このブログの人気記事ベスト10に、相変わらず「雅人のキッスは草食系?」「アンチ『あまちゃん』宣言!」「『あまちゃん』の不思議」そして「ゴリラ/警視庁捜査第8班」の記事が入り続けてます。
2ちゃんねるあたりの掲示板にアドレスが貼られてるんだろうとは思いますが、今が旬の堺雅人さんや『あまちゃん』はともかく、20年以上前のドラマである『ゴリラ』がこんな頻繁に検索されてるのが、なんとも不思議です。
DVD発売とCS放映がきっかけなのは間違いないとしても、まぁそれだけ興味を引く作品って事なんでしょうか。
その記事を書いてからしばらく、色々あって『ゴリラ』鑑賞をサボってたのですが、CS放映開始を機にDVDレンタルも再開し、倉本聰さん監修による後半戦を今、観始めてます。
そのレビューは最終回まで見届けてからにしようと思ってますが、その前に書いておきたい事があるんです。
前回のレビューで私は「なぜ『ゴリラ』がつまらないか?」を検証し、その原因を箇条書きしたのですが、1つ重大な要素が抜け落ちてる事に今さら気づいたんです。
記事のタイトルで既にバレバレかと思いますが、そうなんです。『ゴリラ』に何が一番足りなかったかと言えば、それはズバリ、石原裕次郎さんの存在なんじゃないでしょうか?
今にして思えば、石原プロ最大のヒット番組である『西部警察』にあって、それ以外の石原プロ番組に無いものと言えば、裕次郎さんの存在なんですよね。
あんなちょっとの出番だし、主役は渡哲也さんだから関係無いんじゃないの?って思われるかも知れません。正直なところ、当時は私もそう思ってました。
でも、違いますね。『西部警察』があれだけヒットしたのは、渡さんのすぐ側に裕次郎さんが存在したからなんです。もちろん、それは東宝作品の『太陽にほえろ!』にも言える事です。
私が今頃になってその事に気づいたのは、『ゴリラ』における神田正輝さんの存在について、あらためて考察してみた結果なんですよね。
と言うのも、これはあくまで私個人の感想ですが、『太陽にほえろ!』のドック刑事を演じる神田さんはあんなに魅力的だったのに、『ゴリラ』の神田さんはちっとも良くないんですよねw
お洒落な帽子とグラサンに高級スーツ、長い後ろ髪、似合わない無精ひげ、気障な台詞回し、常にくわえ煙草のヘビースモーカーぶり…
要するにワイルドな伊達男を演出する役作りが、育ちの良い神田さんにはことごとく似合ってないんだけど、原因はそれだけじゃない筈です。
思い返せば、私が神田さんを魅力的に感じたドラマって、実は『太陽にほえろ!』だけなんですよね。『ゆうひが丘の総理大臣』の時も『俺たちは天使だ!』の時も、神田さんには「ごく平凡なイケメン俳優」って印象しか受けませんでした。
『太陽』の神田さんと、他のドラマの神田さんとの違いって、いったい何なんだろう?って考えたら、行き着く答えはこれしか無いんです。そう、そこにボス=石原裕次郎さんがいるかいないかの違いなんですよ!
これはもしかしたら、渡哲也さんにも言える事かも知れません。渡さんも神田さんも、すぐ側に裕次郎さんという太陽がいないと輝けない、月なんじゃないでしょうか?
『ゴリラ』には、舘ひろしにとっての太陽=渡哲也は存在しても、渡さんと神田さんを輝かせる太陽が欠けていた。後は、どんなに光を当てても輝いてくれない谷川竜しかいないですからねw
『太陽にほえろ!PART2』における神田さんが、キャラの被る寺尾聰さんに食われて存在感が無くなっちゃったって、他の記事に書いた事があります。これも実は、原因は寺尾さんが存在するからじゃなくて、裕次郎さんが存在
しないからだったのかも知れません。
これはもう、理屈じゃ説明のしようがありません。神田さんに限らず、あの作品だと輝いてた俳優さんが、この作品じゃなぜかちっとも輝かない、みたいな例は枚挙に暇なしです。
それは監督や脚本家との相性もあるでしょうが、画面上に見える共演者との相性っていうのは、実は何より影響力が大きいかも知れません。
少なくとも、舘さんと神田さんの組み合わせは良くないですねw プライベートで仲が良いのか悪いのかは知らないけど(たぶん良くはないと思うw)、視聴者から見てどうにも食い合わせが悪い。しっくり来ない。
そのせいか『ゴリラ』以降、神田さんは自社作品から身を引かれました。『西部警察』復活スペシャルには出られたけど、敵役でしたもんね。まるでゲスト扱い。
石原裕次郎さんが真に偉大だったのは、ご自身のみならず共演者をも輝かせる、まさに天から選ばれた本物のスターでおられたから、じゃないでしょうか?
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石原裕次郎という太陽
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