映画『オーシャンズ12』を観た時に、ジュリア・ロバーツ扮するヒロインが「大女優のジュリア・ロバーツそっくりだから」って事で、ジュリアになりすまして詐欺を働く場面がありました。
だけど、その映画にはジョージ・クルーニーやらブラッド・ピットやらマット・デイモンやら、そうそうたるスター達が出演してるのに、彼らは全然そっくりさん扱いされないんですよね。
つまりその世界にはジュリア・ロバーツというスターは存在しても、ジョージ・クルーニーやブラピというスターは存在しないワケです。現実と虚構がごちゃ混ぜになってる。それが何だか不思議な感じがしました。
そして『あまちゃん』の世界には、松田聖子というアイドルは存在しても、小泉今日子というアイドルは存在しない。これがまた不思議。
観ておられない方の為に解説すると、ヒロイン(能年玲奈)の母(小泉今日子)がかつて聖子ちゃんに憧れて、アイドル歌手を目指してた設定なんですね。
で、’80年代当時のアイドル文化が映像付きで紹介されるんだけど、聖子ちゃんと並ぶアイドルの権化みたいな存在だった、キョンキョンがそこに一切出て来ない不自然さ。解って頂けますでしょうか?
そりゃ、そこでキョンキョンが紹介されたら「じぇじぇ!? これお母さん?」って事になってややこしいのは分かるんですよ。アイドルに憧れてたお母さんの役をキョンキョンが演じる面白さも解ります。
だけど、キョンキョンというアイドルだけが存在しなくて、キョンキョン以外のアイドルはみんな普通に存在してるという、中途半端にリアルな’80年代って、なんだか不自然な感じがします。
だからダメってワケじゃないけど、とにかく私が違和感を感じた事実だけお伝えしておきますw
相変わらずクドカンらしい小ネタの可笑しさと、芸達者なキャスト陣の掛け合いだけで15分を保たせてる感じの『あまちゃん』。
だからどうとは言いませんが…
だけど、その映画にはジョージ・クルーニーやらブラッド・ピットやらマット・デイモンやら、そうそうたるスター達が出演してるのに、彼らは全然そっくりさん扱いされないんですよね。
つまりその世界にはジュリア・ロバーツというスターは存在しても、ジョージ・クルーニーやブラピというスターは存在しないワケです。現実と虚構がごちゃ混ぜになってる。それが何だか不思議な感じがしました。
そして『あまちゃん』の世界には、松田聖子というアイドルは存在しても、小泉今日子というアイドルは存在しない。これがまた不思議。
観ておられない方の為に解説すると、ヒロイン(能年玲奈)の母(小泉今日子)がかつて聖子ちゃんに憧れて、アイドル歌手を目指してた設定なんですね。
で、’80年代当時のアイドル文化が映像付きで紹介されるんだけど、聖子ちゃんと並ぶアイドルの権化みたいな存在だった、キョンキョンがそこに一切出て来ない不自然さ。解って頂けますでしょうか?
そりゃ、そこでキョンキョンが紹介されたら「じぇじぇ!? これお母さん?」って事になってややこしいのは分かるんですよ。アイドルに憧れてたお母さんの役をキョンキョンが演じる面白さも解ります。
だけど、キョンキョンというアイドルだけが存在しなくて、キョンキョン以外のアイドルはみんな普通に存在してるという、中途半端にリアルな’80年代って、なんだか不自然な感じがします。
だからダメってワケじゃないけど、とにかく私が違和感を感じた事実だけお伝えしておきますw
相変わらずクドカンらしい小ネタの可笑しさと、芸達者なキャスト陣の掛け合いだけで15分を保たせてる感じの『あまちゃん』。
だからどうとは言いませんが…