竹しのぶ)と、お互いそうとは知らずにセックスしちゃう地獄絵図。えげつない舞台ですw
ナマ乳首も飛び出すし、サダヲ氏は女性キャストのオッパイを片っ端から揉みまくりますw テレビでは音声カットされた、私ですら書くのは躊躇する隠語も飛び交います。ある場面ではカットだらけで台詞が判りませんw
そんな人間の暗部、恥部をさらしまくった世界の中で、風俗嬢のフタバ(多部ちゃん)だけがピュアなんですよね。正確に言えば、ピュアである事に憧れてる女の子。それはつまり、すっかり汚れてしまった自分自身に対する絶望の裏返し。
自らピュアである事を捨ててしまう『農業少女』の百子とは真逆とも言えるし、その未来の姿とも解釈出来ます。松尾氏はやっぱり、ピュアの権化として多部ちゃんを見てるんでしょうね。真性のロリコンなんです。変態です。我々と一緒ですw
松尾氏のフィルターを通した純潔のシンボル、究極のロリータとして、私の眼には百子とフタバが同一人物に見えました。相手役(中年男)との関わり方も似てましたね。
松尾氏は明らかに、古田さんの肉体を通して多部ちゃんとキスしたかったんだろうと思います。屈折してるなぁw ド変態ですよ。共感しますw
そのキスシーンですが、『大奥』における再三のベロチューを見せつけられた後ですから、どうって事なかったです。ただし、これ、舞台で直に観たタベリストは、心中穏やかじゃなかったのでは? 大好きな女性がリアルタイムで、お芝居とは言え目の前でオッサンとチューするワケですからねw
作品としては正直なところ、感動した!と言えるものではなかったです。『農業少女』の時は主人公の中年男に感情移入して観られたけど、『ふくすけ』には自己投影出来るキャラクターが見当たりませんでした。
めまぐるしいテンポも尺の長さも、私の生理には合わないです。ただし、一度観ただけじゃ内容の10%も理解出来てない気がしますから、二度、三度と観ればまた、評価も変わって来るかも知れません。その時はまた、あらためてレビューし直したいと思ってます。
多部ちゃんは想像してたより肌の露出が少なくて安心しました。サダヲ氏も多部ちゃんの胸にだけは手を伸ばしませんでしたが、触っても手応えが無いからでは断じてありません。ネバー、ネバー、ネバー、チョメチョメ。
代わりに多部ちゃんが女の子のオッパイを触ってましたね。「おっぱい元気〜?」ってw しかし多部ちゃんが女子の乳を触っても、全然いやらしくないんですよね!(当たり前かw)
大竹しのぶさんは映画『黒い家』を思い出させる怪演でした。「乳しゃぶれぇー!」って台詞が忘れられないんだけどw、あれをも超える下品さと不気味さでしたね。
古田さんは普段のイメージとは違う冴えない中年男を地味に演じておられ、やっぱ松尾氏のコンプレックスが反映されたキャラクターなんでしょうね。
サダヲ氏はあんまり好きな俳優さんじゃなかったけど、『平清盛』等における抑えた芝居を見て捉え方が変わって来ました。この『ふくすけ』では役者としてのポテンシャルの高さを見せつけられた気がします。
まぁしかし、やっぱ白眉は多部ちゃんの存在でしょう。多部ちゃんの放つ清涼感が浄化してくれなければ、吐き気がするような世界観ですからね!
まさに文字通りの掃き溜めに鶴で、エンジェルそのもの。多部ちゃんをそういうポジションに置かずにいられない松尾スズキ氏は、間違いなく我々の仲間、タベリストですよw
東京のみならず大阪でも公演されており、観に行かないワケにはいかんだろうと思ってたのに、まず何しろ豪華キャストですから正規の値段でチケットが取れない。そこへ持ってきてトドメの怪我でしたから、断念せざるを得ませんでした。
その頃、舞台の内容にイマイチ興味が持てないみたいなこと書いたと思いますが、半分は負け惜しみですねw ホテトル嬢を演じる多部ちゃん、大竹さんと共演する多部ちゃんは、やっぱ生で観たかったです。
そんなワケで、wowowで放映された録画中継を、例によって敬愛する先輩タベリストの温情により、観させて頂く運びになりました。本当にいつも有難うございます!
まず感じたのは、松尾氏と多部ちゃんの初タッグ作『農業少女』は元来、野田秀樹さんの戯曲だったけど、根底にあるテーマは似てるんじゃないかと。漠然とだけど、人間とか社会を傍観する視点が同じというか…
単純に言ってしまえば、人間の本性=悪であり、なんて世の中だ!って事ですよね? 共感しますw
インタビューで松尾氏が語られてた、「産まれて来ることの選べなさ」。誰がこんな世の中に産んでくれって頼んだ?って意味でもあり、なんでこんな俺にしか産まれなかった?っていう恨み節とも取れます。
そんな愚痴を聞いて「甘ったれんな!」とか「格好悪いぞ!」って言うのは簡単だけど、現実に眼を向ければ、やっぱ人間は産まれながらに不平等ですよ。
例えば私なら、身体の小ささですよね。多部ちゃんの正式な身長は知りませんが、多分ちょうど同じ位です。両親とも私より小さいですから、完全に遺伝です。
このどうにもならないコンプレックスは、人並み以上の身長の方には絶対に理解出来ないものでしょう。だから私は、イケメンが憎いw 男子バレーボールの選手が憎いw
さすがにこの歳になると身長なんかどーでもよくなったけど、それでも常に人を見上げ、人から見下ろされる日々は、今でも私の心を歪ませ続けてると思います。
松尾氏のコンプレックスが実際どういうものかは知らないけど、それを奇形児として生まれたふくすけ(阿部サダヲ)に投影してるのは間違いなさそうです。
私が自分の映画で背の低さをネタにして笑いを取るようになったのと同じように(?)、ふくすけも奇形である事を利用してカリスマ化して行きます。
そして、常軌を逸した淫乱行為の果てに自分を産み捨てた母親(大竹しのぶ)と、お互いそうとは知らずにセックスしちゃう地獄絵図。えげつない舞台ですw
ナマ乳首も飛び出すし、サダヲ氏は女性キャストのオッパイを片っ端から揉みまくりますw テレビでは音声カットされた、私ですら書くのは躊躇する隠語も飛び交います。ある場面ではカットだらけで台詞が判りませんw
そんな人間の暗部、恥部をさらしまくった世界の中で、風俗嬢のフタバ(多部ちゃん)だけがピュアなんですよね。正確に言えば、ピュアである事に憧れてる女の子。それはつまり、すっかり汚れてしまった自分自身に対する絶望の裏返し。
自らピュアである事を捨ててしまう『農業少女』の百子とは真逆とも言えるし、その未来の姿とも解釈出来ます。松尾氏はやっぱり、ピュアの権化として多部ちゃんを見てるんでしょうね。真性のロリコンなんです。変態です。我々と一緒ですw
松尾氏のフィルターを通した純潔のシンボル、究極のロリータとして、私の眼には百子とフタバが同一人物に見えました。相手役(中年男)との関わり方も似てましたね。
松尾氏は明らかに、古田さんの肉体を通して多部ちゃんとキスしたかったんだろうと思います。屈折してるなぁw ド変態ですよ。共感しますw
そのキスシーンですが、『大奥』における再三のベロチューを見せつけられた後ですから、どうって事なかったです。ただし、これ、舞台で直に観たタベリストは、心中穏やかじゃなかったのでは? 大好きな女性がリアルタイムで、お芝居とは言え目の前でオッサンとチューするワケですからねw
作品としては正直なところ、感動した!と言えるものではなかったです。『農業少女』の時は主人公の中年男に感情移入して観られたけど、『ふくすけ』には自己投影出来るキャラクターが見当たりませんでした。
めまぐるしいテンポも尺の長さも、私の生理には合わないです。ただし、一度観ただけじゃ内容の10%も理解出来てない気がしますから、二度、三度と観ればまた、評価も変わって来るかも知れません。その時はまた、あらためてレビューし直したいと思ってます。
多部ちゃんは想像してたより肌の露出が少なくて安心しました。サダヲ氏も多部ちゃんの胸にだけは手を伸ばしませんでしたが、触っても手応えが無いからでは断じてありません。ネバー、ネバー、ネバー、チョメチョメ。
代わりに多部ちゃんが女の子のオッパイを触ってましたね。「おっぱい元気〜?」ってw しかし多部ちゃんが女子の乳を触っても、全然いやらしくないんですよね!(当たり前かw)
大竹しのぶさんは映画『黒い家』を思い出させる怪演でした。「乳しゃぶれぇー!」って台詞が忘れられないんだけどw、あれをも超える下品さと不気味さでしたね。
古田さんは普段のイメージとは違う冴えない中年男を地味に演じておられ、やっぱ松尾氏のコンプレックスが反映されたキャラクターなんでしょうね。
サダヲ氏はあんまり好きな俳優さんじゃなかったけど、『平清盛』等における抑えた芝居を見て捉え方が変わって来ました。この『ふくすけ』では役者としてのポテンシャルの高さを見せつけられた気がします。
まぁしかし、やっぱ白眉は多部ちゃんの存在でしょう。多部ちゃんの放つ清涼感が浄化してくれなければ、吐き気がするような世界観ですからね!
まさに文字通りの掃き溜めに鶴で、エンジェルそのもの。多部ちゃんをそういうポジションに置かずにいられない松尾スズキ氏は、間違いなく我々の仲間、タベリストですよw